書評:荒木慎也『石膏デッサンの100年 石膏像から学ぶ美術教育史』

日本文化の特徴として、古いものを新しいもので置き換えるのではなく、古いものと新しいものを併存させるというやり方が挙げられれる。また、外国から輸入したものを、そのまま受け入れるのでなく、長い時間のなかで変質させていく。これは見方によっては洗練とも取れる。これを和様化という。漢字からかながうまれ、仏教が神道と融合して日本仏教になっていったように。

石膏デッサンも西洋から輸入された時点では固有の文脈を持っていた。それは、1. 古典文化への憧憬であり、2. 帝国主義であり、3. バロックやロココに代わる新古典主義の市民階級による勃興である。しかし、いったん文物が輸入されると、日本ではそれらの文脈は忘れ去られていく。

そして、本来であれば、水と油であるはずのものが、曖昧模糊とした混合体となる、あるいは矛盾を止揚するような点として作用する。日本のおける石膏デッサンの受容史において、その矛盾とは、アカデミズムとモダニズムであり、西洋と日本であり、基礎訓練と達成である。それを本書では「文化混淆性」と呼び、どちらかといえば、肯定的に扱っている。

外部からの揺さぶりという意味では、戦後、海外で現代美術が勃興し、抽象藝術が盛んになり、その情報が日本に押し寄せてくるようになると、「すべての芸術の基礎」とされていた石膏デッサンにも激しい批判が加えられた。そして、1968年からの学園紛争を経て、ついに1973年には東京藝術大学の油絵専攻の入試で石膏デッサンが廃止される。しかし、「個性」を重視しようとした入試改革は個性をパターン化して生産する美術予備校の前に失敗する。そして、その後も美術予備校は石膏デッサンの指導を続けた。それは、一方で、美術予備校の方が大学よりも変化が遅かったという見方もできるだろうが、他方で、「すべての芸術の基礎としての石膏デッサン」という言説が教える側にも学ぶ側にもある程度了解されるものであったからではないだろうか。著者は、石膏デッサンを入試から廃止した野見山暁治と、美術予備校で石膏デッサンを教え続けた宮下実を対照的に描いているが、いくぶん宮下に肩入れしているように見える。

第6章において、著者は、予備校同士の切磋琢磨の結果うまれた「様式」に着目している。とくに新宿美術学院で生まれた「新美調」については「たしかに、新美調は、美術アカデミズム、モダニズム、現代美術という通常の美術史の様式変遷から逸脱した、異端児のような存在だった。しかし、その異端性は黒田清輝以降の異種混淆的な歴史の集大成ともいうべきもので、日本の美術教育を他国のそれから区別し、特徴づける「個性」になっている。」と述べている。これは、石膏デッサンの和様化といえなくもない。

1994年の2,626名をピークに油画専攻の志願者は減少していく。油画の入試は、静物、自画像、想像によるイメージなど、多様な試験を実施するようになった。石膏像も、単体でなく、複数の石膏像や他のモチーフと組み合わせて出題されるようになった。つまり、「東京藝術大学は、石膏像を脱神話化することで、他の静物と同等に扱って欲しいというメッセージを美術予備校に送っていたようにも見える」。また、21世紀に入ってからは、「個性をみる」としてすすめてきた画材の多様化をやめ、支給の画材を使用させるようになり、美術予備校は従来どおり、技法の向上を指導すれば良いことになり、大学と美術予備校のトムとジェリー状態もいくぶん緩和された。

「このようにして、石膏デッサンは、複数ある指導方法の一つとして今日も残存することになった。それが可能だった理由は、石膏デッサン教育に中心的な教義が欠落していたこと、そのため様々な美術思想を無差別に取り入れることになったという、石膏デッサンの文化混淆性である」と著者はいう。これは、日本文化の特徴としてしばしば語られる「空の容れ物としての日本」という立場に私には極めて近く見える。

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