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リアルタイムでの人気なんて所詮は一過性、大事なのは「時の試練」にどれだけ耐え得るか?である

もうすぐ『炎神戦隊ゴーオンジャー』(2008)の配信が終わりそうなのだが、「ゴーオンジャー」は歴代の中でそんなに特筆すべきものを持った作品ではない
良くも悪くも「00年代戦隊」なる要素を掻き集めたものばかりであり、何度もいうが「そこそこ悪くはないが、飛び抜けて擁護すべき名作ってほどでもない」という評価である。
以前書いた「ドラえもん」「アンパンマン」「ちびまる子ちゃん」レベルとしてだったら悪くない、という程度のものだし、何より個人的に過度な悪ふざけの作品は好きじゃない
例えば『激走戦隊カーレンジャー』(1996)みたいに悪ふざけの中にもハッとするようなものがあったり、驚きや衝撃となるものがあれば私だって本作をもっと評価したであろう。

しかし、本作は作り手がそもそも「無難」を目指して玩具売上の回復のみを目的として作ったのだから、最初から意図的な「驚き」「衝撃」と呼べるような要素はほとんど画面から消えている
何より私は前から述べているが、「ゴーオン」全体にはびこっている玩具のギミックに頼った戦い方や炎神合体として出てくるロボットの不細工さが大嫌いである。
ところが、YouTubeのオススメにひょんなことからこんな動画が出てきた。

今の子たちが「ゴーオンジャー」の人気が当時どれだけあったかを知らないことに驚くって、いやいや当たり前だろうがボケ!

この動画にコメントしている人たちも、それからこの動画で述べられている内容の質の低さも、揃って「ゴーオン」という作品の民度の低さを表しているようだ。
述べられている内容が作品の良し悪しや本編の描写に基づいた細部に関する擁護ならまだしも、ほとんどが作品とは全く関係ないキャラソンとか売上がどれだけあるとか、そんなのばかり。
しかも同じギャグ戦隊という雑な括りで「カーレンジャー」「トッキュウジャー」「ゼンカイジャー」と同列に語るなど、そう述べてる人たちは本当に作品そのものを見た上で意見してるのか?と言いたくなる。
まるで戦隊においてギャグが特異的であるかのような印象論で語られているが、そもそもスーパー戦隊シリーズにおいてギャグなど珍しくも何ともない。

特に「ゴーオンジャーの人気でシンケンジャーに流れ込んだファン層がいたからね。特にゴーオンの女性ユーザー獲得はすごい快挙だった」に至っては「いや本当かよ?」と失笑ものである。
「ゴーオンジャー」が女性人気を獲得したといっているが、そもそも統計学に基づく公式のデータがない以上、当時の人気がどれだけあったかなど制作側やスポンサーら運営側以外には知りようがない
まあ確かにメディア的な露出も含めて色々な動きがあるのだから人気作ではあったのだろうが、人気の指標を表す1つである視聴率は5.1%であり、動画で言われるほどの人気は数字として出ていないのだ。
こんなことを言うと「視聴率なんて当てにならない」という人がいるが、それは視聴率の見方や扱い方を知らない人が言っているだけのことであり、テレビ局としては視聴率は大事な指標である。

視聴率で話をするなら、日曜朝に移行してからのスーパー戦隊で「ガオレンジャー」「ギンガマン」「マジレンジャー」の3作を超える平均視聴率の高いシリーズ作品は存在していない
一方の玩具売上は120億円と異例の大ヒットと言われているが、実は00年代においては最低でもノルマ100億円以上は売れないといけなかったし、一番売上があったのは「アバレンジャー」の130億円である。
ではなぜ「ゴーオン」が売上がすごいと言われているのかというと前作「ゲキレンジャー」の売上が77億円と大幅に目標を下回ったせいであり、相対的にすごく見えるだけであろう。
しかも00年代の時代は今と違ってDVDレンタルはあっても、ネットでの無料配信がなくSNSも未発達であり、YouTubeもGoogleに買収され大衆性を得るずっと前の話である。

その時代の平均視聴率5.1%と考えると作品そのものに人気があったわけではなく、作品に付随する様々な商品価値やイベントなどでさも人気があるかのように過剰にプッシュしていただけだ。
よく、映画業界では「アカデミー賞や金獅子賞などが公平になされた時なんか一回もない。ほとんどが話題性と審査側の忖度で決まる」といわれるが、スーパー戦隊の「人気」も似たようなものじゃないのか?
ここで大事なのは「ゴーオンジャー」という作品が00年代という時代性や国を超えて現在にも通用するほどのスタンダードとなった作品か、単に商業面で凄かっただけなのかは今我々が決めることではない。
あくまでも歴史の審判に委ねられることになるし、ぶっちゃけ「ゴーオンジャー」という作品の賞味期限自体はとっくに過ぎている、それは役者たちがYouTube活動を行っていることとは些かも関係しない。

私は確かに90年代のスーパー戦隊シリーズを原体験として育っているが、作品の批評や評価はあくまでも幼少期のそうした体験のことはなるべく忘れ「現在」のものとして見て評価するようにしている。
その上で特に「チェンジマン」「ジェットマン」「ギンガマン」の3作が出色の傑作だと評価しているだけのことであり、リアルタイム当時で見た時にどうだったかなんてことは話題にしない。
そんなのは渦中に居た人にしかわからないし、自分たちの世代で見たものばかりを特権化してしまうと、それこそが「老害」「懐古厨」と呼ばれる原因になりかねないのだから。
それに、ネット上でもよく「人気の戦隊トップ10」みたいなランキングが発表されるが、ああいうのを作ってしまうことも逆に受け手に偏った印象を植えつけてしまう

初期の平成ライダーもそうだが、一部の批評家連中(宇野・切通・宇多丸など)や元プロデューサーなどの作り手がとっくに賞味期限の過ぎた作品を「不朽の名作」と骨董品扱いしているのが見るに堪えない。
まあそんな小手先が私に通用するわけもないのだが、少なくともリアタイ当時の「ゴーオン」の人気がどれだけ凄いかを語ったところで、それは所詮「過去の栄光」でしかないのだから。
大事なのは「現在の映像体験」として語る「ゴーオンジャー」という作品について自分なりの言葉で批評し、魅力を語ることが大事ではないかと思うのだ。
「ゴーオンジャー」の話題が作品と直接の関係がない商業的人気ばかり言われているということは、作品として特別に言語化されるほどの魅力はないということだろう。

もうかれこれ「ゴーオン」も3回目くらいの視聴になるが、「納得」「安心」はできても「驚き」「衝撃」は全くないし肌にも合わないということで、かなり評価は下がった。
今批評を書こうものならファン人気に水を差す酷評になってしまうであろうし、もうシリーズそのものが画面の迫力を喪失してしまった一作だという風に私は感じている。


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