『コーヒーゼリー』 #367

小学生のころ、中学生に上がるくらいのころまで、「好きな食べものは?」「コーヒーゼリー」と答えるような期間があった。三個百円、タンカーのような台紙に乗ってて、ベリベリとメタリックなフィルムを剥がして甘さのほとんどないポーションミルクをかけて食べる、あれ。以前に書いたようにアジフライを便宜上で好きな食べ物だと今は言っているけれど、それより前の、小さな子どものころ。コーヒーゼリーが好きだった。今にしてみれば特筆しておいしいものでもないしありがたがるものでもない手軽なデザートだったわけで、なんなら、それ以外のコーヒーゼリーも食べたことがなかったくせに、「好きなものはコーヒーゼリー」と言っていた。シンプルで単純で甘くない味だけど、食卓での「違い」みたいなものが良かったんだと思う。その、コーヒーゼリーが好きなころ、友達から「小渕さんと一緒だ」と言われた。クラスメイトでも先生でも親戚でもなく、ときの首相、小渕恵三さん。亡くなったときにはショックだった。それでその、言われたとき、それなりに人気があってそれなりにいい印象だった小渕首相、「へえ」と思い、悪い気はしなかった。自分の国の首相と好きな食べ物が同じ、というのはなかなか自分の好みも悪く無いんじゃ無いか、みたいなことを思っていた。そんなことを、ときどき思い出す。
そんなことをときどき思い出すのは、コーヒーゼリーを食べたときと、政治家の名の通った人が、特に食べ物の、好み云々でもなく、政治以外の食事、生活者としての性格を垣間見た時、それと自分がコーヒーゼリーを食べたとき。小渕さんでよかったなと思う。ひとによるよね、って。
そういうことをいま、思い出しながら、過去の歴史を学ぶことって大事だな、とも思う。なんかいいひとそう、くらいに思っていた過去の首相も、あとから勉強していくと冷めたピザと呼ばれた過去もあれば今につながる中韓との外交の成果も影響もあり、当時の子どもの頃の印象からはそれなりに変わってくる。それは後のライオンなんてもっと大きくて、当時は結構な人気があったことを今でも覚えているし、人気があるからいい感じ、って思っていたことも覚えている。当時はわからなかった。「昔の功労者を大事にしているんだな」と思っていた行動も、いま、視点を自分以外におけるようになってから、加害国であること、それを礼讃している印象をもたれる視点があること、それだけでなくいまの枯れた国家につながるようなダムを開けたこと、なかなかに子どもの頃の印象と今の印象は変わってくる。そんなふうに、地続きの過去を学ぶことの意味みたいなものを、遠い過去に想像が及ばなくても自分の子ども時代の感覚と実態を学び直すことで、実感できるなあ、と思うのは最近で。まったく世界、社会ってのはややこしくて複雑で、甘くない。

#コーヒーゼリー #210830

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