『室』#304

これ単体で使うことはあまり無くて、室の前に機能を表して住宅や学校などで使われる呼称の寝室・浴室、教室・理科室・職員室、病室や会議室なんかもある、そのような使い方をしたり、部屋番号を伴って◯◯◯号室、とか。室、と部屋、は言葉の使い分けをするうえで共通するのは1つ1つの空間を個々に数える最小単位(これは相対的なものであるけれど)であること。
住宅において、リビングとして使う一室は狭いよりも広い方が好ましい。キッチンはカウンター上が狭いよりも広い方が好ましいし、調理動作をするための通路部分は広い方が安全で使い勝手もいいのでキッチンも広い方がいい。ひとつの室は「いくらなんでも」って過剰な広さになるまでは、広い空間を望まれる。オオキイコトハ、ヨイコトダ。
ひとつの空間、ひとつの室に対する考察、取り組み、野心的な設計をして新しい一室空間の価値を模索することは大学で建築を勉強しながら考えてきた(常にではなく日常の断片で時々に)ことは、いまでも継続していて、本で溢れて床にも椅子にもベッドにも積み重ねられ足の踏み場も手の置き場も困る自分の個室では常に空間の質について考える。誰かにとってはこの雑然とした部屋は「汚すぎて無理」と評されるだろうけれど、知のプールであるとして手の届くところに全知があると思っているわたしにとってはこの室にはまだ隙間、余地がたくさんあるとも思えるわけだから面白い。
室の価値は何に酔って決まるのか。ひとつの室には、「無」であるとされる場合でなければ何かしらの「機能」あるいは「役割」がある。その役割をどれだけ果たせているか、視点を変えれば、どれだけ適切な役割が与えられているか、それをパラメータ化してやれば「納得」か「まだまだ」か「不適当」か、わかる。
最近読み始めた、建築家の青木淳さんの『フラジャイル・コンセプト』(NTT出版,2018)が、今回「室」を意識下に下ろすきっかけになった。かつての氏の論考「決定ルール、あるいはそのオーバードライブ」は界隈でかなり読まれた文章だけれど、相変わらず視点と書きぶりが面白いのが今回の本で、あるべき「くうき」への飽くなき探求が導く建築の姿を、わたし自身が設計担当した物件についても思い巡らせることにも繋がって、師の師、血の濃さはどれほどかわからないけれど、なんか、言葉にいまはうまくできない「くうき」を胸に抱えている。
最終的なところ今回の千文字くらいのこれは、「(相対的に変化することを念頭に置いた上で)室が空間の最小単位である」ことの奥深さを私は再認識しましたよ、って覚書。

#室 #181018

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