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筑波大学だめライフ愛好会でも分かる本は破れ!

 改めて本は読んだほうがいいですよ、特に卑屈な陰キャは特に。

 本は破れ!の1番誤読されやすい部分を話してゆこうと思う。

 拡張現実と個性経済学ね。

 まず拡張現実を話すと、西洋哲学の伝統としてピュシスとヒューマン、ようは自然と人間、どちらを優先するか?という問いはずっと繰り返し繰り返し連鎖されているわけ。

 たとえば、陰キャ臭いプラトンは人間を頭が良いって言って、プラトン以前のタレスやヘラクレイトスみたいな陽キャは自然に祝杯を提示している。

 ようは、technologyが思想になる、AIが人間の知能指数を超えるシンギュラリティにおいて、人間派を気取る高学歴メンヘラの成田悠輔は偉いけど、technologyを全然理解していない数2Bレベルの受験メモリー依存症なわけ。それは近代を引きずったバカさだよね。

 でも、落合陽一自体に限界があって、本当のシンギュラリティはクローン人間を平気で作っちゃう中華未来主義的なスワンプマン的である超加速主義にあるとさえボクは思っていて、ようは人間は改造しまくったほうが楽しいし面白いと思うわけで、落合陽一のシンギュラリティそのものがハラリと同じ理系や文系という系にすぎないのだから、真の生物改造的な真のシンギュラリティの内装を表していないと思うのだ。
 
 人体改造のカジュアルな中華未来主義的な加速さをボクはARGUMENT・REALITY、拡張現実と呼んでいる。

 ようは、鬱病をこじらす人間も文学も文学部さえも人間とは言えない。

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