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なぜ中学生ダブルスで黄金ペア以外同調できなかったのか?

昨日書いた記事のD1で「同調(シンクロ)に関しては偶然とはいえ氷帝戦で見せたわけですから、その対策はしておくべき」と書きましたが、ふと1つの疑問が湧きました。
それはどうして丸井ジャッカルのいわゆる「白金(プラチナ)ペア」は同調できなかったのか?という疑問で、今回の記事はそれに関する答えを私なりに出します。
丸井ジャッカルに限らず、氷帝の宍戸・鳳や四天宝寺の小春・ユウジや山吹の南・東方などテニプリには様々なダブルスが出ましたが、同調(シンクロ)まで行ったのは黄金ペアだけです。
そして新テニでもこの同調は出てきてメカニズムが解説されていますが、それも踏まえて見ていくとなぜ旧作では黄金ペア以外なれなかったのかが見えてきます。

同調(シンクロ)とはダブルス版無我の境地


時系列が逆になりますが、新テニの大石・仁王ペアVS双子ペアで改めて同調が何なのか?というメカニズムが解説されています。
お互いの思考・動きが手に取るようにわかり体が自然に動いてしまう状態を指すわけであり、しかも発動条件はピンチの時のみ稀に起こりうるものです。
しかも最初に黄金ペアが同調した時はお互いに意識が飛んでいたという臨死体験に近いのですが、これに近い状況というとやはり「無我の境地」が思い出されます。
そう、越前リョーマと切原赤也がそれぞれ関東大会決勝で辿り着いた境地ですが、無我の境地のダブルス版が同調(シンクロ)ではないでしょうか。

じゃあ普通のダブルスとどう違うのかというと、お互いに目配せやサインを送らなくても体が勝手に動いてボールに反応できてしまうという違いがあります。
わかりやすい例だと「新世紀エヴァンゲリオン」でシンジとアスカがやっていたシンクロ率が該当しますが、まさにあれをテニスでやっているようなものでしょう。
「ドラゴンボール」でいえばフュージョンやポタラ合体のようなセックスに近い概念で、お互いに波長やリズムが合う心地よさを経験している感じです。

ただし無我の境地と大きく違うのは「技のコピー」と「体力の消耗」がないことであり、とてもコスパが良いものだといえますが、これはダブルスだから可能な設定でしょう。
無我の境地は以前の考察で書きましたが界王拳や超サイヤ人と同じで一時的に体にバフをかけてパワー・スピード・スタミナ・テクニック・メンタルを倍加させるものです。
しかしそのために肉体には多大なる負荷をかけているためその分消耗が早いというデメリットがありましたが、同調にはそのようなデメリットはありません。
なぜかといえばシングルスが1人で全てを賄わないといけないのに対して、ダブルスは相棒が半分負担してくれるからであり、お互いの長所がお互いの短所を打ち消しています。

これによって無我の境地でかかるはずのデメリットを相殺して自然に潜在能力を引き出した状態が同調(シンクロ)なのではないでしょうか。
その同調には精度がきちんとあって、やはりエヴァと同じようにシンクロ率のような数値化できる質の高さがあることも新テニで判明しています。
そして同調と別に「能力共鳴(ハウリング)」もダブルスにはあるのですが、それはまた別の機会に語るとして同調の定義はここでできました。
発動条件が無我の境地に近い状態のですが、ではなぜ原作では青学の黄金ペアにしかこの境地に到達することができなかったのでしょうか?

黄金ペアは紆余曲折を経てお互いの大切さを知った


原作の中学生で黄金ペアのみが同調に辿り着けた理由は紆余曲折を経てお互いの大切さ・尊さを知ったからこそこの境地に到達できたのではないでしょうか。
黄金ペアのドラマはよく見てみると非常に真っ当な中学生の友情物語となっており、青学の明るく爽やかな印象は黄金ペアが醸成していたと言っても過言ではありません。
それぞれ大石と菊丸のドラマを見てみると、白星と黒星がいいバランスでついており、青学の切り札だからこそここぞというところでしか勝たせていないのです。
それでは黄金ペアは全国決勝で同調を自由自在に操れるレベルになるまでにどのような経験をしてきたのでしょうか?

  • VS内村・森(不動峰戦):雨の上でも余裕で勝利

  • VS赤澤・金田(ルドルフ戦):菊丸の体力切れで負け

  • VS南・東方(山吹戦):大石の冷静さで我慢し勝利

  • VS忍足・向日(氷帝戦):桃城と3人でダブルスし勝利

  • VS佐伯・樹(六角戦):不二とのダブルスで菊丸が分身習得し勝利

  • VS仁王・柳生(立海戦):大石の領域で前衛と後衛が交代するも負け

  • VS甲斐(比嘉戦):体力不足を克服した菊丸が1人ダブルスで勝利

  • VS宍戸・鳳(氷帝戦):同調を習得するも大石の手首が治りきっていないので敗北

  • VS丸井・ジャッカル(立海戦):同調を自由自在に操れるレベルになって勝利

このように見ていくと黄金ペアは一緒に試合した回数自体はそんなに多くはなく、6回ある中で3回は負けており、勝率は50%というところです。
しかも関東氷帝〜全国氷帝までは大石が手首を痛めて完治していなかったことが災いして関東立海と全国氷帝には負けています。
ただし、これで黄金ペアが弱いのかというとそんな印象はなく、まず関東大会で大石は部長代理という手塚がしていた役割を担うことになるわけです。
そして菊丸は大石以外にも桃城や不二と組んでダブルスをしたのですがこれがお互いにとってよかったのではないでしょうか。

まず菊丸にとっては当たり前だと思っていた大石のサポートが氷帝戦で当たり前ではないと知り、徹底的に桃城をサポートする側に回りました。
更に六角では佐伯を抜くために分身まで習得していた訳であり、竜崎先生も言っていたように菊丸は自身のプレイの幅を広げたのです。
そして大石も手首を痛めて満足にプレイできなかったから何もしなかったかというとそうではなく、乾と一緒に練習メニューやオーダーを考えていました。
乾と一緒に部長代理を務めて周りを冷静に見る俯瞰の視点を養った訳で、それが関東立海で出てきた大石の領域へと繋がっているのでしょう。

だから関東立海では惜しくも敗れ去ったものの前衛の菊丸と後衛の大石が入れ替わったり、更にオーストラリアンフォーメーションをやったりしています。
そう、ダブルスプレイヤーで役割がはっきりしているからと固執することなく、自分のプレイの幅を広げてダブルスの可能性を試行錯誤しているのです。
これがとてもよかったところで、黄金ペアだからと固定されたお約束の役割に自分を縛るのではなく、必要に応じてあえてやったことのないことを試してみる
おかげで菊丸は大石への感謝と貢献の気持ちを持つことができてプレイに幅も生まれたし、大石も部長代理を務めたことで器が大きくなりました。

特に真田を相手に「俺たちは勝つために来た!」と言い切る男前っぷりは素晴らしく、思えば大石は手塚がいない青学を優勝へ導くという約束をしっかり果たしたのです。
そして全国に入って今度は菊丸がシングルスを覚えたことで一時的に亀裂ができても仲直りし、そうした精神と技術の成長の結果ダブルスの限界を超えることに成功しました。
越前リョーマと手塚国光がシングルスで勝つために追い詰めた自分の壁の向こうに無我の境地とその奥にある3つの扉を開いたように、黄金ペアもダブルスの壁を突破したのです。
だからこそ唯一同調へと辿り着くことができた訳であり、そのために必要な紆余曲折だったのだということが読み取れます。

他のダブルスが同調に行けないのはダブルスの可能性を突き詰めていないから


こうして見ていくと、同調に黄金ペア以外が辿り着けなかった理由はダブルスの可能性を突き詰めていないからだとわかります。
例えば青学だと他に桃城・海堂ペア、不二・河村ペア、そして乾・海堂ペアとありますが、彼らは元々シングルスプレイヤーだったのが仕方なくダブルスを組んでいるに過ぎません。
そのため桃城・海堂はライバルだからシンクロ率もクソもなく喧嘩も多いし、不二と河村も各々がシングルスの戦い方をしているため違うでしょう。
そして乾と海堂ペアも技術面の信頼はあっても心からの信頼関係や友情ではなく遠慮がちなところがあって、同調には程遠いのです。

その点で言うと赤澤・金田や宍戸・鳳は役割分担こそ完璧ですが先輩後輩ならではの遠慮があって対等な関係であるとはいえませんし、佐伯と樹もまず各々がシングルスプレイヤーです。
立海の仁王・柳生はあくまでも仁王が柳生に擬態しているに過ぎませんから心の絆ではないし、柳・赤也ペアもあくまで猛獣使いと悪魔という主従関係でしかありません。
しかもここまでに挙げたペアはいずれもが自分に与えられた役割以上のことをしようとせず、様々な可能性を試して自分の器を広げることをしていないのです。
そりゃあどんなにダブルスとしての相性が良くてベストパートナーだったとしても、それだけで同調に至ることは難しいのではないでしょうか。

こう考えると白金ペアが黄金ペアと違って最後まで同調へ辿り着くことができなかった理由もわかります。
白金ペアは桃城が分析するようにボレーのスペシャリスト=攻撃専門の丸井と4つの肺を持つ男=守備専門のジャッカルという役割がはっきりしているのです。
その与えられた役割のまま関東大会ではパワーリストを外すことなく桃城・海堂ペアに勝利したわけであり、彼らには大きな反省点はありませんでした。
そしてその戦術は全国決勝でも変わることはなく、せいぜいパワーリストとアンクルが20kg程度に増えただけのことです。

だから黄金ペアと違ってダブルスの様々な可能性を模索する経験もしていないし、お互いがずっと一緒に居るから感謝の気持ちも特になかったのでしょう。
このように「当たり前」だとお互いを思って空気化してしまうと同調からは遠退いてしまうわけで、これは小春ユウジのラブルスコンビにも言えることです。
あいつらも常々漫才コンビのように一緒にいるのが当たり前になっていて他の役割を試そうとしないから、黄金ペアと違ってプレイの幅が広がっていません
様々な紆余曲折を経験して敢えて離れてシングルスも経験するという遠回りをしなければ、同調へと至ることができないのではないでしょうか。

そりゃあ仕事仲間みたいな関係の白金ペアでは黄金ペアに技術の完成度はともかく心の繋がりで勝てるわけがありません
だから何が言いたいのかというと、あの試合は黄金ペアの同調への対策をきちんとしていなかったのが悪いのであって、黄金ペアの時間稼ぎを批判するのはお門違いということです。
そもそもあれだけ卑劣なラフプレーを勝つためとはいえ黙認している立海に青学の時間稼ぎをどうこう言う資格はないでしょう。

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