参加感想

「オンライン・フェミニズムの限界と可能性」の参加感想  #ぽすけん

 ツイッターでの対話・議論の限界として、140字の文字制限、連ツイを見ないオーディエンス、フィルターバブル、という点が挙げられたが、話題が盛り上がっては過ぎていくという一過性がシステムに誘導されている(投稿が蓄積されず「流れて」いく)という点はやはり大きいと思う。ネット議論に適したプラットフォームサービスを誰か作ってくれよ。需要あるぞ。

 ハッシュタグ無効化の話は、中村氏の危惧点とは別に、「じゃあ仕返し的に、マジョリティがフェミ運動のハッシュタグ無効化をしてきたらどうするの?」というのは気になった。そうした戦略が正当化された場合に、数として勝っている相手側もその戦略を使うことをどう止めるのか/止めずにどう闘うのか。

 オンラインの可能性として、セクマイフェミニストなど、リアルでは仲間に出会いにくい人々が、オンラインだからこそ連帯できるような良さがあるのではと思った。その辺をゲストさんの実経験からどうなのか聞いてみたかった。

 amebaTVなぞに頼らずに、人々が勝手にフェミ番組・配信を作っちゃうこともできるじゃん、というのは確かにそう。でも、やっぱりそこで単に草の根の自助努力に任せるのではなく、学問知や大学に携わっている特権階級として、何らか独自の働きをしてほしい。(勿論、もうやってる部分もあるだろうが。)
 ローカルなミクロなフェミ的コミュニティってどう作れるんだろうな。言説・思想だけで繋がることの良さもあれば、職場とか地域活動とか何か「手仕事」と並行した繋がりの独自の良さもある気がする。

 『現代思想:フェミニズムの現在』の千田有紀氏の論文、「この本の中のある論文が」とぼかされ、千田氏の名前も最後まで出てこなかったのは意図がよく分からんな。正当な内部批判はどんどんするべきとしている(アカデミック・)フェミニストがああいうことをするのは、それこそ「権威主義」のせいかという解釈をされてもおかしくないと思うが。主催者やゲストからの説明を望む。

 あと、2時間の間にトイレ休憩を入れてくれると、ユニバーサルデザイン的により良いと思います。

河野氏のツイートを受けて追記。

 『階級的怨嗟がミソジニーの形を取る』ようなパターンがある(「現在のミソジニーには、中流の勝ち組男性のような男性性への嫌悪も含まれている」)というのは同意するが、『自分の男性性を(フェミニズムの問いかけをうけて)見つめ直すことができるのは、中流の勝ち組男性だったりする』『個々人が自分の男性性を見つめ直すべしという物語の外側にどうにかして出ないといけない』という意見が妥当かどうかはちょっと疑っている。
 ミソジニーの複数性を(他者が、ないしミソジニスト自身が)捉えるためには、ミソジニスト(男性)たち自身が自己内のミソジニーについて個々に語ることからしか不可能だと思う。その語りは、ミソジニーを対象(女性)にぶつけるようなことではダメだが、性差別的思考も含めて正直に「ミソジニーを語れる」ような場が無ければならない。(ここでも、「安全に」語れるコミュニティの重要性が出てくる。)これは、自分の男性性を見つめ「直す」より前の段階の、「自分のミソジニー(ないし男性性)を見つめる」こと。そうして一枚岩でないミソジニーが捉えられて初めて、それへの対抗策を考え始めることができる。これは、反差別界隈の人が自己内にあるマジョリティ中心主義を解消するために、自分にどういうフォビアや差別的考えがあるのかを(語ったり書いたりして)言語化するのと同じように。
 そして、「下層階級」的ミソジニストには、中流の勝ち組男性とは別様の「見つめ直し方」があると私は思うので、『個々人が自分の男性性を見つめ直すべしという物語の外側にどうにかして出ないといけない』とは思わない。あるいは、見つめ直すべしという物語の外側で、しかし実践としては見つめ直す、ということを河野氏は想定しているのかしら。

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