数学者は感受性が乏しいのか

数学ができるってかっこいい。

幼心に、そう思ったのを今でも記憶している。数学の天才だった兄は、ずっと私の憧れの対象だった。

しかし成長するにつれ、兄が世間から、「変人」「宇宙人」と呼ばれていることにも気づくようになる。それでも、そのことがむしろ、兄の数学の才能の証拠であると思っていた。

理系、とりわけ数学者は面白くないという偏見がある。しかし、これはただの偏見に過ぎない。ただ単に彼らは、思考があまりにも柔軟すぎて、常人には理解できないのだ。

むしろ頭が固く、面白くないのは、いわゆる秀才型の人たちだ。凡人からすれば、彼らこそが天才に見える。しかし彼らは、発想が柔軟なのではなく、記憶力がずば抜けているにすぎない。経験則、データ分析の応用が得意なのだ。

最も有名な数学者の一人である岡潔は、

「人間が人間である中心にあるものは、科学性でもなければ論理性でもなく理性でもない。情緒である。」と述べた。

この言葉は、数学者の本質をものの見事に言い当てているように思えてならない。彼らはむしろ、感受性の強い人間なのだ。ではなぜ、一般からは、感受性が乏しく見えるのだろうか。

その鍵は、「共感」にあるように思う。兄は幼いころから、自分の発想が、同級生、また学校の先生から理解されないことに気が付いていたという。ある時期までは理解してくれる人間を探し、自分の考えを訴えた。しかし、それを理解できる大人はほとんどいない。結果、大多数が受け入れることのできる「論理」に合わせることになる。

つまり、人口比の問題である。感受性が乏しいのではない。共感できる人間が少ないのだ。多くの人が彼らの情緒を受け入れることができない中、唯一受け入れてくれる相手が、数学だった。数学は、自らの柔軟な発想を全面的に受け入れてくれる。そして追い求めていくうちに、深淵で美しい世界へと導かれていく。

そしてふと振り返ると、だれもいない。自分のたどり着いた美しい世界が、多くの人から共感すらされないことに気が付くのだ。それでも、その美しさの前に、きっと寂しさなど微塵も感じないことだろう。

#コラム #数学 #感受性

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