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メキシコ。たこ焼き屋。そして今、デザイナー。 その2

Intro.

HUSMAでデザイナーをしている本名(ほんな)です。
その1ではHUSMAに入る直前のインターンの話を中心に書いたのですが、今回はさらに巻き戻していよいよメキシコの話にも触れようと思います。

前回の記事はこちら↓

The Origin - In Mexico etc.

単位は取りつつも授業にはほどほどにしか参加せずの2年間の大学生活に休止符を打ち、語学留学をしました。

行き先はまずフィリピン、その後オーストラリア。
英語が話せるようになることを目的として日本を離れたのですが、どちらの国でもその現地で会った人たちとの日々が刺激的で、楽しくて、どちらかというとそういう日常で感化された価値観(というと壮大すぎて現実味がなくなるのだが、他に適切な言葉が私の語彙力では見つからず。)のゆらぎを得られたことが大きかったかなと思います。

オーストラリア/ケアンズでは、バナナファームでバナナやアボカドのパッキングを一日9時間行い、その後みんなで「キャラバンパーク」へ帰り一緒にご飯を食べ、寝るまでとりとめのないことを話して就寝。
今までの人生のなかでもっとも健全な生活をしていたようなきがします。

バナナの森↓

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3月で一度帰国し、大学を通学制から通信制へ変更して授業に参加しなくとも単位が取れるようにしてオーストラリアへ戻り、ワーホリビザの残り日数ギリギリまでオーストラリアにいました。

その再びのオーストラリアのタイミングで、ひょんな縁でメキシコのグアナファトという街で知り合いのお店を手伝わないか?というお誘いを受けました。
大学は通信制に変更しているし、ワーホリでまぁまぁ貯金はあったし、ということで二つ返事で引き受け、少しの期間日本でゆったりしてメキシコへ向かいました。

メキシコの公用語はスペイン語なので、日々「これスペイン語でなんて言うんだ…」というのをスマホにメモして溜め、カフェなどで調べて単語カードに表:英語、裏:スペイン語で暗記するだとか、
編み物 / マクラメにハマってそれを作り続けるだとか、
日本語を勉強したいメキシコ人に日本語を教えるだとか、
なんだか旅してるな〜という日常を過ごしていました。

マクラメアクセサリーはこんなやつ↓
メキシコ、というか中米南米は石がよく採れるらしく、様々な市場で売ってました。

さて、なぜたこ焼きを販売するにいたったのか?というと、
スパッと言ってしまうと、お金を失った(盗まれた)から、です。

知り合いのお店の手伝いから離れ、これから控えているキューバやグアテマラへの航空券も購入済みのわたしは帰るに帰れない状況だったので、はたしてどうしたものか……と。

メキシコ人がいやにたこ焼き好きであることを思い出し、そういえば日本食スーパーにたこ焼き器売っていたな……スーパーに小麦粉やら卵やらタコやら、たこ焼きに必要なもの売っていたな……売ってみるか!という回路を経て販売するに至りました。

6,000円/月で個室ありのシェアアパートを、あの日本語を教えていたメキシコ人に教わって住み始め、そのキッチンで毎日100-150くらい?ちまちま作ってタッパーに詰めてバス停のある人通りのある場所で販売していました。

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もともとのコストがそんなにかかっていなかったことも幸いして、毎日利益が出るほどに繁盛。1度は雑貨屋さんだったかな、そのお店の電源を借りてその場で調理→販売もできました。
今振り返ってもほんとに思い切ったことをしたなぁ……。

3−4回販売してからpulpo(タコ)ではなく、calamar(イカ)を使っていたことに気がついたんですが、味に大きな変化はないだろうし気が付かないだろう!と2〜2.5倍くらい値の張るpulpoのことは気が付かないことにしました。
今振り返ってもほんとに詐欺まがいの最低なことをしたなぁ……。。。。

The Origin - In Hachioji.

その後キューバを経て、グアテマラで終了。約2年間の長い旅がついに終わってしまいました。

さて大学だけでも卒業しないとなと単位取得に本腰をいれると同時に、どこか虚無感を抱き、メキシコでやったようなことを地元の八王子でもできないかな〜と思っていました。
どういった経緯でそうしようと思ったのかについては記憶はないのですが、八王子の農家さんへ連絡し、廃棄されている野菜を活用して焼き菓子をつくり販売する、といったことに挑戦しました。

飲食に関わっている友達とコラボしてpop upのようなこともしていたのですが、やれることをやり続けているところに「ここからどうやって拡大/展開していくべきなのだろうか?」が次第にわからなくなってしまいました。

今考えるとECサイトを作る、手伝ってくれるひとを探す、など思い浮かぶのですが、当時は「あ〜知識不足だな、次の一歩がわからなくなってしまった」と、方向転換して勉強することが最善なんだと感じ、
インターンという手段でビジネスという場へ飛び込むことを決意しました。

そしてここから先の日々は、前回の記事で書いたことに続きます。

Conclusion.

やりたいことに飛びついていただけの日々だったのですが、いざ振り返ってみると、どの経験も今のデザイナーとしての生活へ向けての布石だったんじゃないかなと今は感じています。

とはいえ、当時は「これは将来のためだ!」とか「将来なにか役に立つかもしれんからこれをしよう!」とか、そんなふうな気持ちを中心にしていたかと聞かれるとそうではなく。
まわりの人の話をきちんと聞いて参考にしてみる、よくわからないけどワクワクしたからやってみる、そうやって自分の行動を自分で制限しないで視野を広げていくことが大事だったのではないかなと思います。
百聞は一見にしかず。

実はTABIPPOというところでも1年間、大学1年かな?インターンをさせてもらい、そこでお知り合いになった方におすすめされてフィリピン留学をしました。
セブ島の「LIFE CEBU」という学校に通っていて、先生が良い人ばかりで英語力も何倍にも伸びたため、すごくおすすめなのですが3年くらい前になくなってしまいました…
が、セブ島には語学学校たくさんあるので、行きたいな〜と思っている方は連絡してみるとよいかもしれないです。

その方がやっている会社「フィリピン留学プロ」
https://www.pro-japan.jp/

オーストラリアのワーホリは、航空券を購入してワーホリビザを申請するだけで日本人なら30歳までであれば誰でもいけます。
ワーホリビザの取得方法は、調べればたくさん丁寧な記事があるのでそれを参考にして申請すればOKです。もう何年か前なのでうろ覚えですが、申請してから12時間でわたしは取得できました。

参考記事
https://www.s-world.jp/ryugaku/visa/australia-working-holiday-visa/

数ヶ月かかって申請許可が下りたという人もいたので、前もって申請したほうが安心かもです。

ワーホリでどこにいくか迷う方はたくさんいると思うのですが、オーストラリアを選んだらシドニーやメルボルンではなくてケアンズやブリスベンなど、ファーム仕事のできる街をおすすめします(個人的な意見)。
貯金ができる、時間的余裕ができる、同じような生活をしている人たちと出会いやすい、が理由かなぁとおもいます。

わたしはケアンズのマリーバ(mareeba)にあるHOWE FARMというところで働き、HOWE FARM含め周辺のファームで働いている人のほとんどが住居として選んでいるRiverside Caravan Parkに住んでいました。

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当時もこの方の記事すごく読んでました。こんなところです。

その後のメキシコやらについてはあまり参考にならないかもしれないですが、メキシコもキューバもグアテマラも、それぞれの国でたくさん出会いがありましたし、いろんな景色や食べ物に出くわしました。
日本国内でもそういう場面はあるはずなのですが、わたしは異国でのそういう状況がすきで、たのしくて、次はどんな出会いがあるだろう?と、もう次のことを考えながら帰国するあの時間も幸せです。

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今はデザイナーとして成長していくことが一番の目的ですが、2年ほどかけて世界一周する夢はいつか絶対実現させるぞ。

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