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アメリカの芸術と文化(’19)1章 アメリカの20世紀

どうも、ふたーばっくすです。

2023年4月から放送大学の「アメリカの芸術と文化(’19)(宮本陽一郎、佐藤良明)」を受講しているんですが、長らく勉強時間(おもに体力・気力的な問題で)を割くことができず、テスト期間にはいってから慌てて追いつこうとしています。

僕の学生時代は高校(高専)、大学ともに情報工学を学んでおり、カリキュラムも一般的な人達に比べて数学や物理学に偏っていました。今期「アメリカの芸術と文化」を履修登録したきっかけも、ひとえに文系科目が弱いなという肌感があったからです。本記事では、履修したテキストの範囲で印象に残った箇所を1つだけ紹介しようと思います。

いきなり脱線しますがバックボーンをもう少しだけ深掘りします。子供の頃から「世界まる見え!テレビ特捜部」や「奇跡体験!アンビリバボー」「どうぶつ奇想天外!」「日立 世界・ふしぎ発見!」「ニュースステーション」などの番組をよく見ており、とにかく情報を取り込むことが好きな性質でした。「ミュージックステーション」とかを見ていればもっと流行りに乗れて、陽キャに成れていたのかな、なんてことをたまに思ったりします。高校生の年齢で実家を離れてからはテレビという存在がだいぶ遠いものになり、食堂なんかで流れている番組を見る程度になります。しかし、そんな僕がつい2年前に人生で初めてテレビを購入。理由はインターネットコンテンツを堪能し尽くした感を覚えたから。長いテレビなし生活から脱却して、マツコや有吉の番組、NHKスペシャルや映像の世紀をよく見ています。あいも変わらず情報系の番組ばかりですね。そろそろ本筋に戻りましょう。

第一章を履修した中で、印象に残ったのは以下のテキスト。

映画の受け手は、映画を通じて価値観や趣味やスタイルを共有する「その他大勢」つまり大衆を形成する。映画はそのような意味において大衆文化のひとつである。

アメリカの芸術と文化 第1章 アメリカの20世紀 3.ポピュラーカルチャー
『街の灯火』(1931)

チャップリンの『街の灯火』(1931)を例に、映画(メディア)は上流階級や労働者階級の隔てなく文化・集団を形成できる、といった内容が書かれていた。

表現者の到達したいのはこうした境地なんだろうなと思った。自分の感情や解釈を交えてメッセージを作品を通じて間接的に伝達し、人々を動かすことができたときに、表現者としての至上の喜びを感じるんだろうな、と。

僕なんかは工学出身であり仕事人なので、直接的に言及してしまう。きっと聞いた人の心は動かせないし、聞いた人はげんなりしてしまうだろう(自覚的だけどやめらんねえんだw)。表現者の方々も、きっと確たる意思や意見があるだろう。ただ、その伝え方は僕とは違い、作品というクッションを挟む。きっと情報のロスも多いだろうし、受け手によっては意図しない解釈をされるだろう。ただ、作品を通すことで多くの人に届き、表現手法によりメッセージ性を増幅させられる。しかも、楽しんで受けれてもらえる。そんな表現ができるひとたちのことをすごいな、憧れちゃうなと思っている。

私はモノを動かせるが、表現者はヒトや世の中を動かせる。「ペンは剣より強し」なんて言葉もある通り、より大きなスケールで世の中を動かせる人たちの偉大さに感動しています。そんな放送大学生の徒然でした。

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