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【自己紹介】はじめまして。いのです。

はじめまして。いのです。
本日より、noteを始めてみようと思いアカウントを立ち上げてみました。

こちらでは私の日々の仕事、そして学んだことのアウトプット、ほんのちょっとのぼやき(偶にポエマーw)を書いていければと思います。
現在の私は、IT企業"i3DESIGN"広報を担当しております。
会社の広報は勿論ですが、業務の多くはオウンドメディア"QUIIVER"の立ち上げから編集責任者、そして弊社でオーガナイズしております”KNOT online cotest”の広報と営業のサポートをしております。
(※2022年現在は会社の採用広報と広報が業務の7割となりました。)

日々、学びを得ながら成長をさせていただいております。

関連リンク

◆i3DESIGN

◆QUIIVER

◆KNOT online contest

偶に会社とは別に、Healthy food/ Vegan Foodのコンサルティングをやっていたり、ブランディングや広報のお手伝いもしております。
直近リリースのお手伝いをしたのは、2021年9月に六本木にて宅配専門でオープン致しました100%植物性の”Righteous Burger”です。

■Righteous Burger

10月頭には、もう一個のプロジェクトのリリースとなります。
こちらはお弁当の企画からコンサルティングも行なってます。
色々なお仕事をやっております私ではありますが、簡単に言えば何かをゼロから作り、ご縁をつなぎ、PRする人って思ってくれたら幸いです。

noteをはじめた理由

何故私がnoteを始めたのかといいますと、
”そういえば最近個人の発信ってしてなかった。”
と思ったことがキッカケでした。

冒頭で説明したように、今はマネージメントというところが多くなっており、会社やブランドなどのPRはしていたのですが、自身の発信はほぼしていませんでした。

過去には、何回か自身の発信をしてきたことはありますが、転期と共に仕切り直してきました。
SNSからのご依頼や、知り合いからのご紹介、顧客様からのご紹介でお仕事をしてきたのですが、最近は自身が表に立つよりも裏方にいる事が多かったため、2020年に個人サイトをクローズ致しました。

お仕事をしている中で、これまでの経歴を聞かれることも多いことや、noteではノウハウ系の記事からちょっとしたぼやきまで、ブログとは違い幅広く
活用できると思ったので、個人で発信してみようと思った次第です。

さて非常に長い冒頭文ではありますが、最初の記事になりますので、いのって誰やねん。という方へ向けての自己紹介記事と称しまして書かせて頂きたいと思います。

現在に至るまでの、エピソードを書きました。(実はまだ一部w)
これまた長いのですが読んでいただけますと幸いです。

インディーズ歌手時代 

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子供の頃から音楽に触れ合う環境にいた私。
物心ついたことから歌手になることを夢見て、健やかに育ちます。
ピアノは3歳から習い、小学生で新体操とジャズダンスを。
部活は吹奏楽。
この様に、音楽は私の日常の一部でした。

創作力を育ててくれた大切な思い出は、毎週行く教会での日曜礼拝です。(キリスト教の幼稚園に通ってた為、日曜日は教会に行ってました。)
バプテスト協会だったので、結構自由度が高く心優しい牧師さんだったこともあり、色んなことに挑戦させてもらえました。
自分で劇の台本を作ったり、歌を作ったり。
それらを讃美歌や、劇といったことを自由に表現させてもらえる環境だったので、ここで色々と物事を作り出す事の土台が出来たのかもしれません。

小学生の頃は、アクターズスクール全盛期の時。
歌手になることに強い憧れがありました。
小学校の時に地元のカラオケコンテストに出て入賞したことをきっかけに、地元のダンススクールに通い、福島のテレビ番組にてドキュメンタリーで追ってもらい、これから歌手になることを信じてやまない夢見ガールでした。

少々脇道それるものの(?)、上京しワタナベエンターテイメントスクールのシンガーソングライターコースに行きます。

そこでDTMとボイストレーニングを学ぶのですが、世の中そんなに甘くありません。都会にはそれはもう才能のある子が沢山いて、とんでもない美しい子がゴロゴロいたのです。
技術、ビジュアル共に抜きん出ていない事に気付いても、持ち前の負けず嫌いに拍車が掛かり、何をどう努力していいのか分からずにがむしゃらにレッスンに通う日々。
思い描く高い理想に中々追いつかないことにフラストレーションを感じていました。

卒業がデビューにつながるかというとそうではなく、最初は仮預かりみたいな感じで某事務所に出入りしながら、地道なクラブでの下積みを得て、インディーズレーベルに拾ってもらい、ミニアルバムが出せました。
CDを出すことが夢だったので、CDを手にした時の妙な達成感は今でも忘れられません。
その1年後に、ダンスボーカルユニットで別インディーズレーベルよりシングルを5枚配信しました。(どちらも、現在も聞けるのでこっそり聞いてね。笑)
ダンスボーカルユニットはランキングに入ることも多く、amazonの音楽チューンでは、1位を記録しましたが例え1位になろうと、たったそれだけでは生きていけません。

世の中甘くはなかったんですね。

当時は、ギャラを頂けるお仕事も増えていました。
しかし、遊び盛りの私は欲望にまみれており笑、それだけでは生活の全てを賄えません。
沢山の業種のアルバイトをしながらも、小さなクラブや、大きなクラブに至るまで月に3.4回のライブ活動を続け、中々目に見えた結果が出ない日々に、悶々としていました。

粉々に砕け散っていった自信。
それでも自身で貫いていた野心。
”私ってなに?”という自分探しになっていきます。
ちょうどその時に活動していたユニットにトラブルが発生し、活動を休止しました。
その時に事務所を変えるですが、海外のモデル兼俳優さんの個人事務所だったので、私は裏方へと回ったのです。

挫折

当時、アーティストとしてまた表に立つということに抵抗があった為、裏方として様々な形態のお仕事に関わらせてもらいました。
そこではさまざまな世界の一流という姿を裏方で見ていました。

アーティストを志す以前から何かを企画し、実行し形にする、そして人を集めるといったことを得意としていたこともあり、マネージメントの仕事はとても楽しかったです。
それらの能力は、黒歴史ですが10代の頃地元にてイベントサークルを主催していて、当時8個のイベントサークルをプロデュースしていたことから培ったのだと思います。(荒削りで、勢いがあっただけなのかもしれませんが。。。笑)

今で言う港区カルチャーの先駆けのような、派手な世界を知りました。
東京では田舎では経験できないような人と出会い、非常にラグジュアリーな経験もできましたし、とんでもない人とも知り合えて新しい世界を知ることはとても刺激的でした。
しかし自身がアーティストとしては出会えない方々と仕事をする度に、心は乾いていきます。”すごい人”と言うのは都会にはゴロゴロいるので、自己肯定感はどんどん低くなり。ちょっとの失敗を責める様になりました。

海外放浪

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挫折をし、自分を知り、音楽を辞めてしまってから心のどこかで、自分は本当は何を求めてるのかを探していました。

これを今の仕事を得て振り返るならば、圧倒的に自身での振り返り不足。
計画性などありません。

ラグジュアリーなブランドや生活スタイルを送ることよりも、貧乏でもいいからもっと心が豊かな生活をしたかった。

幼少期から歌手になりたかったはずが、その目的こそ達成されても中々ゴールというものを見つけられずに、中途半端にずるずると成果が出ているものや得意な方へ逃げてしまうブレブレの自分。
この空虚感は、何で満たされるのか答えを探しに行きます。

そして、3年弱海外放浪の旅に出ます。

留学をして語学を勉強しながら、ちょっとOLしてみたり、バーやホテルで歌ったり、今では当たり前となった在宅ワークを、日本の会社と取引きしながら、ちょっとした小遣いを細々と稼ぎながら生きれていた、その日暮らしな自由人でした。
また歌を歌いたかったけれど、アーティスト活動に蓄積した色々な心のブロックで、中々上手に表現出来ずにいました。

音楽を諦めきれないまま最後に行った都市は憧れのNYでした。
ここで、今後自分と音楽をどういう風にしていきたいかを探しに行きます。短期滞在でしたがネイティブのボイトレレッスンや、ゴスペル協会のアテンド、アポロシアターでのクリスマスコンサートで、5人ほどのゴスペルグループでの参加をしたことで、また歌を歌いたい。NYに留学したいと決めました。

カフェ経営

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海外から帰国し、NYへの留学の目標ができたので資金を稼ぐため私は鬼のように働きます。
しかし、夢中になっていると自己管理を怠り体を壊します。

割と頑張り屋な性格に火がつき、体に負荷がかかってた事が原因です。
謎の高熱、咳、アレルギーにより体が思う様にいかず、ベットから起き上がれない日々が続きました。
弱っていた身体は追い討ちをかける様に、喉のポリープは悪化。
当時の主治医には歌を歌えるようになるのは厳しいと言われました。(結局その後に何個か病院を変え、治療を続け歌は歌えるまでに復帰しましたが、長時間の耐久性はまだ無いです)

あの時はまるで暗ーい穴に突き落とされたかのような感覚になりました。

仕事を頑張ってた理由の一つは、歌をもう一度一から勉強したいと思いとある大学に留学を決めていたからです。

しかし、歌う為に頑張っていた仕事は、自己管理が出来ずに、体を駆使してしまい、現実問題私は歌うのは無理。ということを突きつけられます。

私は猪野という漢字が苗字なのですが、まさしく猪のごとく突進してたら(笑)自分の体の悪化には気づけませんでした。

そんな時期に体調を戻すため、友人にVeganの食事生活を進められ一旦食生活で動物性のものを辞めていた時期がありました。

身内に、がん患者がいた関係でゲルソン療法について勉強をしていたこと、ハーブや漢方の資格を習得していたこともあることから、植物性の食事がもたらす効果に魅了され、体も軽くなった事でより多くの人に伝えたいと思いました。

海外に行けないんだったら、なんかやってみようと。
ずっと、心が乾いている状態だったので、誰かのためになるような頑張ることが欲しかったのかもしれません。
そこで、Veganのキッチンカーとケータリングから小さなビジネスを初め、渋谷のシェアカフェに始まり、最終的には企業の投資を受け広尾の20坪ほどのテナントにてVegan専門店を経営・運営しておりました。

手探りでしたがHPやSNSにはコツコツと地味に取り組んでいたこともあり、当時はまだ少なかったVegan市場の中で、うまいことピックアップしていただきました。
場所も港区南麻布という立地ということも手伝ったのか、TV,ラジオ、カフェ本、雑誌に取り上げて頂けました。
地元のお客様にも愛され日々頑張っておりましたが、自身の体調も精神的にも限界になっており、中々思うようにいかない経営で決断をしなければと感じ、2年ほどで閉店という決断をしました。

閉店を決めた時には、港区の家の退去を決めていました。
コロナ禍は進み、移住のために申請していたビザは見送りになり、それでも海の近くに住みたいと思い申し込んだ鎌倉の家も見送りました。

そのタイミングで、現在私が所属するi3DESIGNの社長である芝さんに拾ってもらい業務委託という形で一つのメディアの運用を始めました。
そのメディアとはサーフメディアのQUIIVERなのですが、この企画・構築・ライディングは私にとって非常に有意義な時間でした。

そして7ヶ月ほど、地元に帰り在宅ワーカーになります。
この間も飲食コンサルはミニマムにやってはいましたがカフェの閉店から、完全燃焼状態の私は次の自身の課題を探す悶々とした日々でした。

心優しい家族、可愛い姪っ子と甥っ子。親戚や幼馴染み、友人、に支えられて徐々に元気を取り戻ります。
10代より、勢いで行動し生きてきた私の2回目の療養でした。

正直な事を言うと、挑戦する事に疲れていました。
何をしても涙が出る。やる気が起きない。頭痛がする。寝れない。頑張れないと思ってました。
今思えば、軽い鬱ですよね笑

しかしQUIIVERを通し、沢山の人との出会いがありました。
ようやく、心も体も元気を取り戻したのでタイミングもあり鎌倉へと引っ越しを決めました。

人とのコミュニケーション能力と、ブランディングとマネージメント力、持ち前の行動力を評価してくれた今の社長が会社に入らないか?と声をかけてくれました。

自身のこれまでを振り返ると、ビジネスにおいてのスキルが経験に比べると低かった事に気づきました。
これは勉強が必要だと思ってる中で、i3DESIGNに入社することは大きなきっかけになりました。

IT企業

そうして私は2020年10月にi3DESIGNへと入社をしました。
最近社長室兼採用広報に配属されましたが、入社期から引き続き広報を担当しております。
会社の広報とは別に、会社で運営しているサーフメディア"QUIIVER"とオンラインオフラインの融合コンテスト” KNOT online contest”では企画・運営・マネージメントと、いわゆるプロジェクトディレクションも担当しております。

i3DESIGNは、デザイン思考でデジタルサービスを創出するテクノロジー企業です。
新規のデジタルサービスの創出、イノベーション支援、アプリ、ウェブサービスのコンセプト設計、UI/UXデザイン、開発からグロースまでを一貫して行います。大切にしているのは期待を超えた価値を提供すること。
世の中にインパクトを与えて人々の生活をより豊かにすることがミッションということを掲げている正に今の時代にマッチした企業だと思います。

私はこの会社に学びがあると確信をしました。
代表である芝にはビジネスとは何かを教えてもらってます。

組織ではあっても、自由でいれる。
そして誰にでもチャンスがあり挑戦ができる。
そんな社風が大好きです。

最初はよくわからないIT言語に戸惑い、組織としての動き方も分からず、良く怒られまくって論破されておりましたが(現在もw)
最近は必殺技を覚えたので、大分慣れてきたように思います。
私のような特殊なキャリアを持つ人間でも、暖かく迎えてくれ学びを与えてくれるこの会社が大好きです。

そして、私が突っ走りそうな時に必ずストッパーとしてビジネスの学びをくれる代表や社内チームから今後も私は様々なことを学ぶのだと思います。

ここnoteでは、普段書く記事とはまた別の観点からの記事を書ければと思っております。
そして記事を書くごとに、広報としても成長して行きたいと思いますので、どうぞ優しく見守っていただければと思います。

長くなりましたが、どうぞ宜しくお願い致します。

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