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『デジモンテイマーズ』(2001)感想〜デジモン全盛期の栄光と衰退が作風の変遷に露骨に見て取れる佳作〜

以前の記事で「テイマーズの批評については書かない」というようなことを書いたのですが前言撤回、やはりデジモンシリーズというマイナーなジャンルならスーパー戦隊やガンダムシリーズに比べて制覇は難しくないだろうと思いました。
何より「テイマーズ」という「Vテイマー」と被る単語が使われていて、アニメシリーズの中では無印と並んでファン人気も高いことから、もう一度腰を据えてじっくり見直してみようという風になったのです。
改めて見直した結果としては「長短がはっきりしていて総合のまとまりは悪くないが、痒いところにイマイチ手が届かないC(佳作)」ということに最終的には落ち着きました。
なので総合評価としては以下の通りです。

評価:C(佳作)100点満点中65点

最初に見たときはA(名作)だったのですが、それは人間ドラマ重視で見ていたからそれに目が眩んでいた部分もあり、もっと引いた目で客観視して総合的に見ることができていなかったというのを思い知らされたのです。
あとは上にもありますけど漫画「Vテイマー」が最高傑作過ぎるので、それとの比較もあってより今回の再々視聴でもう「テイマーズ」の耐用年数はとっくに過ぎて作品としての格が落ちてしまったことがわかりました。
見る作品が増えて目が肥えたというのは決して言い訳になりません、たとえ見る作品が増えようが目が肥えようが何年経っても古びない真の名作というものは世の中にあるわけで、残念ながら「テイマーズ」はそれになり得ません
今回の感想・批評の趣旨としては「なぜA(名作)からC(佳作)に格落ちしたのか?」ということが眼目となってくるでしょう。


前半2クールの世界観・キャラ描写は非常に丁寧

まず良いところを褒めるとするならば、前半2クール、わけても導入となる初期1クール(1〜14話)は非常に丁寧な作りであり、尚且つ登場人物を絞っているのでとてもバランスよく展開されていて情報量がスッキリしていた。
特に第1話の出来栄えはおそらく漫画「Vテイマー」を除けば出色の出来栄えであり、敢えて主人公の松田啓人に焦点を当てて、彼がアグモンをヒントにギルモンを生み出すまでの流れは非常に丁寧である。
ギルモンはいわゆる「ぼくのかんがえたかっこいいさいきょうのでじもん」なのだが、そういう小学生なら誰もが一度はしたことがある妄想をしっかり取り入れ、しかもアグモンのフィギュアが置かれていることもそのヒントであった。
本作の世界は無印〜02が劇中劇として放送されているというメタありきの世界観あり、啓人がゴーグルをつけているのも間違いなく八神太一や本宮大輔の影響で「強くてかっこいい主人公」に憧れていたという設定だ。

そして残りの牧野留姫と李健良もそれぞれに留姫がいわゆる石田ヤマトや一乗寺賢のような強気なライバルキャラを継承した存在として、またジェンも泉光子郎と城戸丈をハイブリッドしたメンバーの相談役としてうまく立っていた。
特に留姫のキャラクターは私の中でアニメシリーズの女性キャラの中ではなかなか刺さるものがあり、究極体のサクヤモンの和のテイストをふんだんに取り入れた侘び寂びの奥ゆかしいキャラクターが非常に面白い
最初はドライな合理主義者かと思いきや、戦いの中で徐々に不器用な優しさを見せるようになり、特に後半である意味の主人公だった秋山遼との漫才コンビっぷりは良い味を出していて、尚且つ信頼できる仲間としての距離感が素晴らしい。
まあ逆に言えば、秋山遼が爽やか過ぎたのもあって本来なら主人公のはずの啓人が若干食われ気味になっているのが気になりはしたが、存在が薄まることがなかったのはベルゼブモンや加藤樹莉との関係性の中で個性を強化している。

シリーズ構成が『ウルトラマンガイア』『THE ビッグオー』で有名な小中千昭ということもあって、全シリーズの中でも特に「人間ドラマ」に重きを置いて丁寧に隙なく設定や世界観が構築されていたのではなかろうか。
しかもただ3人に絞るのではなく、ギルモンがウィルス種、テリアモンがワクチン種、そしてレナモンがデータ種という風にデジモンが本来持っている種族の三竦みが揃っていて、しかもウィルス種が主人公というのが素晴らしい
無印〜02はほとんどがワクチン種とデータ種で構成されていて、02に入ってもフリー種はいたがウィルス種が根本的に闇属性の悪という価値観が変わりきらなかったので、本作はそこから大きく変えている。
そしてまた、後半ではいわゆる第三勢力としての立場で動いているインプモン→ベルゼブモンの動かし方もユニークであり、七大魔王の一角でありながらデーモンやルーチェモンと違い絶対悪にはなり切らない

こういった無印・02の批判や改善点を踏まえた丁寧な世界観・キャラ描写により前半2クールは非常にすんなりと入りやすく、関係性の構築も丁寧だしバトルにもカードによって戦術性を不完全ながらも取り入れている。
だから後半〜終盤までこの積み上げたものをしっかり収束に向かって展開できていれば、間違いなく本作はアニメシリーズの中でも「Vテイマー」に並ぶ傑作の1つとして君臨し得たのではないだろうか。
しかし、残念ながら本作においてこの前半で積み上げたものが完璧に維持しきって物語の格を落とし切らずに展開できていたのかというと、必ずしもそういうわけではない。

究極進化に入り始めた後半から段々と中弛みし緩くなり始める

本作がもたつきを見せ始めたのは特に35〜36話の究極進化に入り始めた辺りであり、ここから人間ドラマもバトルも段々と中弛みし緩くなり始めて物語としての格が徐々に落ち始める
特にベルゼブモンとの因縁の対決を丸々1話使って描いた36話に関してはぶっちゃけ「02」におけるデーモン戦以上の盛り上がりのなさであり、今回改めて見直して「こんなにグダグダだったっけ?」という気持ちになってしまった。
「02」のマグナモンは苦戦する描写が目立ったので「ロイヤルナイツの面汚し」などとファンからは嘲笑されがちであるが、私に言わせれば本作のデュークモンの方がよっぽど面汚しなのではないかと思えてならない。
その理由はバトルシーンそのものが冗長であることもそうだが、何より初進化補正がさほど働かずにベルゼブモン相手に苦戦している描写が目立ち、全く圧倒していないからである。

何より必殺技の「ファイナルエリシオン」の演出が思ったよりもショボくて、丸いシールドから出るビームで仕留めるというが「クロスウォーズ」の客演回でも思ったが必殺技としてはなんとも地味である。
この辺り必殺技の派手さではオメガモンのガルルキャノンやマグナモンのエクストリーム・ジハード、インペリアルファイタードラモンのギガデス辺りはわかりやすい派手さがあって、一撃必殺のカタルシスがあった。
その点でいえばデュークモンは確かに攻防一体でバランスも非常に取れているのだが、反面戦闘シーンの絵面としては何とも地味でいまいち迫力がなく、先日のロイヤルナイツの記事でも述べたが器用貧乏な印象が強い
やはり必殺技の演出は大事であり、作り手もそれは感じていたのが終盤ではグラニと合体して攻撃に特化したデュークモン・クリムゾンモードが出たが、デザインも含めていかにもな強化合体という感じが私は好きになれなかった

そのデュークモンに続いてジェンのセントガルゴモンに至ってはもはや「ドラゴンボール」のピラフロボや「ドラゴンボール超」コイチアレータのような雑魚キャラ臭が凄いデザインも好きにはなれない。
尚且つ出す必殺技がまさかの遠距離攻撃ではなく接近戦による格闘というのも何だか「仮面ライダーBLACK RX」のロボライダーだし、そのロボライダーほど無双している感じもなく、最終決戦では最後の封印を除いてほぼ空気であった。
逆に和のテイストをふんだんに取り入れた牧野留姫のサクヤモン、そしてそのサクヤモンと名コンビで最終決戦で美味しいところを掻っ攫っていったジャスティモンはこちらの予想以上にかっこよさを見せている。
何なら啓人よりも遼の方が圧倒的ヒーロー性を持っていて、尚且つ囚われの姫の筈のジュリよりも留姫の方がよほど女の子らしくヒロイン力が高いので、私としては脇の2人の方がよほどヒーローとヒロインしていたと思う。

そして何と言っても4クール目全体を通した本作のラスボスとして君臨するマザーデ・リーパーがデザインもキャラとしての存在感もやはり無印・02と比べていまひとつ迫力不足であったのも否めない。
まあこれは決して本作に限ったことではなく無印でもアポカリモンよりヴァンデモンやダークマスターズの方がキャラ付けが濃かったし、02でも一番キャラ立ちしていたのはブラックウォーグレイモンではあったのだが。
そういう意味では本作はデ・リーパーよりもベルゼブモンやスーツェーモンら主人公と敵対するデジモンたちの方がよほどわかりやすいキャラ付けで、制作側にとっても動かしやすそうに感じられた。
おそらくデ・リーパーは小中氏の大好きなクトゥルフ神話のオマージュだと思われるのだが、「02」のダゴモン共々設定もキャラ描写も曖昧なまま出されているので、生煮え感がひどくまともに見れたものではない

形骸化してしまったカードスラッシュと許容し難いマトリックスエボリューション

次にバトルに関する評価だが、こちらも決してうまくできていたとは言い難く、前半でそれなりに描かれていたカードスラッシュは後半で完全に形骸化し、またマトリックスエボリューションはどうにも許し難かった。
まずカードスラッシュに関しては当時「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」をはじめとしたカードゲーム全盛期だったこともあり、その流れをデジモンも取り入れようということだったのだが、これが年間を通してうまく描けていたわけではない
主人公たちの戦略・戦術の構築も細かく徹底した理詰めでバトルしているわけではなかったし、またカードの種類などの使い分けもされていたわけではなく、単なる話題作りというか掴みとして入れてみたという領域を抜け出ないのである。
ましてやデジモンシリーズは関弘美Pも小中千昭も人間ドラマ重視かつバトル軽視だからなおさらその傾向に拍車がかかって、せっかく駆け引きで盛り上がるのかと思いきやそのような展開は一ミリもなかった。

そして上でも書いたが究極進化の条件であるマトリックスエボリューション、要するに人間とデジモンが融合するという仕組みは完全に「モンスター育成ゲーム」の範疇を完全に超えてしまったように感じられる。
何より「人機一体」ならぬ「人獣一体」という概念が私には気持ち悪くて抵抗感がある、何が悲しくて自分が育て上げた人語を喋る電脳獣と合体しなければらないのかと思ったし、何よりなぜ「裸」なのかと。
小中氏をはじめ作り手は「裸になるのは子供達の「心の核(コア)が曝け出されている証拠」と述べていたが、演出とはいえ小学生を裸にさせる発想に作り手は何らの羞恥心や人としての良心もないのかと思えてならない。
それこそ『機動武闘伝Gガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』だって裸にしてしまうとまずいからきちんとスーツを着せて戦わせていたのに、そういうできて当然の配慮すらしていないのである。

ではなぜこのような人獣一体の概念ができたのかというと、無印・02で目立ったのが「デジモンばかりに戦わせて人間は何もしない」という批判があったからだが、そんなしょうもない重箱の隅レベルの茶化しに目くじらを立ててどうするのだ?
スーパー戦隊でいうなら「1対5は卑怯」と同レベルであり、尚且つ「ポケモンと同じことはしたくない」という捻くれた逆張り精神を拗らせに拗らせた結果、本作は悪い意味でのタブーを超えてしまったように思えてならない。
これが更に悪化したのが「フロンティア」の人間がデジモンに変身や「セイバーズ」の人間がデジモンをぶん殴る人外設定、「クロスウォーズ」のひたすら合体させまくるという形で迷走を極めていく
だから本作はマトリックスエボリューションを導入した時点でもはや「モンスター育成ゲーム」をベースにしたアニメあることを捨てて単なる「ロボアニメや変身ヒーローを装った何か」でしかなくなってしまう

流行りや他ジャンルからの積極的な導入自体は別に構わないしそれで面白くなるのであればいいが、デジモンシリーズはその辺りの元ネタからの咀嚼・吸収してからオリジナルに昇華するのが極めて下手くそなシリーズだ。
すなわち創作のあり方として、また商売としてのあり方もせいぜいが二流のC(中の下)でしかないということが後半に台頭するマトリックスエボリューションという形で露呈してしまい、実際ここからデジモンシリーズは一気に衰退してしまう。
確かに完全体まで獣だったのになぜ究極体で人型になるのかという問いに対して「人間が中に入って高度化したから」というのは1つのアンサーを用意したつもりだろうが、それだったら別にデジモンじゃなくロボアニメでやればいい
つまり本作は「モンスター育成ゲーム」という根幹にあったことすらもスポイルしてしまうということをしてしまったわけであり、それもまた私にとっては本作がどう足掻いても「Vテイマー」を超えられないと思った理由の1つだ。

物語としてはもちろん「ヒーローもの」としてのカタルシスが小さ過ぎる

まとめに入るが、改めて見直して感じたこととして本作はデジモンシリーズのみならず他のスーパー戦隊や仮面ライダーと比較しても思うのが「ヒーローもの」としてのカタルシスがあまりにも小さ過ぎるということである。
正確にいうならばカタルシスが小さいというよりも「ヒーローものの「奇跡」を肯定しない現実的な物語」と言った方がよく、「夢見ることが大事」としつつも「ご都合主義」にしないという配慮があった。
だから啓人が成し遂げたのも「デジタルワールド全体を救う」ことではなく「ジュリを救うこと」になってしまったのが個人的には刺さらなかったし、何より私はジュリ自体に全く魅力を感じていない
ジュリはいわゆる無印・02の八神ヒカリを継承した巫女体質のヒロインの系譜だが、いい加減こういう「明らかに主人公に救われるために都合よく存在しているヒロイン」に頼った作劇はやめたらどうか?

もちろん終盤において「主人公にとって大事な人を救済する」ことが物語の1つの軸になるのは構わないが、啓人はどうもそこら辺ジュリを救いたいという狭い「私」の領域から抜け出なかったと思われる。
これならまだジェンや遼の方がヒーロー性は高かったと言える、上ではジェンを「空気」と書いたが、デリーパーを出て来ないようにするという大事な役目を仰せつかったのは他ならぬジェンだった。
また、遼は最終的にサクヤモンの強大なパワーを受け取って「ダイの大冒険」のオマージュよろしくな超巨大なラスボスを真っ二つに切り裂く役割を果たしていたので、彼の方が主人公力が高い
啓人は主人公としては大輔とは違う意味で「ヒーローらしくもなく主人公らしくもない」という一種の「アンチヒーロー」として組み込まれたので、こうなったのかもしれないが。

そして何より、これは無印の頃からそうだったがデジモンシリーズは「殺し」に妙に敏感なせいか「倒す」のではなく「封印する」という形で有耶無耶にしてしまうことが多い。
例えば無印ではピエモンをヘブンズゲートで亜空間に封印しアポカリモンも強制封印、02でもダゴモンの海にデーモンを封印するという形にしてしまった。
本作でもデ・リーパーを封印したわけだが、スーパー戦隊がそうであるように「封印」というの敵との決着を先送りにしているだけで本質的な解決にはならないのである。
特に私は「ジュウレンジャー」「ダイレンジャー」「カクレンジャー」で封印若しくは敵と再対決というスッキリしない結末を見てきたからこそ「封印」という手段がどうも好きになれない

とはいえこれは流れ的には致し方ない部分もある、というのも前作「02」の主人公・本宮大輔とブイモンが正に「奇跡」を体現した圧倒的ヒーロー性の塊であり、尚且つ彼の後継者も存在しない100年に1人の逸材であった。
以前にどこかの掲示板で「大輔一人で「テイマーズ」以降で使うべきヒーロー性を一気に使い果たしてしまった」という意見も見たが、「02」であれだけ「ヒーローの奇跡」を肯定してしまうと次が難しくなる。
だからこそ本作はある意味本宮大輔とは真逆の「奇跡を宿さないアンチヒーロー」として描いていたし、夢見ることが大事でも足元のことをコツコツこなしていこうという現実寄りの話になってしまったのであろう。
しかし、私にとってヒーローとは「常人には成し得ない偉業を成し遂げる者」というこだわりがあるので、そこが作り手が見せたかったものと一致せず今一つ刺さり切らずに評価が辛くなってしまう。

そう考えると私が「デジタルモンスターとはこうだ!」を真に見せてくれたのは結局のところ漫画版「Vテイマー」だけだと思うし、「ヒーロー作品」としてのカタルシスが得られるのもやはりブイモン系列のテイマーとなるのだ。
本作はそんな風にデジモンシリーズ全盛期の栄光と、そこからの露骨な衰退が作風の変遷に見て取れるC(佳作)であり、最終回はそういう意味で集大成というよりも墓碑銘みたいなラストだったのではないだろうか。
「デジタルモンスターとは何か?」をきちんと本作で突き詰めていれば、その後のデジモンの歴史も変わったのだろうかと思わなくもないが、シリーズの現在を見るにそれは無い物ねだりでしかないのであろう。

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