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【実話怪談】一生に一度だけ

〈第十九話〉

母の話をします。
母は看護師で、とても働き者でした。

子どもを5人も生んで育て、更にはあの浮世離れした父を支えながら生きた強い人です。度重なる引っ越しにもめげずについていき、立派に子育てをした母は、もはや私の中で伝説の存在になっています。

父とは違った意味で突き抜けた人で、休むということを知らず、常にせかせか動き回っていました。今振り返ってみても、母がゆっくりしているところを私は見たことがありません。とにかく常に何かをしていました。

「落ち着かないから、座らないか?」

生前父が母にかけている言葉で、1番多かったのは多分この言葉でした。父は反対に、家にいる時はほとんど動かず、漫画や本を読んでいました。
お気に入りの椅子に腰掛け書物に親しむ父。そんな父の周りをチャキチャキ動き回り、母があれこれ世話を焼きます。ある意味、お似合いだったのかもしれません。

父は霊感のある不思議な人でしたが、母はこの上ないリアリストでした。新聞から世の情勢を読み、社会的な問題から目を背けずに情報収集をして、子どもたちによく伝えていました。

「今日はこんな事件があったの、本当に酷い。どうしてこんなことができると思う?」

「この新聞記事は今必要な情報だから、見ておきなさい。」

などなど、食卓で繰り広げられるのは、いつも母のそんな言葉でした。おかげで私たち兄弟は、母と暮らしていた期間の時事には詳しく、ディスカッションも人より少し得意なようです。

そんなリアリストの母とロマンチストの父がどうして惹かれ合ったのか……本当に不思議です。たまに父が怪異を口にしても「私には見えないからわからない。」と、どこ吹く風でした。

さて、そんな母が一度だけ見たという怪異の話をします。どうしてそんな話になったのか、全く覚えていませんが、母は私に語ってくれました。

「一生に一度のことだと思うけど、私は子どもの時に火の玉を見たことがある。」

そう言って、母は以下のような話を聞かせてくれました。

母が小学校低学年の時のお話です。

母は活発な女の子で、学校の放課後には近所にある神社に集まり、毎日鬼ごっこやら縄跳びやら、日が暮れるまで友だちと遊んでいたそうです。神社から自宅までは少し距離がありましたが、幸い近道があったとのこと。

その近道は、墓地でした。

墓地を抜けると最短距離だったため、母は迷うことなくいつも墓地を抜けて行き来していたそうです。

ある秋の日。

いつものように暗くなるまで神社で遊び、友だちと別れ、墓地を抜けようとした母の目に、強い光が飛び込んできました。

煌々と輝くそれは、ある墓石の前で宙に浮き、本当に、息を呑むほど美しかったそうです。

紅にオレンジが混ざったような色味で、熱をもって輝くそれを、母はすぐに「火の玉だ!」と思いました。

あまりの美しさに、もっと近くに行って間近で見たいと思った母は、ギリギリまで近くに寄り、火の玉を覗き込みました。


「そこには……。」


と、言った母はしばらく黙り、全く別の話を始めました。

「広島の原子爆弾って、もう学校で習った?」

突然振られた話に、驚きながらも頷く私に、母はこんな話をしました。

「広島で原子爆弾が落ちた時、それはそれは強い光が放たれたそうなの。何十万人もの人たちが焼かれて命を落としたあの光を、遠くで見ていたお寺の住職さんが見てひと言、『美しい……。』って言ったんだって。酷く不謹慎だよね。」

一体何の話だろうと、首を傾げる私に、母は言いました。

「私が近付いて覗いた火の玉の中には、恐ろしい数の人間がいてね……。焼かれて、蠢いて、苦悶の表情を浮かべて、酷い臭いがして。あまりの光景に、思わず腰を抜かしちゃったよ。」

淡々とした語り口に、ゾッとしました。


「あれはもう、地獄そのものだった。」


どこか遠くを見るような、真剣な表情の母の横顔を、よく覚えています。

地獄が、そこにあったとして。

生命を燃やし輝くそれは、本当に美しいのだろうかと、私の好奇心は膨らみましたが。

それを見たいと願うのは、なんと不謹慎なことなのでしょうか。それこそ、地獄に落ちる所業かと思うのです。

これは、母の実話です。


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