『からあげ』#279

子どもの頃の食卓に、家で揚げたからあげが出たことがあるか、という話をした。わたし、家で揚げたからあげというものを食べたことがなくて、それは今となっては腹におさまったことではあるけれど幼い当時、反発心があった。加えて言うと、コロッケもメンチカツもトンカツもなかった。つまり揚げ物を家でしなかった。さらに言うとハンバーグもなかった。父は半単身赴任で平日おらず、母は働いていて帰る頃には疲労困憊。聞くまでもなく、調理時に手がかかる上に後にも影響(揚げ油の処理とか換気扇や周囲の清掃とか)がある揚げ物を頼むことは野暮というもの、それに自分で調理をしようと思うほどはからあげ愛も強くなく、からあげは買うか外で食べるかするもので、総菜屋さんの量り売りで味比べをしてからあげを知る、そんな感じで自宅からあげを経験しないまま大人になった。
たまにの機会で友達の家に遊びに行って晩御飯をご馳走になったとき、揚げたてのからあげが食卓に出ていた時があって、そのときに、ただ、「ここは家でからあげを揚げるのか」と納得するような、腹落ちの思いをした。そして“揚げたてのからあげ”の温かさの感じを味わった。それは居酒屋でも冷凍でなく仕込んであるのを揚げて出すところでも味わえるのだけど、電子レンジとかで温めたからあげと違うなぁと思ったもので、そりゃあ違うわけだけど、でも「温かいからあげ」という点では同じなのに、口への熱の伝わり方が違う。たぶん、電子レンジでも限りなく近い熱伝導にすることはできるんだろうけど、揚げたてって、中が一番熱くて肉の繊維も脂も油も熱くて、外側は外気にふれるぶん熱は弱くて、熱は芯から外向きに伝わっていて、噛むと歯先が次第に熱くなる。そして肉汁を歯と顎が受ける。その、揚げたての体験というか、「普段のと何か違う」っていう違和感と好奇心が、からあげ関係なく、良い、実感だった。電子レンジのはといえば外側が一番熱い。歯先は噛み始めが熱くて歯が立たないことがある。
そういえば西千葉生活してたときお世話になってたいくつかの定食屋さんでは、からあげ定食がないところがなかった。みんなあった。揚げたてのからあげだった。衣の感じも、鶏肉の下味も、それに一人前の量もどこも違ったけどみんな醬油味のからあげで、「からあげを食べたい」と思ったときにどこであっても、からあげが食べられた。そんなことも思い出した。江口のからあげは揚げ具合がよかった、でもたこせんのボリュームと塩っ気はかなり魅力的だった。なつかしいな。
こう書いてきて、やっぱり、「揚げたてのからあげ食べたい」ってわがままを一度は言ってみればよかったな、と淡く後悔しはじめた。

#からあげ #180923

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