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オバア,60年目の卒業証書

● 卒業式が終わりました

3月10日,T中学校から148名の卒業生が巣立っていきました。
生徒数増加で今年から1年生は代表生徒のみの参加となってしまい,
2組からはIsさん(本部役員),Itさん,Fuさん(後期学級委員),そして吹奏楽部のKaさん,Koさん,Haさん,FuさんMaさんだけが参列できました。堂々たる3年生の合唱や心温まる3年生の先生方へのメッセージは,
ぜひ1年生全員に知って欲しいので,学年集会で上映する予定です。

● 戦争に奪われた学校と卒業式

 さて,同じ3月10日,沖縄の中学校で卒業式が行われた事が新聞で報じられました。その中学校,実は,かなり変わっています。
一体どんな中学校なのでしょう。どんな人が通っているのでしょう。
以下,新聞の引用です。(朝日新聞東京本社版3月11日朝刊より)

ここから―― 
第2次大戦で悲惨(ひさん)な地上戦に巻き込まれた沖縄には義務教育を修了できなかった人がたくさんいるが,当時学齢期(がくれいき)だった6人のお年寄りに今月,初めて中学の卒業証書が渡されることになった。
今年度から県が設けた特例制度により,民間の自主夜間中学で学んだ内容が正式に認定された。
お年寄りたちの学びの場は,不登校の子どもらを受け入れているNPO法人「珊瑚(さんご)舎スコーレ」が那覇市内のビルに構えた教室だ。
約50人が,月~金曜の午後6時から開かれる夜間学級に通う。
平均年齢は72歳。

「ぼうくうごうをほるところがなく,
家のむかいの山すそにしぜんごうがあった」。
「古い記憶」という課題で作文をつづる国語の授業で,
神山由子さん(74)はこう書いた。
沖縄戦では3歳の弟を背負って山奥に逃げ込み,マラリアにかかった。
一命は取り留めたが,看病してくれた母は亡くなった。
「あのころの記憶を口にすると,涙が出てしまう」

夜間中学校は,生活のため昼間働かなければならない生徒を主な対象に戦後,大都市圏を中心にできた。戦中戦後の混乱で勉強できなかった人も学び,現在は全国に35の公立校があるが,沖縄にはずっとなかった。
 
「学びの場を取り戻さないと戦争は終わらない」(星野人史代表)とスコーレが3年制の自主夜間中学をつくったのは04年。退職教員や大学生らがボランティアで参加し,ひらがなやアルファベットの初歩から教えた。
ただ,あくまで民間の学習機関という位置づけで,全課程を終えても正式な卒業扱いにはならない。もっと学びたいと思っても高校に進学する資格は得られなかった。

スコーレは05年,1万6148人分の署名を集めて県議会に請願(せいがん)。
県教委は「沖縄だからこそ,戦争で学ぶ機会を失った人に道を開く必要がある」ととらえ,06年度から,修了者について県内の定時制や通信制高校への進学を認めた。
さらに今年度の修了者から,自宅の最寄り(もより)の中学が正式に卒業を認定し,その中学が卒業証書を授与する特例措置(とくれいそち)を適用することにした。 (略)

スコーレの現在の「3年生」は10人。そのうち6人が卒業し,他の4人は勉強をもっと身につけるため「留年(りゆうねん)」して学び直す。
卒業生の一人,上原英子さん(74)はさらに勉強を進めようと,那覇市の定時制高校を10日に受験した。
小4の終業式の日に米軍が攻めてきて,母は避難するさなかに亡くなった。防衛隊に招集された父も亡くなり,ずっと満足に学校に通えなかったが,
スコーレで学ぶ楽しさを知った。
「高校だなんてちょっと不安ですが,苦労した分,たくさん勉強したい」と言う。                       (宮本茂頼)

● もっと,学びたい!

戦争は悲惨です。人の命を奪ってしまう。
生き延びた人たちからも,家族を奪い,生活を奪い,学校を奪い,友だちを奪い,子ども時代や青春も奪ってしまう。
大人になっても,ひらがなの読み書きも満足に出来ずに生きていかなければならなかった人たちは,どれほど苦労しながら生活をしてきたのでしょう。

沖縄のオジイやオバアの苦しみを改めて噛(か)みしめつつ,
でも,ボクの印象にもっと強く残ったのは次の部分です。

スコーレの現在の「3年生」は10人。そのうち6人が卒業し,他の4人は勉強をもっと身につけるため「留年(りゆうねん)」して学び直す。

「留年」とは,もう1年同じ学年で学び直すこと。
4人は,「勉強をもっと身につけるため」に留年を選びました。
その人たちは,ただ「中学校卒業の資格」や「卒業証書」が欲しかったのではなかったのですね。
欲しいのは,自分がかしこくなれたという実感(確かな手応え)。
それがまだ得られていない,
だから,もう1年学び続ける道を選んだのでしょう。
何か,とても頭が下がる思いです。

昨日「生命誕生と生命の継承」の授業後の感想に「いま生きていることをアタリマエのように感じていたけれど,そうではないことに気がついた」と書いた人が何人もいました。
「学ぶ楽しさ」を知ったから,
「苦労した分,たくさん勉強したい」
――そんなオバアたちの言葉から,
「学校に通って,勉強をしていられることは,決してアタリマエではない幸せなんだ」と,少しでも感じ取ってくれると嬉しいです。

―― 以上です。
これは2009年3月に中学1年生に向けて書いた学級通信です。
あれから15年が過ぎました。平均年齢72歳だったオバアたちは90歳代に入った方もいらっしゃるでしょう。今もお達者でいらっしゃるでしょうか。
今も何か学び続けていられるでしょうか。

オバアの皆さんの語りや行動からは「学ぶことの本質」を感じられます。
それはひょっとして幼いことどもたちも実感していることなのでしょう。
そして,小学校,中学校とすすむうちに,なぜか「学ぶこと」は「学ばされること=いてめる」ことに劣化・変質してしまう。不思議なことです。
この通信は,中学生に宛てていると同時に,同僚のセンセイたちにも読んでほしくて書いています。


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