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魔女の檻からの脱出

ここからは、私と家族との話になります。
ご興味がない方はブラウザバックしてください。

私は3人きょうだいの長女です。
下に弟と末っ子の妹がいます。

自身も機能不全家族だと度々申し上げてきましたが、

私達3人全員が歪な家庭で育ちました。

歪というより、母親が子ども依存だった為です。

形としては放置家庭でしたが、
家庭の中はギチギチに固められた形でした。

母親が宗教にハマっていたので、付録についてきたタロットカードも捨てられたこともありました。

二階建ての家の二階部分は、子ども部屋でしたので、
親がいない夜には三人で良く
『どうしたらこの家から出られるか?』を話し合っていました。

未成年ながらも我が家の異常には気がついていました。
そうした意味では【洗脳】されずに済んでいました。

私が一番早く家を出て、次に弟が出ました。
妹は飛行機を使わなければならない場所への大学に進みました。

私が選んだのは、両親が容易く私の家に来れない場所を選択しました。

そうした意味では、弟が一番の被害者でした。

仕事の都合で、実家から車で30分程のところに住んでいたからです。

毎週のように母は弟の家に行っていたようでした。
『部屋の片付けと料理を作ってくる』が大義名分でした。

他人様から見れば、『優しいお母さん』
『良くできたお母さん』だったかもしれません。

ですが、弟は逃げた先にも母親が現れることに疲弊していました。
引っ越ししようにも仕事があるのでなかなかできなかったようです。

いくら逃げても弟には執着にも似た感情で、母親は弟を追い詰めていました。

今から考えると、もっと弟には配慮すべきだったと思いますが、
当時の私は子どもが乳児だった為にあまり自由な時間がありませんでした。

そうして、弟はお酒を飲むようになり肝臓を壊して仕事すら辞めざるを得なくなりました。

仕事を辞めたら家賃を払うことはできなくなります。
弟は泣く泣く実家へと戻りました。

働けるまでに、回復した弟は実家から通える場所に仕事を探しました。

またお金が貯まったら引っ越すんだ、とも言っていました。

奇しくもその話をしたのが、

ちょうどお盆の時期でした。


確か終戦記念日の日だったと思います。
(お酒のおつまみにすいとんを作ったので)
弟に『結婚はしないのか?』と聞いたことがありました。

普段は恥ずかしがり屋で自分の話は滅多にしない弟でしたが、

その日は酔っていたからかもしれません。

『実は……』と話してくれたことがありました。

好きな女性がいること。
市役所の職安で知りあったこと。
6歳年上なこと。
×イチなこと。
6年生になる子どもがいること。

その女性と結婚したいと言っていました。

ただ、年上なこと、×イチなこと、子どもがいることを母親は反対するだろうから、
早く引っ越しをして結婚を考えていると。


それを話していた弟はとても幸せそうに見えました。
母親の反対があっても、自分は彼女と一緒になりたいと、弟ははっきり言っていたのです。

私は少し安心しました。
弟が結婚できたら、母親からの呪縛からは逃れられると思ったからでした。

でも、

これは甘い考えだと思い知らされました。

弟は事故(自損事故)に遭って、殆どの記憶を失ってしまいました。
遅くに駅に着いた母親を迎えに行ったときの出来事でした。

私が駆けつけたときに、弟はICUに入っていました。
主治医からは『多臓器不全です』
『救命できないかもしれません』と知らされました。

奇跡的に弟が退院できたのは、事故を起こした1年半後でした。


ICUに入っているとき、弟の携帯のロックを解除して(当時は携帯だったので機種によっては容易に解除が可能でした)、
母親は弟の携帯から会社に連絡をしようと考えたようです。


ロックを解除した私が見たのは、女性の名前からの夥しい数の着信履歴でした。

普段から頻繁に連絡を取っていたのでしょう。
急に連絡が途絶えた為、電話からもメールからも連絡が来ていました。

たまたまロック解除したときに妹もいましたが、

『これ、この女性に連絡してあげた方がいいんじゃない?』
と話していました。

記憶を無くした弟と別れるかどうかは、彼女である女性が判断することです。

その話をしているときに、母親が物凄い形相で
『そんなことは必要ないから早く携帯を貸して』と言ったのです。

私は一瞬戸惑いましたが、妹は(諦めて渡さないと後で面倒なことになる)と目配せしてきました。

当時はそんなに長く入院するとは思っていませんでしたから、

私は仕方なく母親に弟の携帯を渡しました。

長期間入院した弟は、現在も二階に引き籠っています。
両親は彼にパソコンもスマホも渡していません。

一時期私が内緒でスマホを買って契約して使っていましたが、

年数が経つにつれて壊れてしまい、今は外部との接触を絶たれています。

両親を嫌う弟の部屋に唯一入れる私が見たものは、

事故を起こした当時流行っていた女性用のグッチのお財布でした。
彼女へのプレゼントだったのかもしれません。

ギフト用の梱包は開けられていて、弟のすぐ側に置いてありました。

普通なら彼女の電話番号など記憶してしまうのかもしれません。

が、弟はたぶん思い出せなかったのだと思います。

LINEにも弟だと一目でわかる物をアップしていました。

あのお財布を見る度に私は後悔します。

弟が彼女に振られたとしても、

連絡できなかった経緯は伝えるべきだったと。


弟を確保した母親は、現在はミュンヒハウゼン症候群になりました。

妹も私も距離を取って付き合っているので、必要な時以外は実家には行きません。

冷たいと思われるかもしれませんが、
こうしないと自分を守れないからです。

今回は本来なら『共依存親子』を書く予定でしたが、弟の件を思い出してしまい苦しくて書けませんでした。

台風が近づいていますので気をつけてくださいね。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。