空虚であるのか

何かを求めていないようで、でも何かしらを求めているような感じがあって、自分の気持ちがよくわからなくなる。例えばうらやましいという感覚があるが、僕の場合たいていはネガティブっぽいことも含んでいて、そのネガティブっぽいことについては、他人事だからとか、となりの芝が青いだけだからとかいうようなそんな話ではない。ネガティブっぽいこと、やれ自分のことが嫌いだとか、世の中に対して怒っていることがあってひねくれた感じがあっていきにくいとか、けんかっ早くて何度も失敗しているとか、酒癖が悪くてとか。当事者は本当に悩んでいるのかもしれない、でもぼくはそういうのをうらやましいと思ってしまう。じゃあと、そういう風になりたいのかというと特段そういうことはない、のだけど、別に嫌でもない。ただ、ただ、うらやましい。その何か、自分を形容する何かがあるという感じというか、自分の中に良くも悪くも何かが存在するからそれが表に出てきて問題になっていてみたいな。

そう、僕にはそういう自分を形容するような何かがつかめないというか、ふわふわしているというか、だから何とかしたいと切望して、こうしたらいいのではと考えてみても手ごたえがなくて、いやそれ30年近く生きているのだからそう簡単に自分は変わらないし、そもそも不可能なのかもしれないから無駄なのかもしれない。でも何とかしなければという漠然とした不安が付きまとっている。そもそも変えるというようなものではないのかもしれない。何かを醸成するという感じのほうが近いのかもしれない。結局価値観とかアイデンティティとかそういう話になるのだろうが、そういうのが希薄なのだろうか、自分ではそう思っている。だから「自分のことが嫌いです」みたいな人をうらやましいと思うのだろう。自分のことを嫌いと言える人には、明確に基準があるはずで、それによって自分を嫌いだと評価してしまうのだと思う。僕はそういう明確な基準がないから、自分のことが嫌いとも好きとも評価できない。もっというとどうでもいい感じというか、無頓着というか。振り返るとその無頓着さというのは自分を殺してきたからかもしれない、本当はこうしたかったとか、こういうことに興味があったとかそういう無数の心の動きをすべて阻止してきたからだ。なにかとても不満があるとするとそういうことだ。阻止してきた。阻止された。ここに関しては悔しさを覚える。感情が動いたから多分本当に悔しいのだろう。その悔しさもとても薄い。ああ、そうだった昔から感情は薄い。感情も殺してきた。この悩みの根源は、そういうことなのだろう。心の声がないのかもしれない。感情とか興味関心とか結構大事なものだと思うのだけど、今僕の中には、無数の残骸が残っているだけだ。生きていない動いていない、何もない。

親とか友達とかがその元凶で、いやみんな人間としていきていればそれくらい当たり前で僕が弱いだけでだめだっただけなのかもしれないのだけど、他人のせいにせずにはいられない。中学、高校、専門、大学、会社といろんな人をみてきたけど「なんでこいつが」というような人が生き生きしているのを見て何とも言えない気持ちになる。どうしたいかが分からない、どうしていいかわからない、おかしくなりそうだ、だからわからなくなるように頭のなかとか心の中がからになったのかもしれない。ずっと自分が分からない。成長しているのだろうか、ずっと昔のままなのだろうか、どこかで成長が止まっているのだろうか、成長とは一直線なのだろうか、戻ることもないのだろうか、年齢によってはみっともないと言われるのだろうか、結局一人にならないとそこらへんやりなおしは聞かないのではないだろうか、世の中の人は完璧に成長しているということになるのだろうか、ぼくだけなのだろうか、どうしたらいいのだろうか。

結局は基準なのだと思う。基準があるかないか。これがあれば幸せだとか、これだけあれば満足だとか、そういう基準が。物差しがないから図れない、今が楽しいのか楽しくないのかすら。僕は何をやっているのだろう。不安で仕方がない何かつかみたいものがあるようなきがしてならないのだけど、それが何かもわからず、もし今思っていることが正しいのだとするとどうやって現状を変えればいいのかわからない。ただ最近思うのは、仕事をはじめ、人間関係を再スタートさせ、お金も少しあって、またうだうだし始めた結果、また頭がいっぱいになってもとにもどったから、やっぱりやるべきことが何一ついたについていないというか、慣れていないというか、こういう風にしかできないというか、ADHDだからとかあるのかもしれないが、そういうのを全部抜きにして、結果何をしなければいけないかというと、多分一人になることなのだと思う。一人になればま図人間関係を減らせる。そして仕事を固定する。なるべく楽な仕事にする。社保があって最低限死なない程度の給与があり、休みは週3、4日とれる。無理か。まあそれくらいの感じだ。そして余った時間で少しずつ生活を取り戻すか、ほとんどやらない。ようにするのでいいと思うのだ。というか現状を変えるためにはそれ以外方法がない気がしている。結局どれだけ正しい対処法を考えても継続できなかったらだめで丁寧にできなかったら上達しないから、できることからやっていかないといけない。やはり負荷を減らす必要があると思う。

不安とか空虚の根源は一人になってその生活に慣れていかないとだめなのか、いやそもそもなぜ悩んでいるのか。そもそも悩んでいるということは現状よりも良い状況があって、そこに至っていないから悩むとすると、その良い状況というのはどこからきたのだろうか。影響されることは悪いことではないが、その良い状況というのは自分に必要なのだろうか、ああそれすら判断できない。わからない。わからないまま突き進むしかないのだろうか。そうなのだろう。多分それ以外方法はない気がする。どうせこのままいけば何一つわからないままなのだろう。それであれば何か決めてそれだけでも確保したい。そして結局そういう選び取るものは適当にやるべきだし、多分強烈なりゆうなんて存在しない。人間関係を取るか仕事をとるか時間をとるかなんなのか。ぼくはとりあえずこれまでの経験から、一人になることをとるよ。人間関係をきるよ。最も自分をぼろぼろにするのはそれだから。他人が悪いわけではない。原因は他人だけど、問題は僕の中にある。僕の問題だ。だから他人は悪くない。そして僕の問題だけど僕も悪くはない。だから一つ、どうしても負荷を落としたいと思うのは人間関係、これを何とかゆるめて自分を取り戻していこう。

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