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宇宙物理学と状況論?


少しまえに「インナーチャイルドとゼロ磁場」という記事を綴り、「モヤモヤしたもの」のことなども話題にした。そんな事象にもおのずから関連するかしないのか解らないが、ちょうど今日出てきた数年前(2014年度!! の今日。2/23)のFB投稿として出てきたやりとりを、こちらにも記しておこう…。

(この記事に関わらず、私の場合、遺言として残しておこう、というニュアンスもあって諸記事を綴っていることがある。それゆえ現在の出来事はもちろんであるが、ときに数年前~十数年前の心の状態さえ引っ張り出しては記していく。noteというプラットフォームでは、それさえも許されるようなところが、私のようなものにとってじつに自由な空間だ)


まず自分がこんな投稿をFBにしていた。

『事象と構造の相関、また相対的関係性のもとで成り立つ構造、というものこそが存るのであり(その「外」に、仮にもしこれを超えた絶対不動のものが存在しているとしても、事実上(ほぼ)無効である…というのは、私たちが相対的な存在者――であることを免れない――ので)、このことこそが、私たちにとって「意味のある」そして「生きられる」関係性のもとでの世界構築であるし、構造的世界である。
相対的な関係性(磁場-磁力)とその上に生じる諸事象(極-polar)というものから完全に独立的に抽出された 絶対的なもの は、ここでも無効である という点に於いて、“非常に広義の意味における” 状況論に、このこともまた属すると言っても過言ではない。たとえばある種の調和もしくは不調和(緊張関係)が或る意味を帯びるものとされる時、ここで事実上意味を発揮するのは、それが<いかなる質と諸条件/諸次元/諸(磁)場での連関のもとに為る>事象としての(不)調和であるか、を操る処の指向であり構造である。』


何に触発された、どんな分野やフェーズに重きを置いた筆録なのか――哲学なのかたんに状況論なのか、もうすこし広い視野(宗教性や社会学につながる自己他者論など?)での意味論も含んだつもりだったのか――さえも、自分ですら解らない。<何について>なのかの説明もなしにFBに投稿する自分も自分だが、数年前のそれをまったく記憶していない自分も自分だ。それにもかかわらず、複数のかたが絡んでくださった…。

殊に面白いやりとりだけピックアップしておきたい。この記事に反応してくださった今は亡きおじいさま(二年前に亡くなられた…)がいらしたのだ。懐かしい。

そのおじいさまは理系(物理学)出身の方だったので宇宙物理学のフェーズでこれを把握されたようだ。なのでその分野でのやりとりとなるにまかせた。(そのおじいさまらしい、独特の言い回しなどがあるので、多少意訳しています)


「割り込んでごめんなさい。今 理論物理では、観測と存在のあり方(?)で議論が多出。まとまりそうでも、そうでないかも?80年前のやりなおし。ことにこの2,3年目が離せません。認識とは?…。そういう意味でも再確認が必要になりましょう、まとまるかまとまらないか、どちらになっても。」

「これだけじゃ短くてよくわからないんですけど、興味あります。ご専門、ゲージ理論ですよね。。もしかしてトポロジーと関係してきます??? 丸きり素人!ですが興味あります。いつかお会いしたときにお話ししてください」

「(今話題になっている問題は、或るものを)観測すると、されたほうが、その影響で、ある範囲でしか数字として意味をもたない――これがハイゼンベルグの有名な定理ですが――、というのがあるのだが、(もはや)それ以上のところ。例えば少数35桁くらいの空間でのヤリトリを考えていると、粒子の概念がなくなりそうになる、波の概念もなくなり、存在とは何か?モヤモヤとしたもの。としか考えられないと、主張する一団がでてきました。直観が行く先をうまく示すか?――。トポロジーはこれなしでは、議論出来ません。」

「そうですか。しかしある意味、トポロジーなしで議論が出来ない、ということほど、ある絶対的な真理(の有り様!)を意味しているものはないかもしれませんね♡
『>粒子の概念がなくなりそう、波の概念もなくなり、存在とは。何か?モヤモヤとしたもの。』→ ということは、そのspanとかregionではもう、別の場(設定)が要求されている、ということが示唆されているのかしら…」

「これは数学!カントールの<集合論の創始者>の言葉。数学は真に自由だった。これが、真理の入り口。と自分は思ってます。」

(ああ。これが、「理論」物理学なのだなぁ、と何故か思う…。おじいさまがこう続ける…)

「場と空間の関係さえ、ぼやけそうに予感してます。ブレークスルーが直にある。とにらんでます…。今までは、空間の上で場を考えてきました、超弦理論のいう10次元の空間では場=空間?もありか…なぞと遊んでます。概念が融けて定かでなくなりカオスが総ての根源。とか…」

「概念が融けて定かでなくなりカオスが総ての根源、等という言葉には無性に惹かれますね…。音楽のようです。

それはそうと、さっきちょっと自分でスパンという言葉を使ってしまったんですが…この言葉自体、時間の幅でもあり空間の幅でもありますが、(物理学上でも)場=空間=時間、ということもなりたってしまうことはありえないんでしょうか。『>数学は真に自由だった。これが、真理の入り口』 → (これについてですが…、)だが、(理論上とは別に、)物理となると齟齬が生じる?のでしょうか…。その場合その原因は、観測されるもの(粒子なら粒子)の――目には見えない微細なレベルではあっても、厚みの問題――物(身体)の厚みやら、(素粒子以下の微粒子等々の)質量の存否――という問題が残るのでしょうか…。いわば、アキレスとカメのように?

ん~。。。もしかして、まさしく状況論ですコレ…」

と半ば当てずっぽうに言ってみると、

「おっしゃるとおり。何が何だかサッパリ。何せ、存在とはなんだ?ですから、言葉すら、混乱しそう…」とおじいさまが応えられ、そしてつづける。

「アキレスとカメはカンタンなのです。アインスタインは神様には分かっていると言って。ソウスカンを食いました。処が…それとは違って、批判を受けなければならないことが起きました。量子のもつれや、瞬間移動が実験でたしかめられました。瞬間移動は誤解を招くのでひとこと、普通のことデハあり得ません。それでシッチャカメッチャカに落ち込んでいます。」

(そっか。。。量子もつれの話を、2014年代に私はしてもらっていたんだな…)

「量子のもつれ、瞬間移動 → めっちゃんくっちゃんおもしろげです♡♡」

「空想に繋がりそう、でも。事実。とうけとめるしかなさそうです。コレまでのことが、皆消し飛んでいく、、、、、そんな感じ。まあ私としては、これからを、楽しみます。私には作る余力はありません…」

「研究対象がデリケートになって行くほど、行為空間の厚み・観察者の作用などが対象の動き作用と相互不可分になって行きそうですしね…。概念そのものが当嵌妥当な範囲を超えることもでてくるのでしょう」

「そう…。概念!、すら意味を失いかねないのです。このカオスを……もはや予想もできません。」

「とても面白いおはなしをうかがいました。ありがとうございます♪^^」


ここ十年、いや、ここ数年の、[宇宙]物理学-哲学(含:現象学・精神分析学/宗教学/脱宗教学/社会学と[臨床]心理学/神経科学/脳科学etcetc…)の展開は本当に加速度的のようだ…

諸学問分野も互いに越境的・統合的(=本来の姿)になっている。


Kおじいさま ありがとうございました♡ 天国でもフルトヴェングラーをおききになっているでしょうか。どうかお見守りください♪


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