見出し画像

脱構築と再構築の観点から見る『ふたりはプリキュアSplash☆Star』(2006)が「不遇の名作」と称される理由〜あまりにも早過ぎた「再構築」故に時の運に恵まれなかった説〜

フィクションには大まかにわけて3段階の、すなわち基盤をゼロから作り上げていく「守」=構築、その作り上げた基盤を解体する「破」=脱構築、そして解体した状態から新たな基盤を再生させる「離」=「再構築」があると述べた。
私がスーパー戦隊シリーズの中で『電撃戦隊チェンジマン』(1985)、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)、『星獣戦隊ギンガマン』(1998)を三大傑作と評するのもそれぞれが3段階の象徴といえる転換点の作品だからである。
このように見ていく時、先日批評した『ふたりはプリキュアSplash☆Star』(2006)は異例中の異例であることが改めてわかった。
作品を見た人たちからは高い評価を受けているのだが、それでも今ひとつシリーズの中で埋れている「不遇の名作」という扱いを受けてしまっているようだ。

そうなった理由はいくつか考えられるが、一番は「玩具売上の大幅な下降」であろう、前2作(初代・MH)の爆発的なヒットによって「SS」で求められる玩具売上の目標金額が90億まで上がったのである。
『ふたりはプリキュア』(2004)の玩具売上が101億、その続編の『ふたりはプリキュアMAX HEART』(2005)の玩具売上が123億と化け物じみたインフレを見せており、当初の目標設定を大幅に上回った。
そのことによって求められる売上のハードルが上がってしまい最低でも90億まで行くことを目標にしたにも関わらず、その水準に到達することができなくて60億まで下回ってしまったということがある。
商業的には確かに「SS」は女児人気を下降させてしまった失敗作という見方をすることができようが、そんな玩具売上など所詮は一過性のものなのでさしたる問題ではない

2つ目は平均視聴率の下降にあるのだが、これに関しても正直「SS」という作品の質が低いから下がったのかというと、必ずしもそうは言い切れないところがある。
初代が7.29%、「MH」が7.87%と00年代の作品群ではかなりの高視聴率だったのがSSになると6.38%まで下がるのだが、その原因は決して作品の質にあるのではない
何故ならばその後の「5」が6.58%、「5GOGO」が5.60%であるから、「SS」と大差ない視聴率であり、決して「SS」だけが格段に低いわけじゃないのである。
また「SS」と同時期に放送されていた『轟轟戦隊ボウケンジャー』『仮面ライダーカブト』の平均視聴率も下がっており、それぞれ「ボウケンジャー」が6.7%、「カブト」が7.7%だった。

これはそれぞれ『魔法戦隊マジレンジャー』が7.7%、『仮面ライダー響鬼』が8.2%だったところから下がったのと同じだが、2006年のニチアサにはある競合番組ができたのである。
それがテレビ東京で放送を開始した『ポケモンサンデー』であり、「SS」のみならず男児向けの特撮番組の二大看板もやられていたわけであり、そういう外的事情が大きかった。
視聴率が必ずしも作品人気を反映したものとは言い切れないのは同時代のトレンドによる影響があるためであり、決して作品の質がいいから高視聴率になるとは限らない。
つまり何が言いたいかというと、SSが悪いのではなく2006年のニチアサが全体的に視聴率低下を余儀なくされるという不遇の時代だったということだ。

そうした外部の商業的事情故に恵まれないという例は珍しくも何ともない、それこそ昭和時代も平成時代もリアルタイムでは数字がイマイチ出ないで番組が短縮・打切りになった例なんてごまんとあるのだから。
今でこそ「アニメ史上最大のエポック」なんて言われいている『機動戦士ガンダム』(1979)ですら、当時は玩具売り上げも芳しくなく視聴率もお世辞にもいいとは言えないため、52話が43話に短縮となった。
その後再放送による口コミでどんどん人気が高まっていった訳であり、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)も正にそのようなヒットの仕方だったのだが、「SS」にはそのような「再評価」の波が中々来ない。
正確に言えば、個人単位できちんと作品を見た人はA(名作)ないしS(傑作)という評価を下すのだが、そうではなく対外的評価も含めての世間一般としての再評価には至っていないのである。

結果として「隠れた名作」のような扱いを受けているのが「SS」という作品の実情なのだが、この原因を敢えて脱構築と再構築の話に絡めると、ある程度どころかとても筋が通る説明が可能だ。

どういうことかというと、『ふたりはプリキュアSplash☆Star』という作品はあまりにも早すぎた「再構築」故に時の運に恵まれなかった、ということではないだろうか?

プリキュアシリーズに限らないが、物事には何でも一旦寝かせて熟成させる期間は必要であり、仮面ライダーやスーパー戦隊は(少なくともある時期までは)時間をかけてシリーズを熟成させてきた。
スーパー戦隊でいうと、シリーズの基盤を0→1で作り上げ1→10に完成させる「守」に10年、その10を一旦0に脱構築する「破」に6年、そして更に新たな0→1を築き完璧な1→10を再構築する「離」に7年かけている。
それこそ仮面ライダーだって、休止を長年挟んでいたとはいえ、無理に焦らずにシリーズを何作か試行錯誤でやって行く中で何度か大同小異の変化を経験しつつ、「クウガ」という大きな脱構築を経て「電王」という再構築を経た。
この2シリーズはある種ゆっくりじっくりと長期的戦略で歴史を蓄積していったからこそ正当な方法で進化できたのだと思うが、プリキュアシリーズはその辺りが違うのかもしれない。

少なくとも「初代」「MH」でふたり路線の基盤は出来上がった訳だから、それをいきなり「SS」で脱構築すらしていない段階で再構築するのはあまりにも早過ぎたのではないか?
これが「5」「5GOGO」などある程度のシリーズの歴史を積み重ねて、シリーズとしての脱構築を経験した上での「SS」という再構築であったら、また評価は違っていたであろう。
まだシリーズとしての基盤も歴史も浅い段階でいきなり再構築に手を出すというのは視聴者からすれば心の準備ができていない訳だから、戸惑ったとしても無理はあるまい。
私は「SS」を見るまでは初代とMHという歴史の蓄積すら知らない例外的な横入りの傍観者だったからこそ、純粋に一作品として「SS」を楽しめたのだろう。

ただ、じゃあだからといって本当に「SS」が脱構築を経た後で、それこそタイミング的には「Go!プリンセス」辺りのタイミングで再構築したらよかったのかというと、決してそうではない
やはり初代とMHで作り上げた当時の東映アニメーションスタッフの優秀な手腕と環境、声優たちとの出会いとタイミングがなかったら生まれなかったのも事実だから、「SS」は間違いなく2006年がベストのタイミングではあった
そう考えると、芸術作品は常に時の試練に晒されているのだなと、特にニチアサの子供向け作品群はその時その時の子供のニーズをいち早くキャッチして作らないといけない難しさがある。
まあ私もプリキュアシリーズの歴史を全て把握しているわけではないので、20周年を迎えた今年がシリーズとしてどの段階にあるのか、そこまでにどんな歴史を形成しているのかはわからないのだが。

とにかく、『ふたりはプリキュアSplash☆Star』は当時としてはあまりにも早過ぎかつ先見の明があり過ぎたからこその「時代が追いついていない傑作」なのかもしれない。
そんな作品をリアルタイムで全話逃さず見て純粋に驚くことができたのは私にとって間違いなく僥倖だった。
それだけは真実である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?