読書メモ:『教養としてのジェンダーと平和』

風間孝, 加治宏基, 金敬黙(編著)2016『教養としてのジェンダーと平和』法律文化社.

1. 

 序p.3~4「性別二元制とは、性別は女と男の2つからなり、正反対の性質をもつという考えのことです。そして男女の違いは、女と男は互いに異なるのだから惹かれ合う、すなわち異性愛を自然なものとみなす考えを形づくります。異性愛を唯一の自然・正常な性愛と見なす考えのことを異性愛主義と言います。私たちの社会は男女が惹かれ合うのは自然であるという前提で成り立っていると言えるでしょう。(中略)こうした性別二元制を基礎として成り立っている社会で生きることに違和感や抑圧を感じる人がいます。こうした人のことを性的マイノリティ、近年ではLGBTと呼びます。」(序の執筆は風間孝, 加治宏基, 金敬黙。)

 8章「性別(多様な性)」冒頭のテーマ説明p.121「この章でとりあげている性についての規範に、性別二元制(性は女と男の2つであり、それぞれが女らしさ、男らしさを持っている)があります。また、性別二元制には、女と男は互いに異なるのだから、惹かれ合うのが自然だ、という異性愛主義(ヘテロセクシズム)も含まれています。(中略)性別二元制に当てはまる人たちを性的マジョリティ、当てはまらない人のことを性的マイノリティと呼びます。」(この部分の執筆者は不明。編者か?ちなみに、8-G「フェイス・ブック (Facebook) の性別欄とアップル最高経営責任者のカミングアウト」 / 風間孝 [執筆]、8-P「LGBTと難民」 / 金敬黙 [執筆])

 性別二元制と異性愛主義が実社会において密接に関係しているとか結託しているとかいうことは言えても、定義上・論理上は性別二元制に異性愛主義は含まれないのでは。「男女の違いは、女と男は互いに異なるのだから惹かれ合う、すなわち異性愛を自然なものとみなす考えを形づくります。」と述べているが、性別二元制的考えが異性愛主義的考えを形成する、というのも誤りだと思う。「形成の一助となっている」なら妥当と思う。
 こういう性別二元制でまとめる書き方をしたのは、性的マイノリティの定義が難しい(教養書としては複雑になり過ぎる)からというのも理由のひとつかもしれない。性的マイノリティをこういう「性別二元制」でまとめて定義する仕方は初めて見た。風間孝氏が書いているのだから、変な定義はしないはずなのだが、他にもこの定義を採用している事例があるのだろうか。

2.

 9章「性暴力」冒頭のテーマ説明p.137「性暴力とは、広義には性に基づく強制力の行使を意味し、狭義には性的侵害行為を意味します。そのなかには、レイプ、DV(性的暴力)、セクシュアル・ハラスメント、子どもへの性的虐待、性にかかわることのいじめ、痴漢行為、盗撮、リベンジポルノ、人身売買、買春、児童ポルノ、成人ポルノなど様々なものがあります。」(上と同様にこの部分の執筆者不明。ちなみに、9-G「あなたの身近にあるレイプの問題」 / 山口佐和子 [執筆]、9-P「アジア太平洋戦争下の従軍慰安婦」/ 春名展生 [執筆])

 「性暴力」に「買春」や「成人ポルノ」を含めている点が不満。厳密に言えば全ての盗撮や人身売買が性暴力であるわけではないから、「性暴力の形態としてこういうバリエーションがあります」ということなのかもしれないが、盗撮や人身売買とは違って、買春や成人ポルノは定義上それ自体が暴力・権利侵害であるわけではないから、買春や成人ポルノにまつわる具体的性暴力のほうに名づけるべきだと思った(強制性労働とか)。9-Gの参考文献に『ポルノグラフィと性差別』がある。

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