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ファンでもない私が関ジャムの松潤をみて悲憤した話

私は嵐のファンではない。なんなら少し嫌いだった時期すらある。

特に松潤以外のメンバーを好きな方は気分を害されるかもしれないので、続きを読むのであれば心構えをした上で読んでほしい。

2020/7/29 放送の関ジャムSPを拝見した。松潤がムビステの生みの親ということは知っていたが、想像以上にコンサートを愛している人なんだなと思った。

松潤に感情移入する松潤ファンに感情移入して泣いていた。最早感情移入というよりも憑依だったかもしれない。

番組中でドリカムの中村さんも言及していたが、嵐のコンサートは嵐だから出来るものだと思う。これほど大きいコンサート会場がいくつもあるのは日本くらいだ。コンサートは1会場で1公演だと利率が悪く、機材移動や仕込みだけを考えても連続公演するほうがいいのは素人でもわかるだろう。しかし大きければ大きいほどキャパを埋めるのは難しい。

では、国立競技場ほどのキャパを三日間埋められる国内アーティストが他にいるだろうか。

松潤のファン第一主義の演出は誰もが出来ることではない。どんな敏腕演出家も予算と演出という天秤と常に戦っている。ファンは演者を見に来ていて予算は演者に向けて与えられる。ジャニーズは事務所内に競合他グループがいるため予算の差が顕著である。稼ぎ頭ほど豪華なステージになり、売れていなければやりくりするしかない。実際私は別グループの100万枚売上げている爆発的人気時期から17万枚売上げになるまでのコンサートに参戦してきた。セットはもちろんのこと、火薬と水の量が全く違う。本当に。あんなに熱くて煩かった爆竹も、危なくない?と思ったびしょびしょのステージも、みんなが出来るわけではないのだと感じた。残酷であり当然のことを突き付けられた。(尚、満足度とは全く別の話である)

飽きるから高い効果を間延びさせないで一回きりで切り替える。その最高の選択は嵐の松潤が演出する嵐のファンのため嵐のコンサートであるからこそできる選択なのだ。

ファンを一番に考えて、演出家として独りよがりにならずグループのパフォーマンスの最大値を目指し続けた彼の最高の作品の一部になることが出来なくなる。何よりこんなにもライブ作りを愛している彼が、その最高のものを生み出せる環境と機会を奪われてしまうことが悔しくてならなかった。

きっと当人は自分の気持ちを優先しないだろうし受け入れるしかないだろうということもわかっている。それでもやりきれない。

きっと彼らのファンをメンバーも大切に思っているだろうしずっと頑張って耐えて走り続けた人の願いを蔑ろにはしないだろう。例えメンバーが納得のいってないタイミングでの報告をされても、ずっとという言葉は嘘だったのかと思っても、自分の人生も大切だと、選択を理解しようとするのだろう。

ではこんなにもファンを思ってライブを作ってきた人の気持ちはいったいどこへいってしまうのだろう。矛先を向けられない怒りは、飲み込むしかないのか?

上手く毛玉を吐き出せない猫のような彼と彼のファンの代わりに、部外者でなにもわかっていない私は彼の大切なものを奪ったことが許せないと怒りながら身勝手に泣くしかなかった。





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