『難しい』#317

ここ最近気になっているワード。自分でも口にするし、他者の口から聞くこともある。というか、最近、増えてきたな、と思うのがこの言葉だ。
厄介な問題事を抱えて、対策を考える。うまくいかなくて、また考える。それもうまくいかず、突破の糸口が見つけられず唸る。そうして言う。「難しい」。
またあるとき、頭の中でイメージしていることを誰かに伝えようと言葉を練る。練り上げた言葉で相手に話してみる。相手から「こういうことかな」と反応が返ってくるも、どうもうまく伝わっていない気がする。もっと具体的に、比喩を交えて、抽象と具象を行き来しながら相手と言葉のやり取りをする。なんとなく伝わった気がするけれど「そうそれ、そういうこと!」というところまで到達できず、不完全燃焼な感じでもやっとしたころ、言葉が口を突いて出る。「難しい」。
幼いころ、算数や国語や理科、英語、数学、何かしら学校や試験で触れる何かしらの問題には回答があった。正答があった。取り組んでみてうまく答えにたどり着かなかったとき、「難しい」と思う。それでも正答があるわけだから、解説を聞いたりヒントを見たりしてわかれば「あぁなるほどわかった」「難しかった」と、難しさを解決済みとして過去に送れる。けれど、仕事でも人間関係でも精神管理でも、これは言えるのかな、とても、まず全面的解決が難しいし(言っちゃった)、すべての関係者・物事が円満におさまる解決策を見つけ出すことは決して易しくないし、あり得ない場合だってある。
そんなときに、すうっと「、難しい」と言ってしまう。
いったい、何が難しいのかもわからないままに。
いったい、何が難しいのか。
ベストと思える解決策を思いつかない・見つけられないこと、候補とする案のなかから最良の選択肢を選び出すこと、これしかないと思える案を選び行動する場合に伴う障害を乗り越えるのに多大な苦難が伴って新たな問題が見えているために行動するか思索を続けるか判断すること、とか。あとは、最善手はきっとどこかにあるはずだと信じること、これはまた一段と難しい。無かったらどうしようと思う不安との戦い、ひとつひとつ新たに策を考え続ける地道な戦い、これは、難しいとは違う苦しさの話だけれど、いつもウンウンと唸り「難しいなぁ」と頭を掻く。
なにかを難しいと思うことは、必ず何かしらの問いを抱えていることが必要条件にある。何も問いを抱えていないとき「難しい」と言うその心情は「苦しい」というものだ。
それでいま、わたしは難しい問いを抱えていて、とても苦しい。

#難しい #181031

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