『砂時計』#62

いつ好きになったのか定かではない。きっかけになりそうな記憶はそこそこにある。いやそもそも好きなのかどうか、定かではない。ただ、象徴的にかっこいいものとして持っているのかもしれない。所有欲のあらわれ。わたしの部屋の、普段座る椅子の斜め前、本棚の上、居並ぶ雑然としたものもののなかに、3分間を計ることのできる砂時計がある。純度の高い砂鉄で、中が(たしか)真空で作られているために周囲の湿度や温度に左右されず一定に“3分間”を計ってくれるもの。2,000円くらいで買ったような記憶がある。時折、ひっくり返して眺める。時が経つのを忘れる。
初めて砂時計というものを知ったのはいつだか覚えていない。もしかしたら昔の家にあったのかもしれないし、温泉のサウナで見かけたのが最初かもしれない。記憶に残っている古いところから引き出すと、漫画だ。少女漫画だったと思う。妹か母が買って家にあったのを読んだ。全10巻くらい。舞台は主に島根の田舎。主人公の女の子(最終的に大人になるから女の子、で完結はしないのだが)は、両親の離婚で、母と一緒に母の故郷島根に引っ越す。幼い頃の話。そこで近所の、わんぱく純朴系の男の子と知り合い仲良くなる、また、別の近所の、地主の名家の息子である男の子とも知り合い、仲良くなる。やがてその家の娘、先の男の子の妹も登場して、この4人を主な登場人物にして話は進む。決してピンクい話じゃない。昼ドラとしてリメイクされてもおかしくない(映画化されたのは怖くて観てない)。子供は皆、それぞれの純真さを持っている(純真さが何通りもあるかは、あやしいか)、ただ、思いがたちまちに交錯する。魔がさすような悪意もないまま、心情の変化がひとを傷つけて、またひとを救いもする。そのストーリーに出てくる場所の一つに、島根の仁摩サンドミュージアムがある。(たしか)世界最大の砂時計があって、それは一年計、つまり一年分の砂が詰まっている。物語の最初、母と娘とが訪れてその一年分の砂が「多い」か「少ない」かと話したシーンがある。母と娘がどちらが多いか少ないかと言ったかは覚えていない。ただ、描写された一年計の大きさは、よく覚えている。一度、仁摩サンドミュージアムと、仁摩の鳴き砂は体験してみたい。そう、思ったのは何年振りだろうか。
そう、思い起こすきっかけがあったのか。ずっと目の前に置いていたのに、時折、ひっくり返していたのに、今まで一度も、思いは仁摩サンドミュージアムまで至ることはなかった。3分間と、忘れられた時間だけがあっただけ。ものを考えることは、過ぎ去る時間のほぼ全てを「脳内」で使う。なかなか貴重な時間、せめて砂が落ちるための時間として、軌跡的なものにしたいと、過去の自分が思ったのかは定かではない。

#砂時計 #180218

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