『正座』#328

名前に強さがありますね。正しい、と。では、正しい正座の作法とは、どういうことなのだろう、そのパラドックス。正しくなけりゃ正座じゃないし、正座であるならば正しいことに異論がないはずだ。いやはや。
正座で恥をかく体験についてはここ一年の中でかいた恥中、ぶっちぎりの一位をとる体験がある。長い長い時間を正座で耐え抜いたのち、立ち上がってある場所まで歩かねばならないフェーズが来たとき、立ち上がるまではなんとかなったものの、前へ踏み出す足がなんと着地できず、崩れ落ちてゆくわたしの膝は、壁際を歩こうとしたために柱の角へゴンと、室内へ響くほどの音を立てて強打した。麻痺しすぎてまさに手も足も出なかった。踵が降りることもなく、伸びたまま固まった足は小指の先から足の甲へと着地してしまい力も入るわけもなく、転がっていった。麻痺のあの感じは、親不知を抜くためにかけた麻酔が後にも残って、開いて閉ざすことのできない口の端からなす術なく唾液が垂れていくような、あの無理感と虚無感にシンクロする。次の機会がいつ訪れるかわからないあたり、特訓が必要なのだ、わたしには。そして将来的に逃れるべくもなく正座で過ごす時間と機会は増えるし、さらにそれが人前であり、責任と実践が求められる。
重心について書いたノートで、よい正座方法を身につけたいことをさらりと文章末に記した。長時間の正座をするにあたり調べ、いくつかのテクニックを知った私は、正座も重心の置き方で楽になることを知った。ビッと直上に垂直に伸びた背筋は美しいが、脚へは真っ直ぐに上体の全荷重がかかってしまうため負担が大きい。痺れ、つまり血流及び神経の圧迫を減らすためには、上体を少し前傾し、腰をほんの少し浮かすように座ることが長時間の正座を楽にするテクニックらしい。正座において重心は腰、というか尻にある。それを少し持ち上げて、前へ。膝裏で圧迫される血管と神経を、ほんの少し開いてやる。すると、痺れがやってくるまでの時間は長くなり、痺れても極度の苦しみを伴うことはないという。やってみたけれど、ただ楽に座っているのとは違って、太ももの筋肉でもって身体を持ち上げるぶん、その点で楽ではない。姿勢を維持する難しさが、背筋を直上に伸ばす以上にある。しかし恥をかかないためにはなんとか習得したいところ。あと親指を重ねるといいらしいが、それは過去にやって効果がなくて、ちょっと信用しがたい。とにかく重心の置き方でなんとか向上させたい。
正しく無理なく楽な正座を体得することが4月までの目標。

#正座 #181111

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