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きっかけは一期一会『ファッションセンターいまさら』その① 

*最初に投稿して公開したものを誤って上書きしてしまいました💧
なので思い出して書き直しています。

きっかけは一期一会


およそファッションには縁がない人生だった。
中学の頃までは親が買ってくれた服をなんの疑問もなく着ていた。
高校ぐらいから自分で買うようになったが、当時はまだユニクロなどなく、近所のスーパーの衣料品売り場かジーンズショップだった。
高校入学の年が1980年でまさに時代はバブルに突入した頃。
当時の流行りは竹の子族・テクノ・クリスタル族。
庶民がブランド物買い漁りだした時代でもある。

当時タモリの「笑っいいとも!」の前番組が「笑ってる場合ですよ!」で、ツービートやB&Bと言った漫才師が日替わりで番組をやっていて、今で言う『案件』なんだと思うが、ボートハウスやセーラーズのトレーナーを演者が着ていてこれもまたブームになった。

当然オレも日本人だし流行りのものは欲しかったが高い💧
当時の東京のバイト代は時給450円~500円だった。
休みの日に8時間バイトして4千円だといいバイトの頃だ。
好きな雑誌や本、マンガに映画に遣った方が良かった。

おしゃれや着飾るのは異性の目を気にするからだと思う。
オレが色気づいてきたのは大学生の頃だ。
バブルのお陰でカフェバーやプールバーなんておしゃれなスポットが増えてきた。当時はカラオケボックスもなく、飲み屋にあるだけだった。
当時の大学生が夜遊びに行くと言えばディスコだった。
ただ歌舞伎町や渋谷のディスコは行けたが、日比谷のラジオシティや六本木なんかはジーパン禁止とかドレスコードで弾かれたことがある。

歌舞伎町のディスコ・ゼノンとニューヨーク・ニューヨークのパス

そんなオレがクリスマスパーティーに招待された。
今は知らないが当時のクリスマスは一大イベントだった。若者の(笑)
そりゃ参加するならモテたいし彼女欲しい!
ハイティーンの野郎ならそりゃ夢も股間も膨らむよ。
けど何着ていこう? 気分はもうシンデレラである。

まだ日本語ワープロが登場したばかりで、オレはオリベッティのレッテラブラックというタイプライターは持っていたがパソコンなんてない時代。
スマホもガラケーもないし当然ネットもない。
アメトラ・アメカジ・ハマトラ・シブカジなんて単語を知っててもどんなファッションかわからない。
調べるには雑誌しかなく、POPEYEやHotdog PRESSなんて雑誌を買った。リーダイ(死語)なんて読んでる場合じゃなかった。

そこでたどり着いたのがアイビールックだ。
1950年代にアメリカのアイビーリーグ、アメリカの北東部の8つの大学の学生のファッションをVANの創業者である石津謙介氏が日本に取り入れて1960年代に大流行したファッションである。
でもどこで買えばいいんだ?
とりあえず大学の地下の学生生協でHarvardのピーコートとピンクのボタンダウン、ブラックウォッチ柄のスラックスを買った。
そして初めて池袋のバーゲンで買ったブランドがWAY-OUTのセーターだった。(Harvardもブランドかな💧)

そんなこと思い出して今はなきWAY-OUTを検索していたら出てきたのがこの写真!
( ゚∀゚)・∵. グハッ!! これ!まったくあの時買ったものとおんなじ!
写真の出処を探したらヤフオク!だった。

スマホもガラケーもなく、写真なんてなんかのイベントの時に写ルンですで撮るような時代、気軽に写メなんてないから思い出でしか残ってない。
それが40年近い時を超えて目の前に鮮明に現れた衝撃‼

しかしその衝撃はすぐに別の衝撃と変わった。

このオークションもう終了してんじゃん💧(´;ω;`)💦
しかも落札価格3800円だとう?!
今のオレなら3万8千円出すよ💦
まさにヤフオクあるある一期一会・・・。

ここでオレの中で何かが目覚めたのである。
あ、学生の頃買えなかったもんって今なら買えんじゃね?

けど中身は昔と変わらなくても入れ物はだいぶ変わってる。
ならばそれを包み隠せる武器が必要じゃないか。
いまさらモテオヤジになろうという魂胆はない。
むしろ青春の穴埋め作業でしかないと思うが、来年還暦を控えたオレが今から始めるおしゃれ物語。
それが『ファッションセンターいまさら』である。

次回に続く

余談だが件のクリスマスパーティーはどうなったか?
中止になりました。
後でわかったのだけどそのパーティーはベルギーダイアモンド主催で、悪名高き豊田商事の子会社で、もし参加してたら模造ダイヤをローンで買わされた挙げ句トモダチ紹介してしてのマルチ商法に引きずり込まれるところでした💦 結局オレのアイビーファッション出番なかったな💧

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