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#310 リケジョ問題の本質は何か?(2)女性特有の職業の選択軸とは

前回は、女性の職業について書きました。
#309 「リケジョ問題の本質は何か?(1)他の職種と比較する」
https://note.com/hydeji/n/na6a438d9939d?magazine_key=m8247765a68ad

IT技術者の30歳の崖で「こうなると問題は、能力、スキル、出産・育児、体力、労働環境、収入といったことでは無いことになる。」と書きました。

さて女性はどういう基準で職業を選択するのでしょうか?

経済学者なら、まず「収入が高い」を考えるはず。それならばみんな医師になったり上場企業の社長を目指すはずです。そんなことはない。

まず、「能力」「適性」が無いといけない。国家難関試験があるなら突破しないといけない。女子アナウンサーになりたいなら1000倍の面接をくぐり抜ける必要がある。MIT大学院の博士学位を得て物理学者になってもいいでしょう。ハーバードMBAを取得しマッキンゼーやゴールドマンサックスへ行くのもいいし、東大法学部から財務省へ行くのもありだ。なんとか48に入ってアイドル選挙を勝ち抜く、オリンピックのマラソンで金メダル・・・まあ特殊な事例は外す。普通の人の話だ。

能力が高くても「好き」「やりたい」である必要がある。(現実は「嫌いではない」「やりたくないことはない」程度に妥協することもあるが。)なぜなら1つしか選べない、同時に二つは現実的でない。(二刀流は同じスタジアム、スケート+自転車は季節が違う。)これは「囲碁・将棋」のところで書いた。将棋が好きで強くても、途中で辞める。ピアノも水泳もそうだ。ほとんどの人は受験の期に終わる。食べていけないことがわかってくる。趣味で続けよう。

以上は男でも同じである。さて、女性はさらに何の軸が強いのだろうか?と考えてみよう。

(1)イメージが良いこと
自分から見たイメージ、他人から見た自分のイメージは大事である。

理系の学科や科目を冷たい温かい(暖かい)で分けてみよう(黒、青⇔赤、オレンジでも良い)

機械工学、力学、電磁工学、土木、コンクリート、コンピューター(デジタル)、宇宙工学、水理・・・冷たい

生物学、医学、看護、昆虫、生き物、木、自然、生命、アナログ・・・温かい

女性は温かい方を選ぶのである。血が通っているのが温かいのだ。しかも温かい自分が好きであり、外から「温かい人」に見えることを望む。

柔らかい、軽い、安全、清潔そう、きつくない・・・イメージも大事だ。

これは学部もそうだ。

経済学 ⇔ 家政学
工学  ⇔ 医療系
数学物理 ⇔ 生物化学
構造工学 ⇔ 住宅学
土木 ⇔ 都市計画
金融 ⇔ ファイナンシャル・プランナー
法学 ⇔ 社会学

文学、教育学、人間科学、心理学、外国語、国際学部、医歯薬、看護学、保健、福祉、獣医、栄養、美術、音楽・・・である。温かいではないか。意外と充実しているのである。女性を取り込もうという涙ぐましい努力が感じられる。ただし学問的には?であり、医学を除いて自然科学系ノーベル賞は取れない。
理学、商学、情報は女子にビミョウ。情報学と言っても、計算機科学は冷たいので無理であるが情報コミュニケーションなどと暖かく(簡単に)すれば女子が来てくれる。環境学もそうだ。
工学が入る余地などない。冷たい上に、重い、固いイメージもあるから特に機械や建築構造、土木など入る訳はない。いわゆる3K(きつい、きたない、危険)とも関連する。

(2)身近、役に立つ
この軸も彼女らにとって大事である。就職希望ランキング(女子)を見ればいい。

日用品(トイレタリー化粧品)、食品、旅行、マスコミ、インフラ、教育英語系などである。
B2C、消費財である。自分が使ったり目にしている。テレビCMしている。
銀行は企業向けであるが、一応預金相手になるし、CMやっている。
親や友人に「あーその会社知っている」わかってもらえることが大事である。「今度、チケット取ってあげるね」と言えれば重宝がられてうれしい。

逆にダメなのは、B2Bのお堅い会社とか、卸売り、部品とか作っている会社。バネやネジなんか興味あるわけないじゃない。自分も家族も友人も。テレビCMをやっていればマシであるが、それは技術者を集める大企業。
B2Bで縁の下であっても、総合商社とか大手広告代理店、国家公務員、外資系IT・コンサルなんかはOK。英語ができて海外出張あったり、何よりハイスぺの男に出会って寿の可能性もある。そうすると合コンが楽しくなるではないか。

さらに知識という点で、妻や母親になった場合の事も重要である。大規模システムの一端をつくっても家庭や生活に役にたたない。宇宙産業、海運取引、ダム工事、工場稼働の知識は生活に関係ない。

しかし、銀行証券生保でお金を学ぶことは役に立つ。法律系や不動産系もいい。看護や薬学の知識もいい。お菓子やコスメ情報もみんな好きだ。英語や数学、ピアノを教えられる母親はいいと思う。旅行に詳しければ家族や友人から称賛を得ることだろう。こうした身近なお役立ちは女性にとって重要であり、彼女ら自身の価値の尺度となる。

(3)マミートラック
結婚、出産、育児を考慮したい。
辞めたときに何が残る?復帰しやすいことも重要である。
薬剤師、看護師、美容師、教師、生保はその点有利である。夫の転勤で新天地に行っても何とかなるだろう(実際はやらなくても)。

こうした軸は、結婚する前からウスウス感じており、それで職業選択の際に大きなポイントとなる。ということは学部学科を選ぶ際に決め手となる。

(4)アンチ徒弟
古式に残る徒弟制度が苦手である。特に職人かたぎ。罵声、大きい声、タバコ臭く、先生の顔色を窺い、ときにはセクハラである。
現場仕事、職人さん、料理人、卸商店、小さな資格系事務所などに残る。
人間関係が大変なのは男も同じであるが、そこは生きるために「男」「器」で耐え忍んで乗り切るしかない。女性にとってはバカバカしくなるのだろう。おじさん会社においても同じことだ。うんざりする。

(5)責任回避
もう一つは、職業ではないが経験を積んでリーダーになった場合である。ある大きな仕事を任される。あっちこっち向いたベクトルを一つにまとめ、人間関係の中に入る。これは男でもできない人がいる。男にもひどい嫉妬があるが女性同士の嫉妬はたちが悪い。こんな目にあうくらいならリーダーにならない方がまし。保育園へお迎えのため先に帰るのもためらう。興味のある仕事ならまだしも男世界のジミな仕事で責任が大きい割にそもそも楽しくない。誰からも評価されない。あー私って何やっているの?何がやりたかったの?と。逃避的に短期留学を考え始めるのはこういう状況。

例えば女子スポーツの監督は男が多い。日本代表に近づくほどそういう傾向にある。たとえそのスポーツをやるのは大好きであっても。これは上記の理由があるのではないだろうか?仕事に就いたのはいいが、30代半ばになってリーダーになる時期はきつい。大企業では育児中の女性就業は高くなっている。しかしデキル女性でも「役職のない名刺」が多くなっているのが現実なのである。(これは冷遇されている場合も多いが)

ましてや理系女子の現場で、たとえば建築を学び大手ゼネコンに就職し、巨大プロジェクトを任されて職人がいる現場で女性がリーダーになることなど想像がつかないのである。これはロケット打ち上げでも巨大加速器でも同じような気がする。研究活動もチームである。しかも多国籍になっている。研究室を運営し事務作業が膨大になるから人を雇う。予算がなければ何もできない。一人で本とエンピツで論文書く時代ではないのである。

そうであっても家庭がなければがんばる女性はいるはずである。しかし、日本の家庭の形はそうなっていない。独身で始めても途中で終わってしまうのは嫌だ、だったら最初からやらない方が・・・ということになってしまわないか。チームや責任が嫌ならば、一人で論文を書くか小説エッセイを書いて生きていくしか残っていないのである。その場合は才能あってしかも持続する必要がある。そんな人は滅多にいない。

さて以上から、理数系のリケジョはかなり不利となった。
日本はこれらを払拭して50%に持って行くためにはどうすればいいのだろうか?

概ね上記の傾向はどの国にもありそうだ。

NHK-BS世界のドキュメンタリー「“リケジョ”求む!」原題:Wanted:Women in Science(フランス 2021年)参照
https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/7YJJRMVX2V/
しかし、国によっては女性がもっと活躍しているのであるから日本もできるはずである。

まず、「イメージ」は横山先生たちががんばって徐々に良くなっていくと思う。その間は、アファーマティブアクションも仕方ないかもしれない。

おじさん社会をどうするか。女性が来なかった(外されていた)業界はおじさん型になってしまっている。トイレを綺麗にするような物理的な修正はすぐできるだろう。問題は社会的にそうなっていないところが多数あること。「先例がない」とおじけづき、挙句の果てに「生意気、男の居場所が奪われる」など抵抗されるのは予想される。日本のムラ社会はすごいゾ。論理など通用しない。「理不尽」という言葉がぴったりの世界である。小学校から大学まで女子だってがんばれば報われたのに、社会に出たとたん「あれ?」っとがっくりくるだろう。これも一つ一つ闘って勝ち取っていくしかない。結構、世論が進んだと思っても、「でもウチは違う」というおじさん、おじいさんがいるから気をつけて。なにせ女性がいない前提でがっちり固まってしまったのだから。おじいさんが居なくなっても安心できないのだ。また古いおじさん、おじいさんが次から次へと生まれてくるのだ。不思議な事だ。アクションが無い限り、淡い期待しても時間で解決なぞ絶対にしない。

当面の活動は上の二つになるだろう。ジェンダー平等、リケジョの問題もこれらに力点を置いている。OECD平均までは行ける。

しかし残るのは(3)である。これは(4)(5)も関係する。これは「おじさん型社会」の問題と混同されるが、全く別個に考えた方がいいと思う。これは万国共通の社会性の問題ではあるが、日本特有の制度や法の問題も複雑に絡んでいて意識の問題で済ますことはできないからだ。

「夫が家事を半分やればすむこと」「女性だけが自己実現できないのは不公平」という女性からの意見は強くなっている。

この問題は、仕事や職業の取り組み方の男女差ということである。家庭として見た場合、家事の能力差、好き嫌いがある。そこで分業、分担をどうするかの家庭問題の争いになりがちである。戦争と言ってもよい惨状が毎夜来る広げられているのは想像できる。効率性から考えれば「比較優位の原理」から分担した方がいいとなる。台所でウロウロされると却ってジャマ。勝手に場所変えるな!と怒られるのが関の山。結局、オマエはゴミ捨てと風呂掃除やっておけとなる。しかしそうなると結局女性に負担がかかってしまい、それは納得してはもらえないだろう。男は輸入超過の赤字国であるから、せめて資本移転せよとなる。

実際に日本の家庭はそうなって来てこなかった。男が外で働き、女性が専業主婦で・・・

考えてみて欲しい。女性1人が外で戦う相手は1人ではない。夫+専業主婦で2人がかりを相手しているのだ。子育て負担があれば、例えば8割の力しか発揮できないとすれば、相手の夫婦は1.8である。0.8:1.8の試合なのである。これは独身男性にも言えることであるが、彼はすぐに1.8になる。

このように出産育児のマミートラック問題は、仕事や家庭というものあり方について「個人」なのか「世帯」なのか、どちらでとらえるのかという問題に帰着する。リケジョの話から飛躍したように思えるが、私の言いたい事はここにある。つまりリケジョ以外でも、全ての女性の仕事の問題はここになる。だから表面的な修正しても終わらないのだ。おじさんを排斥しても、トイレを増設しても、女性に定員ポストを増やしても根本的な解決にはならない。リケジョ30数%がせいぜいで頭打ちになるだろう。

「個人」であれば、女性も100%実力を発揮するのが当然であり、そうした社会設計に転換しなければいけない。「世帯」で行くならそうした社会を受け入れるしかない。もちろん各家庭で違うし、時間が経てば変わってくるだろう。そうした自由度をどこをどこまで緩めるのか?という事なのである。

次回は「個人」か「世帯」かの議論に移る。先に書いてしまうと、これはイデオロギー的な根幹的な議論になる。1つに決められないので、真ん中で揺れる。だから歴史的な変遷があり、各国の対応もかなり違って見える。ツギハギになるから複雑に見える。答えのない試行錯誤が続いているのである。


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