ハロプロ演劇概論①

今回は、私の大好きなハロー!プロジェクト(主にモーニング娘。)と演劇を絡めて語っていこうと思う。
演劇を絡めて、と書いたけど、基本的にはハロプロの曲、特につんく♂氏が手がけた歌詞、曲に着目して、大好きな所を書いて伝えたいだけの記事だ。

ではなぜ、演劇を絡めて、と前置きしているかというと、私自身の演劇のつくりかた、信念、野心などについては、かなりつんく♂氏のプロデュース、歌詞、曲、そしてハロー!プロジェクトのメンバーの在り方に通じるものがあり、類似性を感じ、勇気をもらうことができているからである。
これぞ人生。これぞ演劇。ということを、ハロオタの人にもそうでない人にも、伝えられたらいいなと思う。
最後にはみんなで、歌い踊りましょう。

さっそく書きまくりたいところだが、なぜ私がハロー!プロジェクトを追うようになったか?を先に説明しておこうと思う。
私はモーニング娘。全盛期の2000年代初頭、世間がそうであったように人並みに好きで曲も歌っていた小学生低学年の女児であったが、特筆してファン、という訳ではなかった。でも、彼女らは国民的アイドルであったから、テレビっ子だった私は当然のように全員の名前を言えたし、ASAYANでのオーディション特集は毎回楽しみにしていた。5期メンバーオーディションをリアルタイムで息を呑んで観ていたことは記憶に色濃く残っている。
友達の家に遊びに行き、E-カラでモーニング娘。の曲を歌いまくったりもしていた。E-カラで歌った『モーニングコーヒー』の画面、今でも覚えている。
なんなら幼稚園生の頃、『恋のダンスサイト』の「恋の重低音」の部分をみんなで歌っていた洗面台の鏡の位置まではっきり覚えている。
また、松浦亜弥『奇跡の香りダンス。』のCDを親に買ってもらい、車の中でリピートしたり、もちろんシャンプーはティセラを使ったりしていた。

小学生女児らしくミニモニ。にもしっかりハマっており、運動会では紅白の軍手をはめ、『ミニモニ。ジャンケンぴょん!』を父母の前で踊らされていた。
実家の部屋には今でもミニモニ。の2002年のカレンダーの表紙だけが貼ってある。ミニモニ。の漫画も持っていたし、特に好きなメンバーは居たわけではないが、強いて言うならやぐっちゃんが好き!と言っていた。

そんな中、2003年。
母の会社の同僚にモーオタの男性がいるらしく、チケットが余ったから母と私へ共にコンサートへ行かないか、と誘ってくれたのである。
ミーハーな母は大層喜び、私も楽しみにしながら、新幹線でさいたまスーパーアリーナへ向かった。
そう、2期メンバー、保田圭の卒業コンサート『モーニング娘。CONCERT TOUR 2003春"NON STOP!"』である。
その時は、「保田圭ちゃん、卒業しちゃうのか。寂しいなあ」くらいにしか思っていなかった。
今、モーニング娘。が大好きになり、保田圭の凄さ、歌唱力、実力を知り、かなり大好きなメンバーになったもあり、あの時の自分に、「もっとよく目に焼き付けておけ!!後悔するぞ!!」と怒鳴りたい。
保田圭の卒業曲は、1期メンバーの福田明日香も卒コンの際に歌った、『Never Forget』のロックバージョンである。(後に、5期メンバーの新垣里沙も卒業曲として歌っている)
それなのに何一つ覚えてない。あり得ない。
しかも、私の大好きな6期メンバーの初お披露目もあったはずなのに、何一つ記憶にない。あり得ない。ふざけるな、小学生の私。
記憶にあるのはミニモニ。のステージだけで、ミニモニ。と有名なヒット曲以外は興味のなかった私は、『ミニモニ。 ロックンロール県庁所在地~おぼえちゃいなシリーズ』が生で観られて大興奮していたことだけしか覚えていない。
ふざけるな、小学生の私。

あともう一つ覚えているのが、圭ちゃんがいよいよ卒業するにあたって、各メンバーとメッセージのやり取りをしたり、コメントをしている時のことである。
私の隣には、母の同僚のモーオタの男性が立っていた。
圭ちゃん、卒業するんだなあ、と人並みにモーニング娘。の好きな私は借り物のしみじみを感じながら、何気なく隣の男性に目をやった。

泣いているのである。

当時、あの母の同僚男性が誰推しであったかは聞いたことがない。
もしかしたら、圭ちゃん推しだったのかもしれないが(あの時代は『推し』なんて言葉はなく、『○○担』という言い方をしていた)、それなら同僚と得体の知れないガキんちょは連れて行かないだろう。たぶん。

私はビビった。自分より遥かに年上の男性が涙を流しているのを見るのは初めてだったのである。
しかも、コンサートのライティングに照らされて、とても涙が綺麗に見えたことをよく覚えている。
私はその頃からめちゃくちゃ嫌な子どもだったので、こんな時、泣いている理由を聞くことが野暮であることも十分承知していた。ファンなのだから、この一生に一度しかない卒コンをじっくり楽しみたいはずである。
しかし、私の中の幼い悪魔の好奇心は止まらなかった。
まるで、コナンくんが「あれれ〜?」と言う時のような白々しさで、私は純粋な子どもを装い、
「泣いてるの?」
と男性に訊いた。
すると男性は、
「汗だよ」
と照れくさそうな、決まりの悪そうな、でもどこか爽やかな感じで言った。
私はやっぱり嫌な子どもだったので、「こういうやり取りって本当にあるんだ」と思った。
そして、私って嫌な子どもだな、と思いながら、その男性には悪いことをしたな、としばらく罪悪感が止まらなかった。

今だからより思う。あの時の母の同僚男性、本当にごめんなさい。
今、私はモーニング娘。が大好きで、あなたが大好きだった世代に今まさに惚れているのです。
また会うことが叶うなら、どうか私とモーニング娘。について語り合ってください。
またどこかで会えますように。

そしてやがて私は中学生になり、やはり世間がそうであったように、『テレビに出なくなったモーニング娘。』には興味を無くしていった。
なんなら、中学生の頃には、「モーニング娘。ってまだやってるんだ」なんてことまで思っていた。思い切りぶん殴りたい。
私は、基本的に人生をやり直したいと本気で思ったことはないが、一つだけ、中学生に戻ってモーニング娘。のオーディションを受けたい、とは強く思う。
もう30歳の私には遅いのだ。
その時の私が興味を持てなかったのだから、どうあっても運命はしょうがないのだが、本当にこれだけは悔しい。
でも、モーニング娘。にもしなっていたら演劇をやっていなかったかもしれない。
なのでこの人生でよかったのだが、とはいえモーニング娘。には本当に本当に、なりたい。今からでも。

そしてその間、時折『LOVEマシーン』を時折思い出したように口ずさんだり、選挙に行く時は『ザ☆ピ〜ス!』の歌詞をTwitterで引用したりなど、ファンとしてではなく、思い出と知識の中で私の中のモーニング娘。は生きていた。

2013年、大学に入学し、初めて演劇に関わることになり、俳優として出演することになった。
オリジナル・ミュージカルを上演するため、まずは団体でのダンスに慣れようということで、アイドル好きの同い年の先輩から用意された課題曲は、ラインダンスも含まれている、モーニング娘。『まじですかスカ!』だった。

私以外の皆はほとんど、その時代のモーニング娘。を知っていたようだったんだけど、私はやっぱり興味がなく、「今のモーニング娘。ってこんな感じなんだな」としか思わなかった。
また未来の私が過去の私をぶん殴る。ここで魅力に気付いていれば、モーニング娘。オーディションの年齢制限にはギリギリ間に合っていたはずだからである。しかし、その時にも興味が持てなかったのだから、やはり私がモーニング娘。になる世界線というのは恐らく無いのであろう。
今はもう、PVを観ても「愛ちゃん!ガキさん!さゆ!れいな!愛佳!9期!!!」と泣きすさぶ勢いだ。あの時何気なく観ていたPVが、伝説的な9期加入の曲であったことは感慨深い。
あの夏休みの練習の甲斐あって、ブランクがあっても『まじですかスカ!』のダンスは忘れずに踊れる。まさかファンの気持ちで今現在、踊っているとは、とんだ人生の伏線回収である。
私の演劇の横には、ちゃんと最初からモーニング娘。は居たのである。

そして『時空を超え 宇宙を超え』、コロナ禍が始まった2020年、運命の時。
なかなか外出もできなくなった中で、いつもようにYouTubeを観ていた。
私は昔からオーディション番組というものが好きで、特に毎年のように放映される『アニー』のミュージカルのオーディションを観るのが好きだった。
観ているとひりひりはらはらして、「こんなに小さな子も頑張っているんだから自分も演劇頑張るぞ!」と思えるからである。
そんな感じで、宝塚の試験のドキュメンタリーや、ライオンキングの子役オーディションなどをどんどん観ていった。

そしてその中に、『道重さゆみ オーディション』といった動画がおすすめに出てきたのである。

6期メンバー、道重さゆみは、モーニング娘。をテレビを通して再びメディアへ知らしめた功労者であるのだが、だから私も存在はよく知っていた。
いわゆる、さゆがそのように世間に見えるように振る舞っていた「ぶりっ子キャラ」を私はそのまま受け取っていたので、特に好きでも嫌いでもない、どちらかというとなんだか嫌な存在であって、「あ、道重さゆみだ。ふうん」としか思わなかったのだが、なんとなく、観てみよう、という気持ちになり、その動画をクリックした。

そこからはもう早かった。
音符もリズムも知らない道重さゆみが、歌唱指導といえばな菅井秀憲氏にしごかれ、成長していくその様。

レッスンがうまくいかない時。
菅井先生が「どうしてモーニング娘。になりたいの?」
さゆ、少し考えて、まっすぐ目を見つめながら、「好きだから。」「モーニング娘。が好きだから」
歴史に残る名シーンである。さゆは、加入から卒業まで、「モーニング娘。が好き」という気持ちで全てを突き進んできた。
(同じく6期メンバー、田中れいなとのやり取りで菅井ちゃんが泣きながら訴えかけるのも勿論外せない名シーン。「音楽を甘く見ないでください。みんなあそこに乗ってる人たちがどれだけ毎日大変なレッスンをしてるか、あなたには分からないでしょ。自分もせっかくこういうレッスンに来れることを感謝しなさい。親にも。人にも。選んでくれた人にも。」背筋が伸びる。だめだ、「こだわりなさい、音に。あなた歌手なんでしょ。」も語りたいが、また今度にします。)

菅井先生とのレッスンを終え、嬉しそうにお礼を言いレッスン室を出ていくさゆ。
「道重、道重」と呼び止める菅井先生。課題曲であるメロン記念日『赤いフリージア』のフレーズをその場ですぐ歌わせる。「ハイ合格、お疲れ」「ありがとうございました」このやり取りが私はたまらなく好きだ。

そして、最終審査で楽しそうにレコーディング室で歌うさゆ。
笑うつんく♂。ワイプの安倍なつみは「つんくさん、楽しそう」と嬉しそう。
つんく♂「アーティストやな。この子自体が作品やな」大名言である。
生まれながらの彼女のアイドル性をこの時点で見抜いていたつんく♂の審議眼には本当に恐れ入る。
こんなに歌えず声も小さかった道重さゆみは、どんどん魅力的になり、可愛く美しく、バラエティもトークも強く、歌も加工はあれど上達し、約12年、最後はリーダーとしてモーニング娘。のメンバーを務めあげた。
彼女が卒業曲に選んだのは、課題曲であった『赤いフリージア』であった。
遥かに上達した歌唱力、表現力で、ピンクのペンライトに囲まれ、お姫様のようなドレスで一生懸命歌うさゆ。

今や、各界の著名人が『一番好きなアイドル』として名前を挙げることも多い道重さゆみである。
私の中でも、すっかり大好きなメンバーになった。今でも6期が一番好きである。

オーディション動画を観てから、このさゆがつんく♂にラーメンを作る動画を観ると、本当にしみじみする。
「リーダーになったなあ」「なりました」という、二人のやり取りに歴史を感じ、またつんくとさゆの間の、信頼と愛が伝わってきて、たまらなくて何回も観てしまう。

こんな彼女の歴史を知って打ちのめされた私のYouTubeのおすすめ欄には、過去のASAYANのオーディション動画やモーニング娘。の曲が大量に出てくるようになった。
おすすめに出てくるまま、思い出を懐かしむように、どんどんどんどん動画を観て詳しくなり、すっかりモーニング娘。にハマってしまった。

そんな中、私は特にレコーディング映像を観るのにハマっていた。
当時、ASAYANでは新曲が出る度にレコーディングについてのドキュメンタリーを収録しており、その中でも『恋のダンスサイト』のレコーディング映像は私に衝撃を与えた。
プロデューサーでありながら自身もアーティストであるつんく♂は、自らブースに入り、メンバー一人一人の横に付き、指示しながらレコーディングを進めていく。
つんく♂は意外性やハプニングを楽しむアイデアマンであり、メンバーが歌う中、インスピレーションがあれば即興で音符が付いていた歌詞を台詞にしたり、少しリズムや音を変更したりする。
その中でも印象的なのは、3期メンバーの後藤真希とのレコーディングで、何回か後藤が歌をミスし、「あらららら…」「あ、なんだ!」とミスを嘆くように発言するのだが、なんと実際の曲にその時の発言が使われていたことである。

2:05〜の後藤の『あらららら…』がその音源である。
また、『あ、なんだ!』はこの曲のラストに使われている。
矢口真理の有名な『セクシービーム!』もレコーディングの際、綿密につんく♂によりディレクションされたフレーズである。
(ちなみに、『セクシービーム』の元ネタはお笑いコンビ FUJIWARAの『チクビーム』であり、矢口もしっかりそのポーズをしている。つんく♂とFUJIWARAは昔から親交が深いのである。)

このように、メンバーから出たアドリブをその場で楽しそうに転がしたり、(つんく♂は関西の人だから、「使ってまえ精神」みたいなものがある気がする)時には自ら歌いながら指示出しや演出をする時のつんく♂は、まさに私の中の「演劇のつくり方」と一致していた。
なんとも厚かましい発言をするが、私が演劇をつくる時の演出の仕方とつんく♂のレコーディングの仕方は、かなり似ている、と感じる。
他のレコーディングがどうかは分からないが、なんというか、つんく♂のやり方は音楽業界の中でも多分かなり演劇的なのではないだろうか?

そんな、つんく♂及びハロー!プロジェクトの持つ『演劇性』『泥臭さ』に惹かれ、しっかりハロオタになった私なのである。


とはいえ、私はなんだかんだ初期〜11期まで、つまりつんく♂が総合プロデュースをしていた時代のモーニング娘。が好きで、12期以降は、顔と名前はわかるものの、曲もあまり聴けていない(きちんと歌えるのは『泡沫サタデーナイト!』くらいである)。
アンジュルム(スマイレージ)、こぶしファクトリー、つばきファクトリー、Juice=Juice等には全く詳しくなく、なんとなく誰がいるかがうっすら分かる程度である。
Berryz工房も最近ようやく聴き始めたところで、「ベリを全部聴いてないのにハロオタを名乗るな」と誰かに怒られそうである。
℃-uteもそろそろ聴かねばというところで、ハロオタとも、モーニング娘。オタクとも名乗るのが申し訳ないくらいなのだが、でも2020年以降、自分のペースで少しずつハローを知っていくことにしている。
モーニング娘。にハマった当初も、まだ10期、11期メンバーは自分のペースに合わせて知っていこうと思っていたくらいである。
ベリも℃-uteも、これから知っていけばいくほど、リアルタイムで応援できなかったことを悔やむのだろうなあ。

そんなところで、でもつんく♂の在り方やそれを体現するメンバーたちが好きなら、私はハロオタをここでは便宜上名乗って行きたいと思っているので、まだまだ事実上は新参者のような感じですが、歌詞と曲に注目して、『演劇とは』『人生とは』を書き連ねていこうと思います。

自分とハローの出会いだけで、大学のレポート並に書いてしまった。まさかこんなに長くなるとは。きりが良いので、実際に歌詞や曲について語っていくのは次回からにします。

それでは。がんばっていきま〜〜〜〜っしょい!

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