『戦う』#370

戦うことについて、虐げられる状況から脱する勝利のための戦いとか必要な戦いとか、スポーツの対戦相手同士の戦いとか、給食で余ったコーヒーゼリーをめぐる戦いとか、さまざまあれど、他者を侵略するための戦いっていかなる場合においても正当化されないだろう、ということをこの日はじまってしまったロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻に際して思うところで、日本国憲法においても侵略戦争をしないことを目指して立法されていることを思い出すし、こうなることは周縁からしてみれば望まれないことであることはハッキリとしていて、なんなら、軍事侵攻の命令をした当事者にだって「避けられるものなら避けたかった」と言わせるような戦いであるんだろうとも思うし、最終的な目的があるなかで、採りたくはないけれど手段の中でもっとも効果的で強力な方法の一つであることは確かなわけで、だからこそ手札をひらひらとちらつかせて牽制をしてきたのだろうし、そうしてついにこの2022年2月24日(もうだいたいの国でこの日付であろうし、当の現地も24日になっている)に戦いが始まってしまったものだからどうしても、つい先日までオリンピックでアスリートたちが競い合っていてあと一週間すればパラリンピックが始まってまた競い合っていただろう状況の中で、まったく異質で恐怖を甚大に広げるような戦いが始まってしまったことに大きな哀しさと虚しさと憤りを感じる。
はたして未来というものはいつだって知り得ないものながらいまや予想可能ではあったものの来てほしくなかった未来が現実になってしまってこうしてますます未来はわかりようのないものになって。
ひとは異なる他者との合意が得られないときに戦うことをひとつの手段としている生き物で、それはまず生き物である以上は生存の競争をするもので仕方のない手段としてあるのだけれど、どうにもならなかったのかもしれないけれど今回のロシア軍の侵攻は、それにいま大きく取り上げられている一方で他方ではすでに戦いをしている国や民族もあるのだから規模の違いこそあれ戦うことはあちこちで起こっているながら特定のこととして気に病むのも憚られるような、正当化バイアスなのか保身なのかわからないけれどとにかく何も言えなくなってしまうようなこの状況に、私はひとまず、感情の爆発を止めるべく文字と組み合ってみたところ。

#戦う  #220224

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