生きることは川か山か

ぼくはよく生きるとはなにかということを考えているが生きることとは地獄の川に入ることだと思っている。だがどの川に入ってもよい。ユルく流れているのか濁流なのか、激しく流れているのかその違いである。




冷たさは大して変わらない。どの川も非常に冷たい。いつか死ぬであろう冷たさがある。だがどの川に入ろうとも冷たさが変わらないのであれば自分に適した川に入っていればいいのだ。




川の選択くらいはできるだろう。必ずこの川に入れということではない。ただどの川に入っても地獄だよという話である。地獄なんだけど流れ行く先が広大な海なのかナイアガラの滝なのかそれはわからない。もしくはどこかの異空間にいくのかもしれない。それは過ごしていないとわからないことなのだ。




山はどうだろうか。ひたすら登った先になにがあるのか。なにもないと思う。登った先にあるのは風景くらいだ。




確かに眺めはいいだろう。だがそれだけなのだ。それだけのためにやるというのを否定しているわけではない。結局登ってもなにもないということだ。さらに登頂するとキリがなくまた次の山を登りたくなってしまうものだ。しかもさらに大きな山を登りたくなる。キリがない。




川は特になにも得ることはないんだけどひたすら流れていく。山は途中途中で得るものがたくさんあるが得たところで山頂までいっても結局なにもなかったと思ってしまう。




結果的に川だろうと山だろうと地獄なことに変わりはないのである。気持ちが楽になるのなら川なのかもしれない。地獄を選びながら生きていこう。



地獄はそのうち終わると思うよ。

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