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激動の2023年を振り返ってみた

さて、今年も残すところあと4日ほどになったので、昨年と同じように2023年がどういう年であったのかを改めて振り返り総括しておきたい。
私にとって2023年は「偽物」と「本物」がはっきりと二極化した運命の分かれ目の年だった、というのが最終的に落ち着いたところであろうか。
ゲッターズ飯田が「これまで報われてこなかった人たちが表舞台で輝き出し、逆に今まで驕って準備しなかった人たちは落ちていく」というニュアンスのことを言っていたが、本当にその通りだったと思う。
2020年のコロナ禍によって「個人」と「社会」が分断され手から3年、コロナによる自粛自体は解除されマスクを着用しなくて良くなったものの、やはり3年にもわたる影響は確実な変化を社会全体にもたらした。

そんな社会全体の抜本的な変化を見ていて思うこと、そして個人として私が経験して感じたことの双方で共通しているのは「本物」と「偽物」が二極化してきた、ということである。
昨年までと比べると本当に余計な人間関係が減って必要な人間関係だけが残ったと思うし、自分が好きなこと・やりたいことも明確になって絞られてきたのではないかと思う。
芸能や政治をはじめあらゆる業界のなかで今後の時代に最適化していける人たちが台頭し、逆にそうでない人たちは淘汰されていくという現象が露骨なまでに顕在化した年だった。
逆にいえば、私個人としても不要なものをばっさり捨てて本当に必要なものだけを残すことが人間関係でも仕事でも私生活でも出来て、波動がだいぶ上がってきたという実感がある。

そんな2023年を「公的=マクロ」な観点と「私的=ミクロ」な観点の2つに分けて振り返ってみよう。


マクロな観点から見た2023年

芸能界・政治界の既得権益問題

まず今年の目玉として挙げられるのは何と言っても芸能界・政治界の既得権益問題であり、特にジャニー喜多川の性加害問題によるジャニーズの凋落と中田敦彦の松本人志に対する提言は大きな問題となった。
政治に関しても相変わらず「検討します」だの教育の無償化だのが社会問題となる一方で、例えばおおさか維新の会のような目立たなかったところが逆に目立つようになるなどの顕著な変化も起きている。
まさに地の時代の象徴だったものが目に見えて衰退・没落していき、それに取って代わる勢力が着実かつ確実に力をつけて台頭し始めているというこの現実は紛れもない事実だ。
これらの問題に対する個人的見解は今更述べることはしないが、俯瞰して見ると芸能界や政治界の中でも今年は特にそういうエネルギーの変化が目まぐるしく起こったのだと思う。

ジャニーズに集中していた権力が分散したことにより名実共に芸能界が中央集権型ではなくなり、今まで日の目を見なかったYOASOBIや鈴木愛理などが台頭している様が顕著だ
特に鈴木愛理はハロープロジェクト出身で°C-uteとBOUNOのエースで「アイドルが憧れるアイドル」というキャッチフレーズが付くほどだったが、知名度や人気がイマイチな部分はあった。
それがYOASOBIの「アイドル」のカバーや「最強の推し」などのオタク女子属性を前面に押し出したことで1つの方向性が定まり、実力と人気が比例し始めているようにも思われる。
今や芸能人ですらもその活動の場を既存のテレビではなくYouTubeやTik TokなどのSNSに広げ始めたことから、かつてのテレビが台頭してきて映画産業が斜陽化したのと同じ流れが本格化した。

そんな流れの中で上手に変化に適応できたものもいるが、逆に胡座をかいて失脚したり引退したりしていった人たちもいる、もはや日本のテレビありきの芸能界は長くないことが示されている。
まさに「本物」と「偽物」が二極化し始めている証拠であり、来年はよりこの変化が顕著なものとなって芸能でも政治でも風の時代に適応出来るものとそうでない者との二極化に拍車がかかるだろう。

YouTuberの二極化問題

そして何と言っても「本物」と「偽物」が二極化したのは他ならぬYouTuberであり、ショート動画の台頭も相俟って各所に変化が訪れ始めているのではないだろうか。
はじめしゃちょー・HIKAKINのように相変わらずトップを維持する者、スパイダーメーンことヴァンビののように不死鳥のごとく蘇った者、そして朝倉未来・コムドット・東海オンエア・フォーエイトのように落ちぶれていく者まで様々ある。
昨日はDJ社長が債務を溜めまくって首が回らなくなったせいか消息不明になってすらいたし、かと思いきや夏からまさかの中学生YouTuber・ちょんまげ小僧の「ひき肉です!」が世界レベルの反響を生み出したりもした。
芸能や政治ですらも大きく権力が分散して二極化しているのだから、よりその変化が顕著なYouTuberが影響を受けないわけがなく、既存の構造は崩れて本物のみが残っていく縮図となったのではないだろうか。

1つ意外(というほどでもないが)だったのはヒカルが意外にも落ちるかと思わせておいてしぶとく回復して令和の虎の社長たちと盛り上げてみせたことであり、数少ない「炎上軍」の生き残りとして強いと思う。
そして逆にてんちむやはなおでんがんのように去って行く者もいたりぷろたんのように異性関係がすっぱ抜かれる者もいたりとある中で本物だけが確実に残って偽物がだんだんと淘汰されつつある。
とりあえず最初に挙げた朝倉未来・コムドット・東海オンエア・フォーエイトに加えて水溜りボンドもかつての勢いはなくどんどんオワコン化しつつあるし、ラファエルやシバターも全盛期の勢いがない。
グループ系にしたって根強く数字を維持できているのは精々フィッシャーズくらいだし、一番注目していたすしらーめんりくが今年はショート中心に切り替えたこともあってかメイン動画の動きが少なかった。

芸能人も混じることでかつてのYouTuberが築き上げてきた構造にも大きな変化が起こり、結局は先行者利益を得つつも方向性を間違えずに自己研鑽し続けられた者だけが残り、後は落ちぶれていく構造だ
まあ東海オンエアに関しては今年のはじめにNHKで松本潤と共演したことで運を使い果たしたと言えなくもないが、とにかくYouTuberにとっても激動の一年だったことは間違いない。

ネットミームの大衆化問題

そして上でも触れたが、今年は特にネットミームがこれまで以上に大衆化し始め、例えばYOASOBIの「アイドル」やちょんまげ小僧の「ひき肉です!」あたりはそうであろう。
他にもHIKAKINの「みそキン」やそれのパロディであるヒカルの「みそる」を始め、これまで以上にネット発信のものが社会全体に大きな影響を与えた年だった。
これまでネット発祥から新たなビジネスが生まれることはもちろんあったし、それこそ00年代で言えばニコニコ動画なんかは今のYouTubeやTik Tokの先駆けといえるだろう。
しかし、昔はあくまでもそれがあくまでも「サブカルチャーの中の1ジャンル」という位置付けに過ぎず、社会全体に大きな影響をもたらすことはほとんどなかった。

ところが、今年はネットミームが大衆化したことによってネット発祥のものがもはやメインカルチャーの象徴にまでなりつつあり、これもまた社会全体にとっては大きな変化であろう。
既に2019年の段階で識者からは「一億総芸能人時代と共に一億総鬱社会が到来する」と言われていたが、それが具体的な社会問題にまで発展したのが今年というわけだ。
個人と社会が分断されることによって「社会」が全体の存在たり得なくなり、逆に「個人」の発信が社会を作り上げていく時代が到来したということではないだろうか。
90年代において既に萌芽を見せていたものがようやく形となって日の目をみるに至ったのが今年というわけであり、これもまた「本物」と「偽物」の二極化の現れだ。

たかが中学生ごときの自己紹介の挨拶が世界レベルでヒットし芸能人ですらも真似するほどになるとはかつての社会的構造からは考えられなかったことだ。
テレビはテレビ、ネットはネットといった形で棲み分けられていたものの垣根がなくなって全員が等しく権力を手にすることができるようになったのである。

ミクロな観点から見た2023年

ネット活動の一本化による記事の充実

ここからは個人的な振り返りだが、ネット活動をnote一本に切り替えスーパー戦隊と映画を中心として発信するようになってからはトラブルがありつつも断然やり易くなった
決して収益化が目的ではないがそれなりに手応えのあるものを安定して書けるようになってきたし、何よりもnoteというプラットフォーム自体があまりにも利便性がありすぎる。
自分が本当に好きなものに絞って発信し続ければいいし、X(旧Twitter)を辞めたことで余計な情報を目にしなくて済んでいるというのも自分にとって大きな変化であった。
ネット活動を一本化し書く記事のジャンルを特化させたことによってやりたいことや書きたい記事が明確になったし、何より視野を広げることが可能になったのである。

もともとの動機であったスーパー戦隊シリーズは今までよりも物の見方や解像度がより上がったと思うし、映画・アニメ・漫画に関しても昨年より質の高い記事を書くことが可能となった。
自分と向き合う時間を今まで以上に作ることでより考えを洗練させて発信することができているので、今は本当に書くということを全く億劫に感じなくなっている。
去年の一時期は相当に辛かったが、その辛さを乗り越えた今年はより自分の好きなことに特化できるというのはこれ以上ない喜びだし、何よりも自分はエンタメが好きなのだと実感できた。
また、批判コメントや誹謗中傷が来ても全く動じなくなったし、むしろ怒るべきところではっきりと怒りを示すことで本来の自分の強さや尖を取り戻すことに成功している。

ネット活動を本格的に初めて13年目にしてようやく自分の中で「必要なもの」と「無駄なもの」を取捨選択して後者をバッサリ捨てて前者のみに特化させることを受け入れる覚悟ができた
これこそが本当の意味での「合理化」であり、13年間無理せずに続けて来たことでようやく自分の中で見えた嬉しい変化であり、それを実感できたことを心から感謝する。

人間関係の徹底的な断捨離

そしてこれはネットでもリアルでもそうだが、去年以上に大きかったのは人間関係の徹底的な断捨離であり、それこそ「本物」と「偽物」の二極化を感じたことである。
私が記事を書き始めたことでいろんな人と絡むようになったが、その中でも親友である黒羽翔氏とのオフでの対面と固定のフォロワーがついてくれたことは大きな変化であった。
しかしそれと同じくらいに私にウザ絡みをして来たり粗相を働いたりする者もいたのだが、結果的にはその人たちとの摩擦・衝突が自分を成長せてくれたとも思う。
やはりこうしてネット活動を続けていれば、私のことを批判する者も当然にいるしそのこと自体が悪いわけではないが、その中でも「本物」と「偽物」はいる。

そして残念ながら私を批判して来た者たちの中で「本物」と呼べるような鋭い指摘をして気づきを与えてくれる人はゼロではないものの少なかった。
ほとんどは私の書いた文章の難を指摘したいのではなく私の書いてあることが気に入らないから叩きに来ているだけということがほとんどなのである。
無視しておけばいい問題なのかもしれないが、そういう手合いは無視するとなまじ付け上がってくるものだから適度にへし折ってやる必要があるだろう。
その上であとは無視しとけばいいという対処法を身につけたことで、本当に必要な人間関係だけが残った現状は本当によかった。

逆にいえば、いかに去年までの人間関係のほとんどが中身のない空虚なものであったかということだが、それに気づけたのも大きな学びである。
玉石混交のネットで「玉」と呼ばれるほどの人材に巡り会うことはあまりないが、少なくとも今の自分に必要な人間関係は築くことができたので、それを大切にして行きたい。

仕事と私生活の双方における好循環

総じてまとめるのであれば、今年2023年は昨年とは対照的に好循環の年となったのではないかと思う。
仕事の方も色々とトラブル続きで私生活でも去年は4回ほど大きく体調を崩すことがあったが、今年はそういうのがなく比較的安定していた。
特に現在の職場がとても心地のいい環境になったので余計なストレスを抱えずに済むようになったのは確実な変化である。
また、私生活でも特に秋からは積極的に外出する機会が増えたため、新たな刺激を得られたのも自分の血肉となった。

そして何より、今年は「映画」を改めて自分の意思で積極的に見て批評し、更に淀川長治や蓮實重彦と再会して向き合えたのも大きな経験である。
親友Fと共に映画を徹夜して見て夜通し語った経験がまさかこういう形で自分にフィードバックされるとは思ってもみなかった。
その意味で今はすっかり疎遠になってしまった親友Fも私の中では間違いなく「本物」であり、どんな時代でもやはり「本物」は残っていく
私自身は本物か偽物かなんてわからないが、少なくとも他人に恥じるような生き方をして来たことはない、このことは間違いなく胸を張って言える。

そんな今年を経て来年はどんな年になるかはわからないが、あくまでも私にとっては「スタートライン」に戻ったに過ぎない
まだまだ来年からが本当の意味で私の人生が始まる時である、風の時代の変化に適応しつつも自分にできることを日々精一杯やっていこう。

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