烏蛇氏へのTWリプライ代わり(北守氏ヴィーガン記事について)

 やはり烏蛇氏が「正当性」と言うとき、主義の内容的正当性の話と「メタレベル」の話とを時々で混在させているように見えます。

 北守氏が『告発的』について言及している当段落とその直前の段落において、『動物の権利や農業畜産業の南北格差の観点』『人間社会の格差や差別という構造的な問題』に触れています。つまり、ヴィーガンの主張が『告発的』になるその『政治』性は、倫理や正義、望ましい社会構造といったものとの関連から生じているわけです。
 ここで、北守氏も私も、読者とある前提を共有していると想定しています。それは、「倫理や(社会)正義に関する告発は公共的な問題として扱われるべきであり、(内容的正当性が”十分に”吟味できていなくても、というか吟味するために)公共的議論のテーブルにまず置かれるべきだ」という前提です。もしこの前提が共有できないとしたら、倫理や社会正義をどうでも良いとする立場か、烏蛇氏のように何らかのハードルを課す立場しかありません。
 しかしながら、「そのまだ自明でない倫理がいつの時点かで自明になると現時点で保障・証明できないのであれば(メタ的)正当性はない=討議のテーブルに置かない」というハードルは明らかに不適切です。なぜなら、そのようなハードルを課せば、ほぼ全ての現状変革的な問題提起・告発が退けられてしまうからです。おそらく北守氏が「ある倫理が自明である」と言うのは、「社会の人々の多くが『自明だ』と思えるほどにその倫理が普遍的に強く信じられている・採択されている」というような意味だと思いますが、例えば「人種間に平等に人権が存在する」ということだって、告発当時は「自明になる」確証はなかったわけです。というか、どんなに内容的正当性に自信があっても、そのような世論的動向を保障することなど誰にもできないのです。あるいは逆に、その困難性を踏まえて「いつかの時点」を無期限に延ばし続けられるのなら、そのハードルは無意味なものに堕します。


https://togetter.com/li/1363105

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