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伊能忠敬のローテク測量器で本当に正確な地図が作れるのか?シミュレーションしてみた

はじめに

 天文雑誌「星ナビ」のバックナンバーを漁ったところ、以下の記事が目にとまる。

室井恭子, 2021. 大日本沿海輿地全図200年 地を歩き天を測った伊能忠敬のあしあと.星ナビ. 22(10): 50-57.

天文誌の記事ということもあって、天文愛好家向けに伊能忠敬の業績を紹介した良記事である。伊能忠敬と言えば、江戸時代後期に信じられないほど正確な日本列島の地図を作った人として有名だが、実は、そのマインドはあくまで天文家だったらしい。そのため、地図作成のための測量にあたって、天体観測により緯度の測定も行っていたことが紹介されている。緯度を測定するには、北極星の高度や、他の適当に明るい星の南中高度を測定すればよいことは容易に想像つくのだが、伊能は何と驚くべきことに、経度の測定にまで挑戦していたらしい(!)。経度を測定する場合、例えば、特定の天体が南中する時刻が場所によってどう違うかを調べる必要があるが、そのためには、長期に渡って正確に時を刻む時計がどうしても必要となる。高精度の時計がないあの時代に、伊能がどのようにして経度を測ろうとしたのか、その驚くべき発想については上記記事に譲る。

さて、元実験物理屋として気になる(というか血が騒ぐ)のが、伊能がいかにしてあれほど正確な地図を作ったのか?という点である。上記記事でも紹介されているが、伊能が測量に用いた器具は大変ローテクな代物で、いくら根気強く測量しても、そもそもあれほどの精度が原理的に出るものなのか、どうもピンと来ないのである。例えば、方位角を読むとき、どの程度の慎重さが必要だったのだろうか?1度刻みの目盛りの1/10まで読む必要があったのか、それとも、ざっくり±1度くらいの誤差は許容できるレベルだったのだろうか?
 そこで、伊能が用いた測量器具の現実的な測定精度を想定して、結果として生じる地図の誤差をシミュレーションしてみた。測量に関してほとんど無知のド素人(これはおそらく伊能も同じだった?)による見積だが、結果として、

確かに、個々の測量をサボらずにちゃんとやれば、十分可能なレベル

であることが分かり、個人的に納得に至った。同様の疑問を持ったことがある人は多いと思うので、シミュレーションの内容を紹介する。

伊能による測量の原理

伊能忠敬の偉業に関する記事は多数あるし、検索すれば測量器具の写真もいろいろ出てくるので、詳細はここでは割愛する。さて、地図の作成とは、実際の土地に設定した測量点の座標の数値を決めていく作業に他ならない。伊能が作った地図はあくまで日本全土の海岸線に沿った地形であるので、本質的に重要なのは、水平面内における方位角距離の測量となる(土地に起伏がある場合は傾斜角も測定して水平方向の距離に換算する必要があるが、ここでは省略)。伊能の測量法は「導線法」「交会法」と呼ばれる単純なもので、下図を見れば、その原理はすぐに分かる。

図1. 導線法

導線法は、上図のように海岸線に沿って測量点を設定し、ある点から見た次の点の方位角と、その2点間の距離を測定して行く方法である。これを海岸線に沿って続ければ、原理的には測量点の座標を求めることができるだろう。ただし、この方法を続けると、どうしても誤差が蓄積するので、所々で補正が必要となる。その手段が交会法である。

図2. 交会法

上図のように、各測量点から共通して視認できるランドマーク(山の頂上等)の方位角を測定しておく。ランドマークまでの距離は不明のままでよい。もし、各測量点の座標が正確に求められた場合、各点で測ったランドマークの方位角に向かって直線を引けば、すべて1点で交わるはずである。そうならない点がある場合、その点の座標を見直せばよい。では、このランドマークとして、どれくらいの距離にあるものを選ぶべきか?自分の理解するところでは、補正したい範囲のスケールと大体同じスケールの距離にある目標物を設定すべきである。高々10 kmくらいの範囲の測量値を補正をするために、例えば200 km先に見える富士山をランドマークとしたところで、10 km四方程度の範囲では富士山の方位角はどこから見ても大して変わらないため、補正にはあまり役に立たない(もちろん、100 km単位の大局的な補正には有用となる)。

ローテクな測量器具

それでは、伊能はいかなる道具で上記の測量を行ったか?これも検索すればすぐに画像も出てくるが、驚くほどローテクな代物である。検索してすぐに出てきた伊能忠敬研究会(こんな学会があるのがすごい!)のサイトにある展示品リストと、水野テクノリサーチのサイトの記事を参照して、距離と方位角の測定器具について簡単おさらいする。

距離の測定:
測量年次によって用いた道具は異なるようだが、主に用いたのは、「鉄鎖」と呼ばれる、長さ1尺の細い鉄の棒を60本連結したもののようである。1尺=30.3 cm程度であるから、18 mくらいまでの距離を測定できたことになる。上記リンク先の画像を見ると、太さは1 cmくらいに見えるので、重量はざっと10 kg前後だろうか。まあ、運べない重さではないだろう。鎖をピンと張った状態で使う限り、原理的に正確に測れそうである。誤差は、10 m当たり10 cm(1%)程度か。
 ここでちょっと気になるのが、伊能が想定していた「鉄鎖の正しい使い方」である。ピンと伸ばした状態で使った場合に誤差が最小になるように設計されていた場合、現実の測量場面では、いつもピンと伸ばして使えるとは限らないので、測定した距離に誤差が出るとしたら、真値よりも必ず大きくなる方向にずれることになってしまう(目盛りである鉄鎖が短くなるため)。要は、プラス方向に偏った系統誤差を持つ測定になりそうなのだが、この辺、伊能はどうしていたのだろうか?(未調査)

方位角の測定:
距離以上に気になったのが、方位角の測定の方である。伊能が主に用いたのは、「彎窠羅針(わんかんらしん)」と呼ばれる道具で、要は、少々大型の方位磁針である。現代の測量器具のように望遠鏡が付いているわけではなく、2つのスリットから成る視準器で目標物を覗き見て、目標物の方位角を測る仕組みだったようである。目盛りは1度刻みで付けられているが、実際、それ以上の精度で測定するのは困難であっただろう。
 ちょっと気になったが、単純なスリット視準器で目標物を覗き見るというのは、近眼の人間には土台無理な話である。伊能測量隊の入隊試験には視力検査もあったのだろうか?(江戸時代にはそもそも近眼の人は少なかった??)

精度シミュレーション

さて、上記測量危惧でどの程度の精度が出せるもののなのか、シミュレーションしてみよう。誤差を数学的に導出しようと思ったが、三角関数が大量に出てきてややこしくなるだけなので、潔く数値シミュレーションに頼ることにする。

モデル

正N角形の形をした島があるとして、海岸線に沿って、正N角形の頂点に測量点$${P_i}$$ $${(i = 0, \cdots,\,N-1)}$$ を設定する。図1に示したように、各測量点から見た次の測量点の方位角$${\theta_i}$$ と、次の測量点までの距離$${r_i}$$を測定して行く。方位角は、真北方向を基準にして右回りにとることにする。北方向を$${y}$$軸、東方向を$${x}$$軸にとると、測量点$${P_{i+1}}$$, $${P_i}$$の座標の差分は、

$${\displaystyle \Delta x_i = r_i\sin\theta_i \\ \Delta y_i = r_i\cos\theta_i}$$・・(式1)

と書ける。出発点を原点$${P_0=(0,\,0)}$$にとれば、点$${P_i}$$ $${(i\ge 1)}$$ の座標は、

$${\displaystyle x_i = \sum_{k=0}^{i-1} \Delta x_k, \\ y_i = \sum_{k=0}^{i-1} \Delta y_k}$$・・(式2)

となる。測量値の場合、右辺に含まれる方位角$${\theta_i}$$や距離$${r_i}$$に誤差が乗り、それが蓄積するわけである。

方位角の差分のみ測定する場合

さて、以下で、誤差を小さくする工夫を順次重ねて、その効果を見ていくことにする。最初に、素朴な方法として、各点で測定する方位角を、真北方向を基準にして測るのではなく、一つ前の測定点で測った方位角を基準とする場合を考えてみよう(最初の点$${P_0}$$においてのみ、真北方向を基準にして$${P_1}$$の方位角を測る)。要は、下図のように、角度の差分$${\Delta\theta_i}$$のみ測定して行く方法である。

図3. 方位角の差分のみ測定する場合

この場合、各点で測る角度の誤差がそのまま蓄積されるので、相当大きな誤差が出そうであることは想像つく。

実際に計算してみよう。測量する島を1辺が1 kmの正20角形とする。方位角の測定に$${\sigma=0.5}$$度のランダムな統計誤差があるとする。まずは角度の測定誤差の蓄積だけを観察したいため、距離の測定誤差は無視する。測量を3回試行した結果が下図である。

図4. 方位角の差分のみ測定する場合
黒丸点線が真の座標、色付きの線が測量を3回試行した結果。

方位角測定に0.5度の誤差があるだけで、20点の測量でこれほどずれてしまう。図4で、各点の真の位置からのズレ量$${(\varepsilon_x,\,\varepsilon_y)}$$のみをプロットすると、下図のようになる。

図5. 各点の真の位置からズレ量

原点を出発点として、測量を重ねるごとに誤差が蓄積して、原点から離れて行く様子が見て取れる。現在考えている測量法では、直径6.4 kmほどの島の測量で、200 m程度の誤差が出てしまっている。この方法では、測量点数が多いほど誤差が拡大するため、日本列島の測量(測量点数が万単位)では全く話にならないレベルであることが分かるだろう。以下、この真の位置からのズレ量(以下でこれを測量誤差と呼ぶ)のグラフで議論する。

真北を基準にして方位角を測定する場合

では、伊能が実施したように、方位角の測定で毎回真北の方向を基準するとどうなるか?他の条件は上記と同じでシミュレーションした結果が下図である。

図6. 真北を基準にして方位角を測定した場合の測量誤差

1目盛りの単位が図5と異なることに注意。図5と比べると誤差は大幅に減り、誤差は最大50 m程度である。

では、実際に日本列島相当大きさを測量することを想定して、現在測量している島の大きさを周囲10,000 kmとし、測量点は10 mごとに設定することにしよう。改めてシミュレーション条件をまとめる。
地形:円形、周囲10,000 km
測量点間隔: 10 m
・方位角測定:真北を基準、統計誤差$${\sigma=0.5}$$度
・距離測定:誤差なし
結果は下図のようになった。

図7. 真北を基準にして方位角を測定した場合の測量誤差(10,000 kmを10 m間隔で測量した場合) 10回の試行結果を色別に表示。

何とも不思議な図形になったが、この形に特に意味はない。10回の試行結果を示したが、総距離10,000 kmの測量で、誤差は最大でわずか200 m足らずであり、これは事実上誤差ゼロとみなせるレベルである。方位角の基準を毎回真北に設定することによる誤差リセット効果がいかに大きいか分かる。

距離測定にも誤差がある場合

では、上記の条件に加えて、距離測定に誤差が入るとどうなるか?鉄鎖の測定で1%(10 m当たり10 cm)のランダムな誤差が乗ると仮定する。
シミュレーション条件
・地形:円形、周囲10,000 km
・測量点間隔: 10 m
・方位角測定:真北を基準、統計誤差$${\sigma=0.5}$$度
距離測定:10 mの測定あたり統計誤差$${\sigma=10}$$ cm
結果は下図のようになった。

図8. 距離測定にも誤差がある場合の測量誤差
10回の試行結果を色別に表示。

何と意外なことに、距離測定に誤差があっても、総距離10,000 kmの測量誤差は最大でわずか200 m程度であり、図7同様、事実上誤差ゼロとみなせる状況は変わらない。誤差を試しに2倍にして同じシミュレーションをやってみたが、結果は大して変わらなかった。伊能が用いた測定器具に現実的な誤差(方位角測定±0.5度、距離測定±10 cm(10 m当たり))を想定しても、補正なしに正確な地図ができることになる。本当か・・・?

測定に系統誤差もある場合

上記のシミュレーションでは、角度と距離の測定誤差はいずれもガウス分布に従うと仮定している。誤差の中心はゼロ(プラス側・マイナス側いずれも同程度等確率で発生)と仮定しているが、誤差の中心がプラスかマイナスのいずれかに偏っていたらどうなるか?一般に、このような誤差の偏りは、測定器の作り自体に起因したり、目盛りの読み癖のような観測者に起因したりして発生する。伊能が用いた測量器具の場合、方位角測定では、1度刻みの目盛りを目視で読む作業が毎回入るので、0.1度程度の誤差の偏りはありそうである。また、鉄鎖を用いた距離測定では、上述の通り、鎖をピンと張らずに測定することに起因して、毎回数cm程度過大に測定されても不思議ではない。

そこで、これらの誤差の偏りを考慮してシミュレーションしてみよう。図9のシミュレーション条件に加えて、
・方位角測定: +0.1度
・距離測定: +5 cm, +10 cmの2通り
オフセットを統計誤差に加えてみる。結果は下図のようになった。今まで同様、座標のズレ量をプロットしているのだが、グラフの景色がガラリと変わる。

図9. 方位角及び距離測定の誤差に偏りがある場合の測量誤差

現状のシミュレーションでは円形の地形の測量を想定しているため、それに起因して、誤差にオフセットが乗ると、このように座標のズレ量の軌跡も円形になる(計算してみて初めて気づいたが)。グラフの形状は本質ではなく、重要なのは原点からの離れ具合である。方位角測定の誤差に+0.1度の偏りがあるだけで、km単位の測量誤差が生じる。距離測定の誤差の偏りの効果はより顕著で、+10 cmの偏りで、測量誤差は最大で30 kmを超える。30 kmといったら、伊豆半島の東西方向の幅くらいのスケールに相当する。地図にすると、日本列島が歪んで見えるレベルである。

考察

上記シミュレーション結果を踏まえて、実際の伊能図の誤差について考察してみる。実際の伊能の地図ではどれくらいの誤差があるのか?これも、ネットで画像検索すれば、現代の地図と重ねてずれ具合を可視化した図が簡単に出てくるのだが、ざっくり、以下のような特徴がある。

  • 100 km程度以下のスケールで見る限り、十分すぎるほど正確

  • 1,000 kmのスケールで見ると、20~30 km程度のズレがある

  • 大スケールのずれ方はあくまで東西方向にのみ現れている

まず、100 km程度な小さいスケールで十分な精度が出るのは、上記シミュレーションの通りである。伊能のローテク測量器具に、系統誤差を含む現実的な誤差を想定しても、交会法等による補正を行えば、0.1%(100 m)のオーダーの精度は達成可能であろう。

大スケールで見える10 km単位のズレは、上記シミュレーションの通り、主に距離測定の系統誤差に起因すると思われる。この大スケールのズレを交会法で補正しようとすると、数100 km離れた様々な地点から共通に視認できるランドマークが必要となるが、そもそも、日本は地形が山がちで見通しが効かないため、例えば、日本海側と太平洋側で共通に見えるランドマークの設定は困難だったであろう。

しかし面白いのは、伊能図で上記大スケールのズレが現れているのは東西方向だけで、南北方向ではほとんどズレが見えないことである。ここに伊能忠敬の天文家としての本領が発揮されている。冒頭に示した星ナビの記事に紹介されているが、伊能は、地図作成のための測量を通じて、緯度1度当たりの距離の決定を目標としていたらしい。そのために、望遠鏡が付いた象限儀という装置を用いて、多くの地点で天体観測を行い、北極星やその他の星の高度を測定していたようである。この装置では、何と、高度を1度の60分の1の精度で測れたらしい(上述の伊能忠敬研究会の展示品リストを参照)。方位角の測定と比べて格段に高精度なのは、こちらの方が本来の目的のため、思い入れがあったからだろうか。緯度差1/60度は、地表の距離に換算すると1.85 km程度である。天体の高度を多数の地点で測定しておけば、相対的な緯度差は分かるため、2 km程度の精度の位置情報が、海岸線の測量とは独立に得られたわけである。これを用いれば、南北方向の大スケールの誤差の補正は十分可能だったのだろう。

おわりに

伊能忠敬が用いたローテク測量器具で、本当に高精度の地図が作れるのか?冒頭に挙げた疑問に対する答えは、まとめると、

  • 100 km程度の小スケールなら十分可能

  • 1,000 km程度の大スケールでは、10 km単位の誤差が出る

  • 南北方向の誤差が著しく小さいのは、天体観測による緯度測定結果に基づいて補正したから

となる。方位角の測定に、目盛りの1/10まで読むような繊細さが必要だったかというと、そうでもなく、±0.5度程度の誤差で読めればよい。重要なのは、方位角よりもむしろ距離の測定の方で、系統誤差を減らす努力は必要だった、というのが今回のシミュレーションで把握できたことである。決して伊能が超人的な能力を発揮したわけではなく、個々の測量を根気強く正確に行ったということであろう。

しかし、やればできそうと単に机上計算で見積もるのと、実際にやって見せるのは全く別次元の話である。改めて、伊能の行動力に感服せざるを得ない。

※本稿では、あくまで、伊能が用いた測量器具で原理的にどこまで精度が出せるかを見積もるのが目的だったため、実際に伊能が行った測量法の詳細については不勉強のままである。誤差の見積り等について、間違い等があればご指摘いただけると幸いである。

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