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Review 2023-24


 

24年と4か月。

ひとところで、よく働いたものだ。

2023年8月、長年勤めたテレビ局を辞めた。

 

同時に、生まれ育った東京を離れ、北海道に移住した。

狩猟採集活動を軸に置き、

執筆や講演をしながら暮らす。

2冊目の本を出版できる当てはないし、

どのメディアにも連載など持てていない。

これまでの会社員生活と違って固定収入は存在せず、

不安定極まりないが、

だからと言って一度しかない人生の短さを思うと

これから最も大切なのは

お金ではなく時間だということは明らかだった。

51歳にして心機一転。

新しい生活が始まった。

 

 

 

縁あってこの地に授かった家は、

コンクリートの基礎は割れ、

一階の床は抜けて土が見えていた。

私とはほぼ同い年。

最近、とみに劣化を感じるようになった自分の肉体と、

家屋の傷んだ躯体が重なって見えた。

半世紀の時を経て、

各所がすり減り、軋み始めたこの家に

ゆっくり手を入れながら、

勢い一辺倒だった自分の生活様式も

見直していきたいと思った。

 

 

 

これからは、寄り道、脱線を大切に。

猛スピードで走る通勤電車から

寄り道しようと飛び降りたら

大怪我をするか、下手をしたら死ぬ。

自分の足でゆっくり歩いているからこそ、

寄り道も脱線もできる、というものだ。

 

幾度となく歩いた獣道も、

示してくれたではないか。

現在地と目的地。

点と点を結んだ直線が

決して最短ルートではないことを。

少々遠回りでも

歩きやすい場所を通れば

道を踏み外すこともない。

足元に咲く花に

気付く余裕も生まれる。

 

そもそも道なんて

あって無いようなものだ。

人間はまず道を作り、そこを歩こうとする。

獣はまず歩き、それが道となる。

これからの私は、獣の作法で進んでゆこう。

 

 

 

プロの大工の手を借りながら、

少しずつ家を直し始めた。

 

全ての床、内壁、天井を剥がした。

残したのは外壁と柱だけ。

筋肉や内臓を取り去り、

骨と皮だけを残したのだ。

それはリフォームというよりは

ほとんど建て直しに近い作業に思えた。

 

この歳になるまで、

家がどのように建っているかを知らずにいた。

結局家は、土の上に建っていた。

全ての床をめくり、

剥き出しになった土を見て思い出したのは、

子供の頃に裏山で作った秘密基地だ。

土を均し、草を敷き、そこに座ると気持ち良かった。

家屋の床を再び張ってしまえば

もう土は見えない。

この家が土の上に建っているという

当たり前のことを忘れないように、

均した土を自分の手で叩き締めた。

たくさんのアリと仲良くなる。

どんな家でも、どんなビルでも、

建っているのは土の上だ。

 

トイレはないので、森の中。

紙は使わずに葉っぱを使う。

ミズバショウ、フキ、ササ、ミズナラ。

色々な葉の特性を

今までとはちょっと違う方法で

知ることとなった。

 

元々あった台所は撤去してしまい、ガスもない。

食事はもっぱら庭でバーベキューだった。

セリやミツバなど、

食べられる野草はいくらでもあった。

 

水道が通るまでは、

庭に流れる小川で皿を洗った。

水の中にも友達ができた。

清流にしか住まないという

フクドジョウだ。

食器を洗い始めると

水草の影から姿を現す。

意外と大胆で、あまり逃げない。

「フクちゃん」と名付けた。

フクちゃんのために、この水を汚してはならない。

東京にいた時も、

できるだけ油汚れは排水溝に流さないようにはしていたが、

守るべき対象の顔がリアルに見えていると

責任感はまるで違った。

 

皿を洗っていると、

「ドゥルルルルッ」という微かな音がすることがある。

正体は小鳥だ。

洗い場の数メートル下流は

鳥たちの水浴び場となっていて、

次々と飛び込んで体を震わせ、

水を撒き散らす。

一番頻繁にやってくるのはヤマガラだ。

きっと何羽もが入れ替わり立ち替わりで

現れていると思うが、

十把一絡げならぬ十羽一絡げで

「ヤマちゃん」と呼んでいた。

 

これまでは面倒だった皿洗いが、

フクちゃんやヤマちゃんのおかげで

楽しくてたまらない時間と化した。

 

 

 

嬉しい発見は、夜にもあった。

風呂はないので、近くの温泉に通っていたのだが、

初夏のある日、

帰宅してみると庭に小さな光が舞っていた。

ヘイケボタルだ。

自分の庭に蛍が出るだなんて。

あまりの幸せに言葉を失った。

以来、風呂上がりにビールを飲みながら

自宅の庭で蛍を愛でるという

贅沢な娯楽が日課となった。

 

蛍の明滅は語らいだ。

雌は足元で慎ましく、

雄は飛び回りながら高らかに、

命に小さな火を灯し、愛を照らす。

 

宴に疲れた蛍たちが姿を消す頃。

地上の灯りを空に写しとったように

星が転がり出てくる。

雲ひとつない天空に

夜通しさんざめく天の川の砂粒。

いつまでも彼らのお喋りに付き合いたいところだが

睡魔に襲われた僕は

別れを告げて眠りに落ちる。

 

差し込む朝日に瞼を撫でられ目を開けると、

庭に金色のビーズが撒き散らされていることに気付く。

朝露だ。

朝になってもまだ輝いていたい

星々の名残だ。

少しの間だけ地面に降り、

カヤツリグサの葉に行儀よく並んでいる。

太陽の陽光はまったく気持ち良いものだねと

笑いながら揮発してゆく。

そしてまた夕方になると

光は蛍に乗り移る。

玉の緒の輝きは巡り、

夏の輪舞曲を奏で続ける。

 

 

 

秋が来ると

雄鹿の物悲しい鳴き声が森に響く。

猟期の始まりだ。

しかし、私は鹿を撃ちに出ることができなかった。

 

家にはまだ水道もガスもない。

辛うじて何箇所か電気が通っている

コンセントだけが頼りだ。

台所もなければ冷蔵庫も稼働していない。

これでは、たとえ鹿を獲ったとしても

きちんとした精肉も保存もできない。

ようやく猟に出られたのは12月末。

その後もあまり猟には出られず、

この猟期で獲った鹿は6頭に留まった。

それでもその6頭は、

私自身や大切な人たちの食卓に

喜びと感謝の笑顔をもたらしてくれた。

 

 

 

ヒグマの痕跡も探しはしたが、

結局、本気で追うことはできなかった。

様々なことが本当にうまくいった昨年度の中で

これが最も憂慮すべき点であった。

 

熊を撃つには、

自分が殺されるかもしれないという

極度の緊張感の中でヒリヒリとしながら

山を歩く必要がある。

死の危険に晒され続け、

恐怖と共存する精神状態が常態化して初めて

その瞬間に、引き金を引くことができると

私は感じている。

 

心の鍛錬ができていないままに

強大なヒグマを前にすると、

息は上がり、手は震えるだろう。

銃口が1ミリでも動けば

100メートル先では何センチもずれる。

脊椎を狙った弾が数センチ横に行けば筋肉に、

心臓を狙った弾が数センチ下に行けば消化器に

着弾してしまう。

 

致命傷を与えられないことは、

ヒグマの反撃を喰らう可能性、

つまりは自分が殺される事態に直結する。

これが、熊撃ちが他の行為と

格段に異なっているところだ。

 

命の危険に晒されることは

強いストレスとなる。

しかし野生動物は皆、そのストレスの中で暮らしている。

かつては人間も、そうだった。

 

人類は、あらゆる生命の危険性を技術で乗り越えてきた。

そして、過剰な危険性を孕む行為は

法律などで禁止されるようになった。

そうした現代社会において、

人間が他者に殺されるリスクがある行為として

法的に認められているのは、

熊狩りくらいのものではないだろうか。

 

人間だけがこの世界の頂点ではなく、

時には命を奪われる側に回る可能性もあることを

思い出させてくれるのが、熊たちだ。

だからこそ、彼らは私たちにとって

大切な存在なのだ。

 

この猟期、バッタリと山でヒグマに出くわしても、

私は引き金を引くことができなかったのではないか。

そして、そうした疑念が心をよぎる時点で

既に熊撃ちとしては失格だ。

顔を洗って、また一から出直すしかない。

 

 

 

猟場では熊と縁がなかった反面、

ヒグマについての知見は大きく増えた一年でもあった。

講演会やシンポジウムなど、

ヒグマについて学べる機会があれば

極力参加するようにした。

 

 

 

中でも、のぼりべつクマ牧場の元飼育員で、

千頭ものヒグマを育ててきた

前田菜穂子さんのお話は素晴らしかった。

育児放棄した母熊から子熊を引き取り、

自らの乳房から母乳を与えて育てたエピソードは

ただただ、圧巻だった。

 

終了後、すぐにご挨拶に行き、

講演以外にもお話を伺う機会を得ることができた。

ヒグマに人生を捧げ、

一緒に暮らしてきた前田さんの言葉は

いつも強く私の心を打った。

これからもこの学びを深めてゆきたい。

 

 

 

そして、アイヌ文化の研究者である

元苫小牧駒澤大学教授の

岡田路明先生との出会いも

大変有難いものだった。

岡田先生は、

猟師だったアイヌのエカシ(長老)と親交が深く、

昔の狩猟の話をたくさん聞かせて下さった。

 

それらの話はあまりに興味深く、

また人間と野生動物が共生するための

示唆に富んだものであり、

まさに今の日本に必要なことが

たくさん詰まっていた。

是非、先生が書籍に残して下さることを願っている。

 

 

 

アイヌはヒグマをキムンカムイ(山の神)と崇めてきた。

同時に、ヒグマを獲物として仕留めてきた。

現代社会に生きる人たちから見ると、

矛盾と感じるかもしれない。

 

アイヌの儀式として最も有名なのは

イオマンテという熊送りの儀式だろう。

母熊を仕留めると、その子供を生け捕りにし、

1〜2年ほど村で最も客としてもてなし、

また神の国に送り返す。

こちらも、大切に育て上げた子熊をなぜ殺すのだ、

と疑問に思う人もいるに違いない。

 

しかし、アイヌは長い年月をそうやって生きてきた。

ヒグマを崇めながら、時にその命をいただくということは

彼らにとって必要不可欠なことだった。

だからこそ、様々な儀式が生まれたのだ。

 

狩猟で捕殺した熊を送る時には、

ホプニレという儀式が行われるという。

イオマンテは聞いたことがあったが、

ホプニレは知らなかった。

一体どういう儀式なのか。

想像を巡らす中で、

思いついたことがあった。

 

私が以前獲ったヒグマに

ホプニレをしてもらうことはできないだろうか。

そうすれば、あのヒグマをちゃんと送ることができるし、

儀式がどのようなものかも

この目で確かめることができる。

 

毛皮と頭骨は保管してあるが、

それでホプニレは可能なのだろうか。

また、獲って2年以上が経過していることも気になる。

あまりに的外れなお願いかもしれないと思いながら

恐る恐る、先生に尋ねてみた。

 

すると、逆に、こう質問された。

「黒田さんは、黒田さんなりにその熊を送りましたか?」

 

私は熊を獲った直後、

気道を枝にかけて再生を願う

北米先住民に伝わる儀式をした。

また、一周忌の日には

頭骨や毛皮の前に果物や酒を並べ、

自分なりに感謝の祈りを捧げた。

 

そのことを先生にお伝えすると

先生は深く頷かれ、仰った。

 

「黒田さんが獲ったヒグマに

 ホプニレは必要ありません。

 なぜならその熊は

既にカムイモシリに戻っているからです。

 

 もしカムイがまだここに残っていたら、

 黒田さんに取り憑き、

黒田さん自身や周囲の人に

何かしらの異変が起きているはずです。

 

でも黒田さんは見るからに健康だし

トラブルを抱えているようには感じられない。

だから、大丈夫」

 

先生のお言葉に、

自分のしてきたことが

間違っていなかったのだと、

私は心からの安心感を覚えた。

 

更に先生は、今からでもできることを

教えて下さった。

熊は既にカムイモシリに戻ってしまっているので

直接感謝を伝えることはもうできない。

ならば、アペフチカムイ(火の神)に言伝を頼むと良い。

アペフチカムイはお喋りなおばあさんで、

人間の言葉をカムイに伝えてくれる。

そこで、酒や熊が好きそうな肉や果物を

火に捧げる。

そして

「以前キムンカムイを授かりましたが、

 その時は何も知らずに

十分な送りができませんでした。

 どうかこれらの酒や供物をキムンカムイに届け、

 私よりのお礼を伝えて下さい」

と祈ればいい、とのこと。

 

これは、とてもいいことを聞いた。

今年の10月、

この熊が3回忌を迎えるタイミングで

やってみたいと思う。

 

 

 

たくさんの贈り物を持たされて

カムイモシリに戻った熊は、

その贈り物を他のカムイにも振る舞い、

自分がどれだけ人間に歓待されたかを語る。

 

そうやって正しく熊を送った猟師の元には、

たくさんの肉と毛皮を携えたキムンカムイが

再び戻ってきてくれるという。

 

猟師は憎くて熊を撃つのではない。

 

熊を愛し、敬い、

アイヌモシリにおいても

カムイモシリにおいても、

彼らが幸せであることを祈っているのだ。

 

私が目指すのも、そういう猟師だ。

私自身はアイヌではないが、

狩猟採集民族の末裔として

その責務を担っていきたい。

 

次の猟期に向けての、決意表明である。

 

 

 

 

 

 

<2023年度 狩猟まとめ>

 

捕獲 : シカ6頭 

 

内訳 : オス2頭/メス4頭

 

同行者: 5名

 

内訳 : 男性2名/女性3名

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