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『インドシナ難民』って聞いたことある?

"難民"という言葉はニュースで見たり聞いたりしたことがある人は多いと思う。

だけど、難民とは何か、なぜ生まれた国を捨てるのか、どんな思いで国を脱出するのか、知らない人が多いと思うので少しでも興味があれば見てもらえると嬉しいです^^

私の両親はインドシナ難民として日本に来ました。

~インドシナ難民とは~

1975年、ベトナム・ラオス・カンボジアが社会主義体制に移行したことにより、経済活動が制限されたり、同体制の下で迫害を受ける恐れがあったり、体制に馴染めないなどの理由から自国外へ脱出し、難民となった人々の総称。

私は物心ついた頃から、ボートピープルになった両親達の話しをよく聞かされていたので、簡単にここで書きたいと思います。

私の両親とその兄弟や多くの親戚はベトナム戦争後ボートで国を脱出しました。

ボートピープル(英語: boat people)とは、紛争・圧政などの下にある地から、漁船やヨットなどの小船に乗り、難民(経済・政治)となって外国へ逃げ出した人々である

終戦後に社会主義となったベトナムでは、持っていた家や土地や財産は国に奪われ、様々な自由も奪われ苦しい生活を強いられたそうです。

そしてある日の深夜、私の両親は幼い兄と姉を連れて小さな船で国を出たのです。もちろん見つかれば捕まるしその場で殺される可能性もあります。

行く当てもなく、逃げて生き延びられる保証もありません。しかし辛い状況から逃げたしたい、とにかく国を出たい、自由が欲しかったのです。

船の上ではベトナム人同士の争いもあり、途中で海に突き落とされた人も居たそうです。

両親が乗っていた船は、偶然日本船籍の船に助けられてシンガポールまで運んでくれ、シンガポールの難民センターで数ヶ月過ごします。

その頃ベトナムから脱出した難民が多く居た為、複数の国が受け入れてくれる事になり、行きたい国を聞かれた父が『初めに助けてくれた日本に行きたい』と答えた事から日本に来る事になりました。

これが日本に来た簡単な経緯です。

この話しを聞く度に、両親と兄弟が生き延びられた奇跡に感謝し、日本に来なければ私は産まれなかったかもしれない、という不思議な感覚に陥ります。

インドシナ難民で国を出た人々は各国に散らばりました。

各国の現在までのインドシナ難民受け入れ数は以下となっている。(Wikipedia)

アメリカ - 823,000人

オーストラリア と カナダ - 各137,000人

フランス - 96,000人

ドイツ と イギリス - 各19,000人

日本 - 11,319人

イスラエル 400人

実際に私の親戚は、アメリカ・オーストラリアに居住している人が多く、親戚に会うためにこれまで2度アメリカに渡りました。

(オーストラリアは行った事がないからいつか行きたいなぁ。。)

ちなみに私は日本で生まれて、兄弟と日本語ばかり話していたのでベトナム語を話す事はほとんど出来ません。。喋っても発音が固いそうです。汗

(じゃあどうやって親と親戚とコミュニケーション取るのって話しだけどまた別のnoteで)

引き続き、色々書いていきたいと思います。
ありがとうございました^^

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