【随想】そばまえ

 先日、横浜駅からしばらく歩いた平沼橋にある老舗の蕎麦店・角平で家族と食事をしていたときのこと。となりのテーブルに二人の若い男性が向かい合って座っていた。どうみても二〇代だったと思う。
 われわれは、やや早い夕食で、わたしはちょっとしたつまみとお酒を注文し、家人は各々蕎麦をたのみ、それらが出てくるまでの間、皆、わたしのつまみに箸を伸ばし……。わたしたち家族は、蕎麦が出てくると、早々にいただいて、その店を後にした。
 駅までの道すがら、急に思い出したかのように妻がいう。「隣のテーブルの若い人、気付いた?若いのに、とても粋な飲み方をしていたの。お酒に板わさ、そしてだし巻き卵なんて」。酒を嗜まない妻が言うのだから、よほど印象に残ったのだろう。不相応な(!?)若さも、彼女の琴線に触れたのかもしれない。たしかに、そんな蕎麦店の使い方をする二〇代をあまり見たことがない。いや、大人でもそう見かけない。
 かつて世話になったS先生は、わたしが初めて出会った“粋な”大人の一人であった(S先生はすでにこの世にはいない)。S先生は、当時麹町にオフィスを構えており、わたしはしばしばそのオフィス訪れていた。S先生は仕事が一段落すると、「ちょっと蕎麦でも食いにいくか?」といって、オフィスの目の前を走る新宿通りでタクシー拾い、神田神保町にあった「出雲そば本家」に向かう。そこに行くとS先生は、決まって板わさと干しわかめを注文し、お酒を飲みながら、話の続きを語り出す。そして、最後は決まって蕎麦の枚数を問うのだ(出雲そばは、蕎麦を小さな「さら」に小分けにして出す)。「俺は三枚、君は五枚でいいよな?」。
 長居は無用。そんな飲み方を「そばまえ」というらしい。わたしもいい年になったが、なかなかS先生のように自然にはいかないものだ(2020年度『萌木』(56号)校内アンソロジー:大人になったと感じた時)。

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