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ひねくれもののアウトプッター

ここのところ(といってもまだ3日目w)、メモの魔力のファクト→抽象化→転用をかなり意識的にやっている。

転用できるアイデアが埋まっていくと、面白くてついついなんでもメモしてしまう。

showroomの前田さんは社内で時折抽象化ゲームなるものをやっているそうで、まさにゲーム感覚でバンバン新しいアイデアが生まれてくるのがとても楽しい。

とりわけ、メモが増えてくると、別のファクトで抽象化したメモが結果的に同じ結論にたどり着いたりもして、「おぉ」と勝手に一人で盛り上がることもある。

こうしてメモを取っていると、これまでインプットしていたつもりでも相当抜けているんだな、と実感する。とにかく、こうしてアウトプットしていくことも大切。できるかぎり継続していきたい。

さてさて、本日はこの”アウトプット”に関連して、いかに私がひねくれものなのか、という話をする。

私の勤め先では原則毎日「営業日報」を提出することになっている。ただ、その決まりを守っている社員は少なく、定期的に書いている人もいるにはいるが、つまらない数値報告が中心となっている場合が多い。

そんな営業日報であるが、入社したての当時の私は毎日それを書くのがとても楽しくて、だいたい700~1000文字くらいの量の日報をずっと書いていた。日報と言ってもテンプレは無く、私は、ただその日考えていたことなどを書き殴っていただけだった。

それが、だんだんと社内に読者も出始め、噂が広がり、ひいては社内評価にもつながり、物書きに憧れていた私は願ったり叶ったりな状況だった。

それを続けて丁度1年が経った頃、社員総会にて、社内で活躍している人をいろいろな部門で表彰することがあった。私も新人賞的なものにノミネートされ、銀賞かなにかを受賞した。

その年度の評価の際に判断基準として一番重きを置いたのが、「営業日報」だということだった。確かに周囲を見渡すと、営業日報を真面目に頑張っている人たちが軒並みノミネートされていた。

役員の説明では、「決して強制されたわけではなく、自発的に営業日報をコツコツ毎日書いていた」という部分が評価に値するということだった。

残念ながら、その日を境に急激に日報熱が冷めた。

何度も日報を書こうとトライはしてみたものの、どうしても「これを書けば評価される」という邪念が邪魔をして、書けなくなってしまった。

そんなタイミングで社内では、「やはり営業日報をもっと大切にしよう」という気運が高まり、緩めの義務化が進み、日報の書き方のテンプレも用意された。

これで”完全に”冷めてしまった。それ以降、私は社内日報界(笑)から姿を消した。

案の定、現在、社内日報界は全然盛り上がっていない。かつて、私を含め、ウィットに富んだ個性ある日報が飛び交っていた時代はまるで嘘のように、つまらない数値報告と、テンプレの「課題」「課題に対する行動」などが一行ずつ書かれた程度のものになっている。

インスタ映えというのはユーザー発で”勝手に”起こるもの。これからはインスタ映えだ、と言っていい歳したおっさんがインスタ映えをあえて狙うと、その下心が見え隠れして、まったく映えない。

それと同じように、当時の日報はなぜ楽しかったのか、なぜ盛り上がっていたのか、役員の人たちは本当にわかっていない。

悲しいかな、コツコツと誰に言われるまでもなく一生懸命やっている人たちを評価してあげたい、という優しさは伝わるので、そこがなんとも言えないところ。インスタ映えを狙うおじさんも、「なんとか若い子を喜ばせたい」っていうことも同時に伝わるから、なんだかやるせない。

実は最近、社内日報界に再び復帰をしようと考えている。

書く内容はこのメモの魔力の「ファクト→抽象→転用」。日々の営業で気づいたことから転用まで持って行けたものを毎日一つずつ書いていき、それを実際に実行する、というサイクルを続けてみようと思う。

なぜ日報に書くかといえば、日報に書いてしまえば、実際に実行せざるを得ないので、ファクト→抽象→転用もかなり頭を使うし、良い反復練習になる。

それに、このやり方がもし義務化されれば、社員全員がファクト→抽象→転用を行うことになり、飛躍的に知的生産性が向上するのではないか、とも密かに思っている。

今回は、社内にこの方法が広がることが裏目的なので、評価されても、義務化されても冷めない自信がある。

よし、やるか。

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