「女が人間になる」とき――前川直哉氏の記事への批判

 『女性を、女として見る前に、ひとりの人間として見ることができる』、『女性を「女性」というカテゴリーではなく、自分と同じ重みをもった一人ひとりの人間として接し』……。
 こういうレトリックは有益かどうか疑わしいと私は思っている。
 一つには、まずそもそもそんなことが可能か、「女性として見る」「ひとりの人間として見る」とかいうふうに私たちは人々を認識したり相互行為しているのか、という点。(この論点は、では『女性をひとりの人間として見る』とはどういうことか?という問いへ続いていく。)
 次に、こういうレトリック自体の問題性。セクシュアル・マイノリティの社会運動においても、「ゲイとしてよりもひとりの人間として見てほしい」とかいう同様のレトリックがあるのだが、これは問題のある表現というか、スルーできない論点を含む表現なので、この機会に書いておく。

 相手を「女」として見るときと「人間」として見るときとでその人の扱い方が変わるのだとしたら、あるいはより正確に言えば、「女として見る」ことで「人間として見る」・扱うことができなくなるとしたら、そこにこそ女性差別が存在しているのだ。目指すべきは、たとえ「女」として見ているときでも、「人間」として見ているときと同等の扱いを受けられるようになることである。それが達成されたときが「女が人間になる」ときである。
 あるいは、「女」と「人間」の対比ではなく、人間の属性カテゴリーと「ひとりの」人間という対比に重点があるのだとしても、その場合に問題となるのは、個々の場面でカテゴリーがなぜ・どのように持ちだされ・参照され、どのように機能しているのか、ということである。偏見や差別が行われるときにカテゴリーが重要な機能を果たしているのは言うまでもないが、認識におけるカテゴリー一般が問題であるとは私は思わない。相手が男性の場合には「男性」というカテゴリーをときに使いつつ「ひとりの人間」としても接することができているならば*、女性の場合にもそれは原理上は可能なはずだ。女性だけが「女性というカテゴリー」を抹消されなければ「ひとりの人間」扱いされないという状況は、望ましいとは言えない。
 (なお、ここに、あくまで『第一歩』としてであるという留保を付けたらまあ許容範囲になると考える人もいるかもしれない。しかしそれにしても上記のような批判的視点はその留保の前提・根拠として重要である。)

*注:「男性は『ひとりの人間』として見られているのか?」という問いは面白い・意義あると思うし、そこで最初に述べた、「私たちはどのように人々を認識したり相互行為しているのか」という点が関係してくる。

 そもそも「草食系男子」というのは異性愛前提の文脈で語られているものである。(言葉の定義上ゲイも含み得るにもかかわらず、想定されていない・排除されている。)このとき、『女性を、女として見る』と言うときの「女(オンナ)」という言葉は、「異性愛男性にとっての性愛・恋愛対象(になる/ならない含めそうした意識的・無意識的な価値判断をする対象)」という意味を持ち得る。
 もし前川氏が「草食系男子」の『秘めている可能性』に他の「男子」よりも特に期待しているのならば、そして、「草食系男子」が「女性を、女として見る前に、ひとりの人間として見ることができる」ことが「(女性との)恋愛にガツガツしていない」ことと関係していると考えているのなら、つまり、異性恋愛に消極的であるがゆえに、恋愛対象としての「女」として見る視点が弱い・薄い・非優先的であるのだと考えているのなら、「女(オンナ)として見る」という言葉を『「女性」というカテゴリー』という(フラットな)別の言葉にスライドさせるときに意味が変わってしまっていることを無視してはいけない。


『社会的公正と自身の生きやすさの追求は、決して矛盾するものではなく、両立できるものです。女性が生きづらさや困難を語り、ジェンダー平等を訴える声は、「草食系男子」のあなたを攻撃する声ではありません。』
 「社会的公正と自身の生きやすさの追求は両立できる」というのは、それ自体正しい主張だが、単純な両立関係ではない。特権を手放すことで今より生きづらくなる部分も当然あるかもしれないが、一方で別の部分で生きやすくなるかもしれない、といったような関係。
 また、2文目はちょっと男性読者受けを狙い過ぎでは。安堵させるレトリック。『ジェンダー平等を訴える声』は「草食系男子」だからという理由であなたを批判・攻撃しはしないが、『「草食系男子」のあなた』がジェンダー不平等に荷担していれば当然批判される。まあ、批判は攻撃じゃないという「逃げ道」もあるが、であるならば、そもそも『ジェンダー平等を訴える声』は誰をも攻撃しないのだから、「攻撃」などという言葉を使うべきではなく、(正当な)批判を受けることと生きづらさの関係について述べるべきである。

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