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自分勝手上等-支離滅裂の酔っぱらいnote

どうにか。
自分の気に入る人生を送りたい。


他人の目とか視線とか思いとか。
それも、もちろん、考える。

考えますよね。
人間だもの。

でも、他人サマは優先しなくてもいい。

優先順位の一番は自分。
(もちろん、子どもたちの気持ちが二番てわけじゃない。子どもたちが気持ち良く生きるかどうかってことは「私」に含まれるから、それも含めての、私が一番。私という人間はもう死ぬまで「母親」という視点から逃れられないのです。それは、なんとも幸せなこと。)

リアルでもnoteでも。
私のことを気にかけてくれたり気に入ってくれたりする人がいることは、嬉しいし幸せだなって思う。

でも。
だからといって。
そこにフォーカスしてしまうと。
自分の気持ちを見失ってしまう。

私は、私。
私が幸せである道を探して生きていく。

誰の責任でもない。
誰にも寄りかからない。

私が決めた道を。
私が思う通りに生きていく。

自分で選んで決める幸せ。
それをずっと忘れないでいたい。


でも、こっからさらに考えるべきことがある。

「選択肢を作ることこそが選択肢を少なくする」

この言葉を一番はじめに知ったとき。
正直。

はぁ?????

ってなった。笑

でも今は理解できる。

「好きな色をひとつ選んでいいよー」
って目の前に12色の色鉛筆を並べられたら。
人はその中から何色かを選ぶ。

48色の色鉛筆を並べられたら、48の選択肢の中から1色を選ぶ。

でも色鉛筆なんか並んでいなかったとしたら。もっとたくさんの色の中から自分で決められるのかもしれない。

だから。
選択肢を与えるという行為は。
相手の選択を阻める行為でもあるのだ。

これは教育と介護の話から得た考え方なのだけれども。

生き方や子育てや恋愛にも通じる。

ってか人が生きる全てに必要な視点だと私は思う。

選んだつもりで選ばされている。
そのトリックを意識して生きるかどうか、だ。


てことを話したとして。

易々と理解する人もいるし。

はにゃ?
ってなる人もいる。

理解力があるからといって優れた人間とも限らないし。
理解力が無いからといって憐れまれる人間とも限らない。

人間に優劣つけるなんて意味がない。

でも。
一緒に話をしてみて。
思考を深くしてくれる人だったら。
それは楽しいよね。

でもだからって。
その人に恋をするかどうかは別の話。

尊敬と恋はイコールじゃなくてもいい。


自分がいて。
他人がいる。

自分が相手を気に入るかどうか。

ただ、それだけなのかもしれないなぁ。

シンプルなことを難しく考えて、ごちゃごちゃさせてるのは自分自身。

か。


とかいうめんどくさいこと。

自分以外の方々は、そんなに考えてないのかなあ?

最近コメント少ないので寂しいです←自業自得。笑

良かったら、酔った勢いで何か残してってください!笑

いつまでも楽しく酔っぱらえるような日々を暮らせるように尽力します!

みなさまにも良い夜が訪れますように。