性犯罪加害者の傾向と、性的コンテンツの性犯罪抑止/助長論

 澁谷氏が『この加害者の傾向をどう読むのか』と言っているのは、仮に、性的コンテンツが全体数として性犯罪を抑止しつつも、加害者母集団にこういう傾向があった場合、どういう説明で整合性がつくのか、(そういう場合が現実に成立し得るか)ということなんだろう。多分。以下、そういう解釈で論を進める。
 前提への反論として、「それは斉藤氏が接触した加害者たちの傾向であって加害者母集団の傾向ではない」と言うことができる。(「ペドフィリア」とセックスドールの件は、ぺドフィリアの加害者なのかペドフィリア一般なのか不明だが、もし後者である場合、そもそも「ペドフィリアの治療」を受けにくる人々は「子ども型のセックスドール」で我慢できない人に偏っている可能性が高い。)
 もしという仮定であると踏まえた上で、上記の問いを考えてみよう。加害者にとって(性犯罪の仮想体験的な)性的コンテンツがトリガーになっていたり性的コンテンツで我慢するのが無理だったりする。一方で、性的コンテンツを消費しつつも抑止されている人のほうが多い(という仮説は捨てない)。それが現実に成立し得るか。同じ性的嗜好を持ち同じコンテンツを消費しながら、抑止された多数の人々と加害者集団のこういう傾向との整合性はどう説明できるのか(加害者だけこういう傾向を持つとしたらなぜなのか)。
 ここでの「加害者の傾向」が、加害者本人の語りの傾向である点に注意が必要である。「加害者」と「抑止された人」とのカテゴリー分けは、加害に至ったかどうかという点に拠っている。したがって、加害者は加害後に「我慢は(やっぱり)無理だった。(だってほら、加害しちゃったんだから。)」と後付けで語るのである。逆に、加害後に「我慢しようと思えば我慢できた」という語りは説得性を持たない。
 トリガーのほうについては、加害者集団内で「性的コンテンツを見て実際にしたくなる」人が多いとして、それは「加害者」カテゴリ集団であるがゆえに当然である。つまり、加害者だけこういう傾向を持つとしたらなぜなのかという考えは実際は逆で、実際にしたくなったりコンテンツで我慢できないから加害者になるのである。(勿論、したくなったから即加害に至るわけではないので、トリガーへの対抗作用として加害の不当性の認知や犯罪リスクの認知などといった要因を挙げることはできる。)
 ゆえに、【加害者母集団に、性的コンテンツを見て実際にしたくなったり性的コンテンツでは我慢できない傾向があるから、同様に性的コンテンツを消費する非加害者集団(『潜在的加害者』集団)でもそうだろう(=コンテンツで抑止されるという仮説と矛盾する)】という推測はできない。
 最初の問いに戻って答えると、そういう場合は現実に成立し得るし、特に不整合があるわけでもない。さらに踏み込んで、コンテンツがトリガーになったりコンテンツで我慢できず実行したくなる人々がいる一方で、どうして同様の性的嗜好を持ちながらコンテンツで満足・我慢できる人々がいるのか、(そこの違いは何に起因するのか、)という問いを立てることはできる。しかし、「全体数としての抑止/助長論」とは関係なくなってしまうので、今回はここまでとしよう。

2020/3/16追記:

2020/5/30追記:


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