『渋谷』#316

とにかく人が多い町、だ。ハロウィンの喧騒をテレビとかTwitterで見てそう、あっさりと思う。あれは、たまたま渋谷だったのか、たまたま渋谷に集まった仮装した人たちが軽トラをひっくり返しただけなのか、表参道では起こり得なかったのか、丸の内では起こり得なかったのか、そんなふうに土地を変えて考えてみるけれど、当然、起こり得る土地と起こり得ない土地があるなあと、いま「起こり得なそうな土地」として表参道と丸の内を挙げてみてわかった。川崎なら、ありえる。大阪の道頓堀のあたりでも起こり得そうだ。千葉の幕張では、ないだろう、とか。土地は人の集まりで雰囲気を構成する。街が人を呼び、人が街の雰囲気を形作る、そしてまた街が人を呼ぶ。循環だ。何かしらで始まったその流れは、何かしらで変わる。わたしが知っている武蔵小杉は汚くはないにしてもごみごみとして学生街っぽいイメージでいて「ハイソ」とは縁遠い場所だった。それが、駅周辺に高層マンションがボンボンと林立してきたときから、少しだけ雰囲気が変わった。新しい種類の人たちが武蔵小杉に住み始めて、もともとの生態系との拮抗を生み出していま、まだ過渡期にあるだろう、落ち着いた生態系の街とはいまは言いがたい。たぶん、六本木あたりも、武蔵小杉に先駆けてそんな感じの、異人種間の拮抗があったろう。
よく使われるわかりやすい言葉で言えば「開発」が街の空気を変えていく。2018年のいまは北品川とか、銀座とか、そして、渋谷。渋谷のストリームが開業して次には東急の新しいビルが建ってあの辺はまた、雰囲気が変わるのだろう。桜丘方面。道玄坂方面は、変わらないか。
ひっくり返された軽トラックには申し訳ないが、たぶんBMWとかベンツだったらひっくり返されなかったろう、手出しできないから。それに、渋谷って軽トラックが駐停車することは当然ありえるけれど、その一方で「軽トラックが渋谷にある」イメージはない。少しだけ、渋谷の中における異物感を感じる。
そこにある生態系に異物が混ざったとき、排除か融和か、そこの生態次第で反応が変わるだろう。
じゃあ、丸の内に駐車されている軽トラックを、渋谷の人たちが丸の内でひっくり返すことがあるだろうか、そういう空気感が漂うだろうか、表参道ではどうか、というと、それもまた無さそうだな、と思うところで、生物が振る舞うには生物集団と環境が揃っていてこそ“らしく”あれるのだろうなと、思うもので。
「ハロウィンの開会宣言を都知事がやったら、気分ぶち壊しになって暴徒化せず自粛ムードになるんじゃないか」って感じのツイートを見たけれど、それが起こったら今度は、渋谷の街の環境自体が変わってしまうんじゃないかなと、わりと脅威に思っている。渋谷は渋谷であればいい(平和であったうえで、だ)。

#渋谷 #181030

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