依存症の仕組みとその打開の瞬間

自分が密かに頑張った事
ちゃんと見て聞いて評価して貰えると
すごく嬉しい

あの時、独り彷徨っていた時
純粋にこれを強く求めていた
欲しかったのはこれだった…

砂漠に恵みの雨が降ったみたいだ

ありがたい…感謝

大人も子供も同じだよ

本当に嬉しいものは一緒だ

自分が特に根っこが幼い事は認めます
そして欠乏感が強過ぎた

酸欠寸前だった


今回、依存症の仕組みについて、また一つわかった

誰かを勝手に"親役"に設定してしまう

決めた相手から認めて褒めてもらう事を延々と待ち続けてしまうのだ

でも、そのシステム、間違ってるから

承認や好評価は
それを与える事に慣れている人から貰おう
自分からその役に誰かを指定すると間違う
自分勝手に決めてしまわないように

何故か、与えてくれなさそうな人を敢えて親役に設定してしまう癖があるみたい

実際の親と似たような評価の厳しそうな人を選んでしまう

それって、わざわざ苦しむ方向

幼児期からの刷り込みなんだろうね…


これを打開する最も理想的な方法は

 主体性を獲得すること

『主体』は本来なら、自分の元にあるべきもの

委ねてしまう癖、刷り込みから抜け出して
自分の元に取り戻すこと

親役を設定せず、自分が自分に合格を与える役になること

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ただ現実にはそう簡単にはいかない

さてそんな中に居た私に舞い込んできた幸運

大袈裟かも知れないけど、今

"地獄で仏に会った"思いだ…

本当に救われた

結構、辛いところに居たのだ

でも、苦しい思いをしなければ
そういうもののありがたみ、真価を
強く感じ取れなかっただろう

勿体無いことに流してしまっていた

感謝の念が足りてなかった

だから試練は定期的に与えられるのだ

誤解、曲解無く
私の真意のままに
正確に理解される事

それをただ善意でストレートに示して貰えること

それが私にどんなに大事なことか

改めて痛感している

これが私が人生で一番望んでいることなのかも…

世の中には
そうならない事が多い

人から望ましくないフィルターを掛けられたりする

それは残念だけど完全には拭えない

でも、真の理解者に出会えれば
それが例え薄い関わりの中でも散りばめられていると
強い救いや支えになって
また歩き出せる

人から勝手に被せられた望ましくないフィルターを
必死になって払い除けようとしてしまうけど
それに余り時間とエネルギーを浪費するな

ただそこからは静かに離れろ

その為にはまず味方を見付けろ
必ず居るから
しかもその味方は複数持つこと
一極集中させない
バランスを取る

その時、絶対忘れてはならないのが
『主体は自分』
ということ

味方はあくまで味方であり

舵取りは自分だけ

自分が自分の"親"(親的な指示を与える存在)になれ

それでも、その上で他者からの承認や明るい声援は要る
暗く沈んだ状況から引き上げてくれるキッカケになる
私が救われたのもそのおかげだから

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私程、小さな齟齬に躍起になる人はごく少数派だろうから
この一連の言葉が役に立つ人も
多くはないんだろうけど

私は、自分が拘っているところで誤解されるのが物凄く嫌なんだ
とても耐えられない

「私はそんな人間じゃない!」って
大声で叫びたくなる

それが原動力でもあるんだろうけど

例えば、なるべく嘘が無いように生きている
神経質なくらい

その誤解や誤解の可能性のある事を解く為には説明も口説くなる
説明の前に状況確認もしなければならない

それを簡単に
「嘘をつく人」みたいに言われたら
絶対我慢出来ない

第三者に誤解を与えるような言動も嫌

そう言う配慮が無い人にも実は不満がある
ここまで来ると神経質過ぎるけど

だから私にとって
 真の理解者は
ものすごい宝物なのだ

でも、求め過ぎてはいけない
期待を掛け過ぎるのも
程々の距離感でなければ
更にはそれを複数に分散させる

そして!次の事も重要

わかってくれそうな人と
実際わかってくれる人は
イコールでは結べない

ということ
ここを読み間違えないようにしたい

そのコツ、今回幾つか掴めた
必要な人には、必要な時に伝えたい
その時は訪ねてきてくださいね