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【人怖】たったひとつの冴えたやりかた

これは私が子育て支援のボランティア活動をしていた時の話です。

当時まだ、子育て支援センター等が普及しておらず、子育てをする母親の孤立が問題になっていました。
良くも悪くも時代が変わり、核家族化が進み、地域社会との繋がりも希薄になり、子育て中の母親の孤立が浮き彫りになってきていた時分。
母親が気軽に息抜きできるようにと、公共施設を使って乳幼児の遊び場の提供と、傾聴による育児ストレス発散。子育て力の向上を目指したセミナー企画などをしていたのが、私の所属するボランティア団体(子育てサロン)でした。

そんな子育てサロンの代表を務めていたのが、トモさんです。

トモさんは3児の母で、自分自身も子育て中に子育てサロンにお世話になっていた方でした。
『今のお母さんには、憩いの場が必要だ』と感じ、2代目代表になることを決めたそうです。
私はこのトモさんが代表の時に、ボランティアスタッフとして子育てサロンに関わることになりました。

トモさんは、よく気の利く人でした。

子育てに悩んでいる母親の話を聞き、孤立して気持ちの落ち込んでいる人を、敢えてサロンスタッフに誘い入れたり……話術にも長けていて、独特のカリスマ性がありました。
フットワークも軽く、育児セミナーの企画にも積極的で、人と人を繋げる力を持った人です。
「少しでも誰かの力になれたら嬉しいなぁ。」
そう言って微笑む姿をよく覚えています。

ある時、保育のお仕事で酷く落ち込んだことがありました。

私のクラスの園児が、突然、ご家庭での事故で亡くなったのです。
言葉にならない深い悲しみに、トモさんはただ寄り添ってくれました。
等身大で、人の痛みに寄り添える人。
相手の目線に自然と合わせてくれる人。
その人柄の良さに、代表がトモさんで良かったなぁと私は思っていました。

仕事が忙しくて、半年ほどボランティア活動に参加できずにいたある日のこと。

スタッフのナカノさんに、「相談したいことがある。」と電話で言われました。ナカノさんは、トモさんの右腕的な存在です。
その声色にただならぬ気配を感じて、自宅に呼び寄せて話を聞くことにしました。
ナカノさんは、言葉を慎重に選ぶように話します。
「トモさんが、ア◯ラー心理学というものにハマってしまって、子育てサロンに影響が出て困っているの。」
突如出た単語に、私は思わず聞き返しました。
「ア◯ラー心理学?」
今でこそ書籍などで話題になっていますが、当時はそこまで有名な学問ではなかったため、私は首を傾げます。
「ア◯ラー心理学の講師を招いて、心理学的なアプローチから子育てを理解する、みたいなセミナーをトモさんが企画して、やったんだけど……。」
ナカノさんがそこで言い淀み、何か思案してから、私を真っ直ぐ見て言いました。
「あれから、トモさんおかしくなっちゃって。アドラー心理学ではこうだから!って、急に全てが説教っぽく、上から目線になるし。心理学の偉い人の講座を受けて資格を取ったらしいんだけどさ……あれは多分、学問を装った新興宗教なんじゃないかな。」
新興宗教。
あのトモさんが?
「資格を取ったから、この街では私が伝道師って感じで張り切っちゃって。聞いたらその資格を認定する本部に、かなりお金払ってるみたいだし。『私が講師になって、子育てサロン主催でセミナーを開く』とか言い出して……参加費が、2万円とかするんだよ?」
ナカノさんの話を聞けば聞くほど、信じられません。
あのトモさんが?
だって、半年前はいつも通りだったのに。
「だから、みおさん。今度臨時の総会を開いて、トモさんには代表を外れてもらうつもりなんだ。代わりに、みおさん代表をやってくれない?」
ナカノさんの声が、遠くに聞こえました。
「それは、ナカノさんだけがそう思ってるんじゃないってことだよね?」
問う声が震えます。
「うん。旧スタッフは、みんなそう考えてる。トモさんが連れてくる取り巻きが少ないうちに、多数決でカタを付けたいの。できるだけ早く。」
そう言われて、私はしばらく言葉が出ませんでした。
「……少し、考えさせて。私も、トモさんと話してみる。」
ようやく振り絞った言葉に、ナカノさんはハッキリ言います。
「止めた方が良いよ、話にならないから。」
悲しみを含んだ声でした。

その後。

私はすぐに、トモさんに連絡しました。

翌日には会う約束をして、いざ会ってみるとトモさんは柔和な物腰で、何も変わっていないように見えます。
(やっぱり、ナカノさんが過剰に不安がっているだけなんじゃないかな。)
そう思いながら、慎重に言葉を紡ぎました。
「ナカノさんから聞いたんですけど、トモさん、最近心理学の資格を取って、張り切ってるって……。」
ナカノさんの名前を出した途端、トモさんの表情がスッと無くなりました。
「ああ、あの子、私の目的ケチをつけるの。私の声は、みんなの声なのに。」
一瞬何を言われているのかわからなくて、言葉を失います。
トモさんの言葉をどうにか噛み砕いて、私は聞きました。
「トモさんの言うことが、スタッフの総意だって言いたいんですか?」
トモさんはキョトンとします。
「ア◯ラー的に言うと、共同体だから、当たり前じゃない。」
目の前が、暗くなったような気がしました。
「ナカノさんは、トモさんの考えについていけないみたいでしたよ?トモさんのいう『みんな』って誰ですか?ナカノさんは違うんですか?」
思わず、強い口調になります。
「それは、ア◯ラー的にはナカノさんの問題でしょう。私の問題じゃなくて、ナカノさん自身が共同体に抱えている問題だから、私は関係ないよね。」
何を言っているのか、理解できない。
「ナカノさんが言ってたんですけど、トモさんが講師になってセミナーを開くって……参加費が2万円らしいですけど、子育て中のお母さんが払える金額じゃないと思いませんか?」
辛うじて、話題を変えて言葉を続けます。
「ア◯ラーの学びを得るんだから、2万でも安いよ。私なんて、同じ内容を学ぶのに50万くらいはかけたよ。」
絶句する私に、畳み掛けるようにトモさんが言いました。
「少ししかお金を払わない人は、それだけの学びしか得られないの。お金を出してこそ、良い学びが得られるのよ。」
その顔は、明るく自信に満ちています。
「……それ、本気で言ってますか?」

『あれは多分、学問を装った新興宗教なんじゃないかな。』

ナカノさんの言葉が、脳裏をよぎりました。
私の声色に、非難の色を感じ取ったのか、トモさんは少し語気を強めて言います。
「あなたが私の価値を理解できないなら、別にいいよ。それはあなたの問題ってだけで、私には一切関係無いから。」
きっと、何を言っても響かない。
「嫌われる勇気って、ア◯ラーが」
またか。
またアドラーか。
いい加減にしろよ、アドラー。

「もういい!」

言葉を遮って、私は言いました。
「それが、トモさんの考えなんですね。今後、私やスタッフに一切関わらないでください。」
きょとんとするトモさんの顔を真っ直ぐに、見る。
「良かったですね。これでトモさんと私の間には、お互いになんの関係も無くなった。」
動け、動け、動け。
誰か。
トモさんの心を動かす言葉を私にください。

「さようなら、トモさん。」

トモさんの瞳は、揺れない。
自分が正しいと信じて疑わない瞳でした。
その瞳を見届け、背を向けて、歩きます。

どうしてこうなったんだろう。

私は、トモさんに助けられたことがある。
クラスのお子さまを事故で亡くしたのに淡々と仕事を終えて、全く泣けなかった時。自分の薄情さに嫌気が差して、その日はもう、心が荒れに荒れていました。
どうして、どうして。
悲しみより、沸々とした怒りが私の中で弾けていました。
次の日、ボランティアに行った私は、きっと酷い顔をしていただろうに……何も言わずにただお菓子やお茶をそっと横に置いて、ずっと隣に座っていてくれた。

トモさんは、そういう人でした。

どこに消えたんだろう、あの日のトモさんは。
それでも。
それでも私に、あの時寄り添ってくれたことは、この先絶対一生忘れないでいるから。

じわりと、涙が滲みました。

信仰って寄生虫のようだ。
カタツムリに寄生する、ロイコクロリディウムみたいに、宿主の行動を操る。
カタツムリは幸せなんだろうか。
どうか幸せでありますように。

その後。

私は、子育てサロンの代表になる決心をしてすぐに動き出し、トモさんから代表の座を奪いました。
最後に。
トモさんは私に向かって穏やかに笑い、「あなたの目的のために頑張ってね。」とだけ言って、去っていきました。

たった半年で、人が変わってしまったトモさんを目の当たりにして、私はしばらく怖くて仕方ありませんでした。
人間って、怖い。
こんなにも簡単に、変わってしまうのか。
そう思ったら、自分や親しい友人もいつかそうなってしまうかもしれないと不安になり、眠れない日が続きました。

そんな時、久しぶりにユキちゃんに会いました。

ユキちゃんは大学の時からの友人です。
アルビノでロリータファッションでヘビースモーカーという、なんとも強烈なキャラクターでした。
私の横でガンガン煙草を吸いながら、話を一通り聞き終わると、「真面目だね〜、相変わらず。」と私に向かって煙を吐きながら呟きます。
「あのさ、副流煙って有害物質が豊富だって知ってる?」
思わず抗議すると、ユキちゃんは「私は、一緒に死んで欲しい人の横でしか吸わないの。」と涼しい顔で言いました。

あ、と思います。

ユキちゃんは、大学の頃から何も変わりません。ライフステージがどんなに変わっても、ユキちゃんはユキちゃんのままです。
「私はずっと変わらないでいてあげるよ。むしろ変わったら殺して?私じゃなくなるくらいなら喜んで死ぬから。」
物騒なことをサラリというユキちゃんに、妙に安堵して。
その日から、普通に眠れるようになりました。

今振り返ると、考え方が極端過ぎて、とにかく若かったなぁとしみじみ思います。

これは私の実話です。

※ア◯ラー心理学や宗教を否定するお話では全くありません。むしろア◯ラー心理学について浅い知識しかなく歩み寄れなかった、痛い記憶のお話です。ア◯ラーさん、誤解を招くような書き方してごめんなさい。
あの時もっと、きちんと話し合いでどうにかできたんじゃないかなぁと、今でも思います。
トモさんは変化を望み、私は変化を望まなかった、ただそれだけなんですけどね。
新年度、新しいスタートに書きたかった思い出話でした。


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