育児ワンオペ産後うつ
2004年の梅雨の時期、私は上の人を出産した。
その日は台風だったらしく、朝6時過ぎに破水→病院だった私は
「嵐の日に産まれたなんて激しい子に育ってしまうかしら💦」
などと危惧したのと、潮の満ち干きのせいか気圧のせいか出産がかなり重なっていたらしく我が子出産の前日までに15超の新しい命が誕生しており、新生児室は赤ちゃんでみっちみちだったのを覚えている。
合計で20人は超えてたように思う。
看護師さん達も大変だっただろし、授乳室は常に母乳をあげるお母さん達でひしめき合っていた。
ちなみに上の人当人はかなり冷静かつしっかりした思考の持ち主で、至って穏やかな人に成長しているので親としてはとても育てやすい性格だと思う。
………………
突然だが私の母親は25年前、私が22歳の時に大病を患い、入院わずか1ヶ月でその生涯を終えた。
ダンナの母も当時は小学6年生の一番下の弟を育てており(ダンナとの年の差が20歳近い)、私は慣れない育児を母親業パイセンの義母実母に頼れなかった。
加えてその頃はダンナの仕事も多忙を極めており、始発で出掛けて終電で帰るから、休みの日しか顔を合わせなかった。
今で言うワンオペ育児である。
しかも住んでた地域には引っ越してきたばかりで知り合いゼロ。
産後1ヶ月(新生児1ヶ月検診)までは外出も出来ず、知り合いも居ないダンナも居ないので誰とも話さない日々が積み重なり、産後3週間目に私は壊れた、と思う。
泣いてる我が子におかしな事を言い続け、訳もなく涙が止まらない、死にたいけど我が子は死んじゃダメ。
私が死んだら母乳しか受け付けない(哺乳瓶は全くくわえないミルクも飲まない)この子も死んじゃうから、この子が離乳食食べられるようになるまでは死んじゃダメだ、離乳食食べられるようになったら死のう……
毎日そんな事ばかり考えていたけれど、今考えれば私は上の人に救われたのだな、と思う。
そして1ヶ月検診の少し前に市の保健師さんが来た。
赤ちゃんとお母さんの様子を見に来てくれるシステムのアレだ。
上の人の体重やら身長やら肌ツヤを見ながら、
「良いですよー順調にステキに成長してますねー」
と、保健師さんは笑顔で言ってくれた。
その言葉を聞いて涙が止まらなかった。
私の話を全部聞いてくれた保健師さんは
「お母さん、ここまでたった1人でも頑張ってきたんですね!良く堪えましたね!ツラかったね!」
と私を抱き締めてくれた。ありがたかった。
………………
その頃実はすぐ近くに以前職場が一緒だった知り合いが住んでたらしく、共通の友達がこっそり連絡してくれていた。
「ダンナさんが仕事忙しくてたった1人で育児してて情緒不安定」
多分そう言って、私の様子を見てくれるように言ってくれたのだろう。
ある日突然、その知り合いからメールが来た。
「なんかね、市で赤ちゃん連れた集まりあるみたいだから行かない?市内に知り合いが○ちゃん(私)しかいなくてさー赤ちゃんの集まり行くのも勇気出なくって」
そんな感じでお誘いメールをもらった。
実は人見知り場所見知り出不精の3拍子揃った社交性と社会性がほぼゼロな私であるので、普段だったらそういうお誘いもらっても絶対に行かないのだけど、その時だけは
「誰でもいいから大人と話したい!」
言葉に飢えていた私は二つ返事で快諾し、その集まりに行った。
残念ながら行った内容など、その集まり自体の記憶は全く残っていない。
ただその集まりに知り合いが誘ってくれて行ってきた、その事実だけしか記憶にないのだ。
恥ずかしながら何を誰と話し、どんな事をしたのか全く覚えていない。
でも私は外に出るきっかけをくれたその知り合いに足を向けて眠れないと今でも思っている。
生後間もない私の母乳が無ければ死んでしまう赤ちゃんとずっと2人きりで、ほぼ頭がおかしくなって死にかけてた私を外の世界に連れ出し
「苦しかったら外に出ろ。赤子を連れた母親にお店の人は割と話しかけてくれるぞ」
を教えてくれた彼女には本当に感謝している。
………………
今現在、緑のエプロンと手のマークで有名なあの店で、
赤ちゃん連れたお母さんにやたら話しかけたり笑いかけてる従業員がいたら、それは私だ。
あの時私を救ってくれた言葉をかけてくれた保健師さんや職場の知り合いがしてくれたあの恩を、あの頃の私と同じように孤独を感じてるお母さんたちに返せるように。
そして何より、あの頃母乳と私にべったりでいてくれた上の人に。
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