『サイヤ人』#318

一般名詞ではないよな、伝わる人と伝わらない人とがいるけど、318って数字を見たら瞬間的にアッと気付いてしまったので、漫画およびアニメにおけるドラゴンボールで登場する人種、サイヤ人について。
主人公の、サルのような尻尾の生えた(ニホンザルの尻尾はそんなに長くないが)少年、孫悟空は物語が進んで進んで青年になったとき、自分が生まれながらの地球人でなく、別の星で生まれて地球に送り込まれた異人種、サイヤ人であることを知る。ここの、悟空がサイヤ人であること、漫画の単行本においてそれなりに後の方、少なくとも序盤では明かされないのでどう書いたらいいものか悩ましいところ。それまでは、尻尾が生えていて、満月を見ると大猿に化ける、強さに飽くなき向上心を持っている、というくらいの違いしか地球人と書き分けられることはなかった。それが、少年期から青年期にかわった物語の新章、始まりの方で明かされる。
それから、別のサイヤ人が現れてまたさらに別の特徴が明らかになっていく。戦闘を好む民族であること、死の淵から復活すると戦闘力を高めること、伝説の戦士とされる「超サイヤ人」になれる者が存在すること、生まれてからずっと頭髪が不気味に変化することはないこと、あとは地球人との混血は凄まじい戦闘力を持つことがあるということ、か。
ドラゴンボールのネーミングにおいては何かしらの食べ物とか伝承とか、発想の元になるものがわかりやすい。サイヤ人については野菜、ヤサイが元になっている。物語で登場してくるサイヤ人はみな野菜に関係していて、ラディッツはラディッシュが元になっているし、ナッパはそのまま菜っ葉。王族の王子であるベジータはベジタブルという高次の名前が与えられている。ちなみに悟空もサイヤ人としての名前があるわけで、ベジータは決して悟空と呼ぶことなくそのサイヤ人名で悟空を呼ぶ。彼の高いプライドがそうさせるのか、決して悟空を地球人とみなさない。
物語の中で、悟空は「オラは地球人だ」と話す、自覚と認識のない時期を経たのち、「地球生まれのサイヤ人」と自認する。その過程をなんとなく、頭の中で追ってみるとグッとくるところがある。それから、セルと戦う前、サイヤ人の戦闘服でなく亀仙流の道着をあえて着るときに「地球人として戦いたい」と言う(悟飯はピッコロの服が欲しいと言う)シーンはまた、面白い。
ドラゴンボールを知ってから、サイヤ人を知ってから、日常生活の中で自分を追い込むことへのストイックさが少しだけ、増したと思っている。必ずしも、追い込んだときに成長があるとは言えないけれど、そうした限界に追い込まれた時の視界と思考は、ふだん得られない異次元のもので、グッと狭くなってキツくなったのち冷静に追い込んでいくと、パッと視界は開けて思考はクリアになり、最善手と悪手とを選り分けて瞬間的に見つけられるようになる。その体験に、鳥山明氏も何かを見たのかなと、漫画を描くことは限界に自分を追い込んでいく作業だろうと推察する中で、勝手に想像している。人はみなサイヤ人かなと(頭髪は最終的に、不気味に変化しなくなるし)。

#サイヤ人 #181101

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?