あいつらのこと

夏休み。みなさん楽しく過ごしてますか? 台風の影響で大変なことになってる地域の方もいらっしゃると思いますが、どうかご無事でありますよう、みなさん充分気をつけて下さい。今日は8月15日。自分なりにこの日について思うことを書こうと思います。少し長くなりますが、どうかお付き合い下さい。


今から25年前。前世紀の終わりごろ。僕はアルコールに耽溺していました。98年の終わりに3年住んでいたイギリスから帰国した時にはすでに酒が切れると手が震え出し、粘っこい汗を大量にかくようになり、白目は真っ黄色に濁っていました。昼夜問わず飲み続けた結果、本当に病理学的にアルコール依存症になったのです。朝起きると、まずはガタガタの身体を引きずるようにコンビニに行ってトリスのポケット瓶を買い、震えて指がうまく動かないのでレジ前に小銭をぶちまけて金を払い、その場で箱から瓶を出して開封し、一気に飲み干してやっと人間らしく動けるようにする。そんな毎日を繰り返していました。今世紀に入ってから酒をやめて、もはや20年以上シラフでいますが、まさか飲み屋を経営して、酒を売る側にまわるとは思ってもみませんでした。人間わからないものです。

二十代の終わり、僕には仲の良い友達が二人いました。ジェイソンとグラハム。ともに米軍に勤務する屈強なマリーンでした。毎晩連れ立って飲みに行き、明け方ベロンベロンになるまで飲み明かして、次の日に酒臭い息を吐きながら、何処か訳のわからないところで目を覚ます。そんな日々をおくっていました。三人とも二十代の終わり。若く青臭い時代が過ぎ去ってしまうのを心のどこかで無意識に自覚していたのか、残酷に過ぎる時間に抗うように無頼に精を出していました。当時流行っていた椎名林檎の『本能』や『罪と罰』を聴くと、あの頃のことが鮮明に脳裏に甦ってきてなんとも恥ずかしい気持ちになります。

ジェイソンは190センチ近くある巨漢をゆらしながら屈託なくよく笑い、細かいことを全く気にしないおおらかで優しい男でした。二の腕に彼女の名前を彫っていたのですが、スペルが間違っているのに気がついて指摘すると、オレと同じでアイツもバカだから気がつかねぇよと、豪快に笑ってビールを飲み干しました。バカで楽しくデカいアメリカ人。そんなステレオタイプを体現するような男でした。グラハムはそんなジェイソンとは真逆の、ジョン レノンのような丸メガネをかけた思慮深いインテリの男でした。日本文化について僕によく質問してきて、こちらの英語力を超えてくる話になりしどろもどろで答えると、すぐさまきちんと噛み砕いた表現で言い直して助け舟を出してくれる。そんな優しさを持った男でした。日本酒とモツの煮込みをこよなく愛し、除隊したら日本に残って英語の先生をしたいとよく語っていました。


アルコール依存症の僕は、そんな彼らと飲み歩くうちにどんどんと重症化していきました。酒が切れると幻覚幻聴に襲われ、被害妄想は酷くなり、それが怖くてシラフでいる時間を極力無くそうとまたアルコールを口にして、それが元で今度は内臓がメチャクチャになる。完全に負の連鎖に絡め取られていました。ジェイソンとグラハムは、日に日に酷くなる僕の世話を黙ってしてくれました。急性膵炎で入院したり、泥酔した挙句に警察や救急車の世話になった時も、何も言わずにニコニコしながら僕のことを見放さないでいてくれました。そして、たしかあれはミレニアムだの2000年問題だのと世間が騒いでいたころ、六本木のバーで三人飲んでいたとき二人は僕に言いました。
『俺たちは解散しよう』
飲んだくれてメチャクチャな日々はこれで終わりにして、今まで見て見ぬふりをしてきた現実に帰ろう。もうにっちもさっちも行かなくなった僕は、その言葉に深く頷きました。そして、しばらく語り合い、最後のパーティーをしました。死ぬほど飲んだ挙句にビリヤードをして僕が負けて、二人に3,000円ずつ借りができました。グラハムは帰りがけに、次はその貸しをシラフで届けに来いと静かに言いました。ジェイソンは早く来ないと利子で身動きできなくなるぞと豪快に笑いました。そんな風に、僕らの無頼の日々は終わりました。

それから3年。僕は酒の誘惑と闘いながら、なんとか社会に戻って生活していました。ドライで過ごす日常がだんだんと当たり前になっていくそんな頃、海の向こうで戦争が始まりました。イラク戦争です。海兵隊だった二人のことを僕は真っ先に思い浮かべました。あいつらはどうしているだろう? ちゃんと無事でいるだろうか? 家のパソコンで調べたり、米軍に問い合わせたりしましたが梨の礫。まるでわかりません。ようやく彼らの安否がわかったのは2007年。アメリカに行った時でした。2人の名前は行方不明リストにありました。僕は絶句しました。ジェイソンはバカなので、多分イラクが地図の上でどこにあるかすら知りません。グラハムは、日本で英語の先生もまだやっていません。30そこそこのあいつらは、まったく縁もゆかりもない土地で、霧のように姿を消してしまいました。命日を祈ろうにも、死んだ日すらわかりません。後々になってイラクに大量破壊兵器がなかったと言われても、僕はビリヤードの負け分を払うこともできません。スペル間違いのあるあの刺青の入った太い腕も、インテリ臭いキザな丸メガネも、広大な砂漠の中では探しようがありません。アル中の僕は禿げてもまだ生きているのに、そんなアル中の面倒を看たあいつらは砂漠に消えてどこにもいません。目を瞑った脳裏で、ブッシュ、チェイニー、ラムズフェルド、ライスなどのアメリカ政府お歴々が薄笑いをしていました。そのとき、僕は拳を握りしめて心に誓いました。声がデカくて偉そうにしている奴らは絶対に信じないと。


それからまた十数年。五十路を過ぎた僕は、音楽や酒が好きな人に囲まれて、シラフで幸せに暮らしています。テレビやネットをみると、声のデカい奴らが偉そうに、さも立派そうに勇ましいことを話しています。僕はギターを弾きながら、世界中の若い子に心の中で語りかけています。もし君の前に立派で押し出しが強く、影響力がありそうな大人がいたら、まずは疑ってかかりなさい。自分の目でそいつらを見極めればわかるよ。多分、その中のほとんどが嘘をついているから。長くなりましたが、8月15日に想う僕の個人的な気持ちを今回は初めて文字にしてみました。約束通りシラフで6000円用意してるぞ。ジェイソン、グラハム、早くかえってこい。

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