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頭の中と言葉の中身

こんにちは、山下珈琲店です。

昨日は高校の同級生親子が急に遊びに来たので振る舞ってましたが、一人2合ずつ食べる子供達にメイン級のおかず4品をほぼ同時にテーブルに並べるという飲食店並みのバタバタぶりで片付けも含めて気付いたら23時という展開。
奥さまは同級生のアテンドでずっと飲みっぱなし。
アルコールアレルギーの私はキッチンといういつもの縮図。
そんな午後でしたが一昨日、お母さんと喧嘩した息子にとってはたくさん笑える貴重な時間となりました。友人親子に改めて感謝です。

一夜明け、奥さまは連日の推しの応援上映に出かけ、私は洗濯に掃除、アイロン掛けから風呂ジャバ付き掃除、キッチン洗い物に洗車。彼女はパパは家事好きだから任せちゃおなんて思っていそうだから厄介なところです。
なんでも出来る人、お金を持った人は離れていくという法則を理解していたらいいけど。さてこんな話を置いといて、一昨日の息子と奥さまの喧嘩について私自身の頭の中を整理してみました。

「頭の中と言葉の中身」

今、私たちは自分自身を大切にすることや気負わずに思うままに1日を過ごす、そんな時代に入ってきている言われています。
昨日、起きた親子喧嘩についてはその考え方が行き過ぎた結果、もしくは整理出来ていないために起こってしまったと私は考えています。
頭の中で自分自身に優先順位を置く、これは何よりも大切なことだと思います。
でも言霊が自分自身を中心に構成された途端、人を振り回すことになりかねません。
最近、自我や正義感が芽生えてきた息子くんは例えば、

ご飯が炊けたらすぐに混ぜるもの
→お母さんには早く混ぜろと聞こえる「ご飯炊けとるよ」って声がけをします。

家に帰ったら部屋着に着替えるもの
→お母さんにはダラダラしてちゃだめと聞こえる「まだ着替えてないん?」

ポケットに手を突っ込んで歩いていたら
「カッコ悪いからやめて」

なんて声掛けをしてきます。
ずーっとこういう声掛けをされたお母さんはまだまだ魂が未熟なので「そんなに私のこと嫌いなら…」という解釈になってしまうという結末を辿ったということになります。
これは頭の中をそのまま言葉に出すことで、主観を押し付けられたという錯覚を起こしてしまうことが原因ですが、言葉の中身を少し変えることで愛情を持ったものに変化します。例えば、

ご飯炊けたから混ぜてもいい?とか、やっぱり帰ってすぐに部屋着に着替えるのは気持ちいいねなど相手ではなく自分が動く行為に置き換えることで気付きを与える。人は誰しも命令されるのを嫌います。
だからこそ頭の中では自分を一番に置きつつ、言葉の中身を大切にすることで意思の相違を回避出来ると今回の件で改めて感じました。
家族や恋人と不用意な喧嘩してませんか?
言葉の中身、一緒に磨いていきましょう。

本日もお読み頂きありがとうございました。
昨日、珍しく友人に最近の趣味を聞かれ家事と答えた私でした、、




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