『貯金箱』#301

28年生きてきて、ブタを叩き割った経験は未だ無い。
叩き割ったことがあるひとに是非とも聞いてみたい。「砕いたときの感触を言葉にするならばどんな感じでしたか」と。勝手な想像だけれど、誰しもが、ブタさんの貯金箱を金づちで砕く体験をしたいと思ってると、私は思っている。それくらいに、子どもの頃から刷り込まれた「あるべき貯金箱の開封体験」であると、思っている。
それを夢見ていたとしても、私ははじめて使った貯金箱はプラスチック製で円筒形の郵便ポスト型だった。底に半透明のプラスチック製の蓋が付いていて、中身の出し入れはそこで出来る。その蓋を開け閉めして、何度も何度も、出し入れをした。いや、蓋をとって入れたことは無いから、出したり出したり、だ。あのころ自分の貯金箱は、お金を貯める場所ではなかった。貯まったらいいなぁと思いながら、お小遣いをもらったら入れて、お財布が心細くなったら貯金箱から抜いて補充をして、またお小遣いがあれば入れる、そういう、家の中の財布、という感じで出し入れを平気でしていた。だから、割ることでしか中身を出す方法の無いブタの貯金箱とは、貯金箱としてのあり方が大きく違っていた。そんな、ブタの貯金箱への憧れと、実態との乖離にまったく気にせず、その当時はただ、お金の入れ物として使っていた貯金箱は変化する。お金の入れ物として、貯める箱と出し入れする箱を分けるようになった。缶でできたちょっと大きめな貯金箱、そこにはお菓子が特典されていた、それを出し入れように使った。家の形をしていて、屋根がぱかっと開くようになっていて鍵を使って締めることができた。鍵を使って閉鎖できる仕様に、当時の妹との敵対関係がそこに見える。それと、ただ貯めていくための箱として、小学生の修学旅行で行った日光で、賽銭箱の形をした小さめの木の貯金箱を自分用のお土産で買ってきた。お札を入れるには不便するそこに、小銭を貯めていった。ふだん出し入れすることなく、お財布に多く溜まった小銭を逃がす場所として、賽銭箱を使いはじめた。賽銭箱にも鍵がかかっている。
その、賽銭箱がこのあいだ部屋の片付けをしているときに出てきた。肝心の鍵がなかなか見つからなかったが、近くにあった人形の、マグネットになっている手足の先にくっついていた。開けて中を見るとジャラジャラと小銭が出てきた。当時の私の、小心者さが伺える中身で、五百円玉はおろか百円玉も五十円玉もなく、十円玉と五円玉と一円玉、そればかりだった。合計して、三百円ちょっと。少ないけれどしかし、貯めていたお金が出てくる喜びは、ほっこり、って言葉がしっくりくるくらいにはありましたが、やっぱり、蓋のない不可逆な貯金箱への憧れは強い。賽銭箱の鍵を開けて中を見たときに「もう一回閉めておこうかな」と思ってしまった冷めた感情、この体験が忘れられない。

#貯金箱 #181015

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