【随想】たった一人の受講生

 この秋から、急遽、ある大学が新たに設置した学部で週に一度講義をすることになった。
 ちょうど、一週間ほど前に第一回目の講義をするため、その大学に行ったのだが、わたしは、そこで今まで経験したことのない事態に遭遇したのだった。大学で授業をするようになって十年余り、こんな経験をしたことは一度もなかった。
 教室に行っても誰もいない。
 これが、わたしを襲った初めての事態である。もちろん、朝一番の講義だたったので、もしかしたら交通機関の遅れなどで遅刻する者もいるかもしれないと、とりあえずは待つことにした。しばらく教室で佇むこと20分。大学の慣例にしたがい(元来は「大学の15分」といって15分過ぎると自然休講。ただ、休憩時間が無かった中世の大学の伝統なので、現在では20分説が有力!?)、「この講義は閉講だな」と独り合点し、その教室を出て、その足で学部の教務部に向かった。もともと、急な依頼で2時限連続。平日の午前中が全部潰れてしまうので閉講ならそれでもいいと思っていた。若干の安堵の気持ちで事務室のドアを叩くと、そごでは意外な回答が。「最初の授業ですし、1時限目は他の授業を聞きにいっている場合もあります。2時限目の時間も一応教室には行ってください」とのこと。
 「2時限目も学生がいなかったら、やはり閉講だろうな。それでも、この一か月分の給料は出てしまうのかな。仕事もしていないのに申し訳ないな。どこぞの国会議員みたいだ」と一人呟きながら、2時限目の教室に行くと、広い教室に学生が一人。やはり別の講義を受けに行っていたようで、この授業は是非履修したいとのこと。わたし自身は一人でもいれば講義をすることに何ら問題ないのだが、どう考えても収支が合わないだろうなと内心、開講するかどうか分からないと思いながら、講義のガイダンスを終えたのだった。
 講義終了後、学部長に履修の状況を申し上げると、こちらも意外な返事。「履修者が一人でもいれば開講します。収支の問題ではありません」。今どき太っ腹な大学だなと感心していたら、実は別のところに理由があったようだ。大学にしろ学部にしろ、新設してから4年間は設置科目を全て開講しなければならないという文部科学省の方針。知らなかった。大学としては、何としても開講しなければならないのである。
 そういえば、わたしも大学の4年生のときに、結果としてわたし一人だけが受講生という講義を一年間履修したことを思い出した。あれは確か地方自治法の講義だったと思う。教授は履修者が一人でも、大勢の人が聞くのと同じ調子で一年間講義をした。わたしが休むと休講になるかも?と奇妙な責任感を背負いながら半年間の講義に出続けたのだった(2009年10月5日記)。

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