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「ひかり」【短編小説】

 放課後の校舎はがらんとしている。螺旋階段を登り切ったところで、彼女はぼうと立ち尽くしていた。西日が階段を取り囲む窓ガラスを通ってキラキラと瞬いて見える。オレンジ色の光に包まれるこの瞬間を、彼女はたいそう気に入っていた。
「綺麗だと思うかい?」
 突然、誰かが彼女に声をかけた。振り向いた先には制服姿の男子が一人、穏やかな笑みを彼女に向けている。
 ひょっとして、この人もここへ夕日を見に来たのかしら。
 同志ができたと嬉しくなって、彼女は彼に負けないくらいの笑みを返した。 
「世界はいつだって綺麗だよ。こんな かべがなくたって」 
「……はい?」 
 そりゃあ、美しい場所なんて探せばいくらだってあるだろう。けれどもここは特別だ。彼女にとってお気に入りの、とっておきの空間に割って入ってきた彼は同志などではなかった。
「あなた、どこの誰だか知らないけれど、私はここが好きなのよ」
 彼女は腹に据えかねる思いで反論したが、 彼は変わらず微笑むだけだった。
「わからないならいいわ」
 言い放って彼の隣をすり抜けていく。彼が何かを答えたが、彼女は足早にその場を後にした。


「やあ、来てくれたんだね」
 屋上の隅に彼を見つけた彼女は、一瞬躊躇ったものの、彼の隣に腰を下ろした。
「あなたの言う綺麗な世界を見てやろうかと思って」
「いい心がけだね」
 上から目線の物言いが気になったが、彼女は何も言わない。皮肉が通じない相手と喧嘩をしようとも思わない。
 彼らが見上げた先には、ペンキで吊り潰されたような空が広がっている。
 誘いに乗ったからには文句を言うべきではないと分かってはいるが、どうにも、こういう沈黙は苦手だ。
 無言で過ぎていく時をやり過ごしたい一心で、彼女は持ってきたハムサンドイッチを、普段よりも何倍もの時間をかけて咀嚼した。
「……今日みたいな天気は嫌いじゃないわ。青い空を見ていると、余計なものが混じっていない感じがして」
「今日は空気が澄んでいるからね」
「そういうこともあるかもしれないわね」
 あの空間には勝てないけれど。と彼女は思う。
「そうだ。今度、ここで星を見ないかい? 星を探すのは得意なんだよ」 
 彼女は僅かな動揺を抑えて、今は夏よ、と短く答えた。 
「そんなに汚れているのが嫌なのかい? わかった。じゃあ冬だ。冬になったらここで星を見よう」

 約束の日に彼は屋上に来なかった。屋上はおろか、学校にすらも。
いつもより軽い足取りで玄関を出ようとした矢先、学校から電話があってその日は休校になった。
 彼の訃報を知ったのは翌日の朝。彼が死んだのも朝だったらしい。

 彼女はいつものように螺旋階段にいた。
 彼が逝ってしまった理由は知らない。知ったところで、私に理解できることでもなかっただろう。そう思うことによって彼女は心を押さえつけようとしたが、無理だった。
 彼女は輝かしい夕日の中から飛び出した。一目散に屋上へ向かうと、ぜったいに外さないと決めていた眼鏡を空に向かって投げ捨てた。

 ぼやけた視界で必死になって目を凝らす。裸眼では何も見えないのだ。それでも見なくてはならない。遮るものなどなくても世界は綺麗だと言った、 「色」を知らないの彼のために。 

「眼鏡は外さないのかい」
 目が悪いのだから当然でしょう。と彼女は答えた。今思えば、これが嘘であることを彼は気付いていたのかもしれない。彼女が人前で眼鏡を外したことは一度もない。それは思春期にありがちな、単純で複雑な理由からで。
 出会った日の彼を思い出し、彼女は涙を溜めた瞳を拭って不器用な笑顔を作った。 

 確かに彼は、光を見いだすことに長けていたのだ。

了.



5億年前に書いたオリジナル短編小説(酷すぎたので加筆修正済み)。容姿にコンプレックスのある女の子と色盲の男の子の話だけど、説明不足すぎてウケる。黒歴史。


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