【随想】流しの新ちゃん

 いまどき、「流し」なんて言葉を聞いても、ピンとくる人はそう多くない。「流し」の言葉でイメージできても、タクシーくらいが関の山だろう。だが、ある世代にとって「流し」といえばギター弾きにきまってる!(もしかすると、わたしはその世代にひっかかっていないかもしれないのだが……)。
 いずれにせよ、流しのギター弾きが東京・四谷の荒木町にはいたのである。「いた」というのは、いまはもういないからだ。平塚新太郎。人呼んで新ちゃん(本名・桜井忠義)。享年七十四。この夏、肝臓がんで亡くなった。
 わたしが荒木町に出入りするようになって二十年余。新ちゃんとの出会いもその頃にさかのぼる。いつもの小さな料理屋で食事をしていると、ギター片手に新ちゃんがやってくる。一緒に飲むこともあれば、新ちゃんの歌に耳を傾けることもある。彼のギターが奏でるのはいつも哀愁の調べ。日米開戦の翌年に生を受け、戦中戦後の混乱で親とはぐれ、天涯孤独となった彼の人生に思いをはせる。
 またある時は、客のわたしが歌うこともある。この街では、カラオケではなく、伴奏は新ちゃんのギターである。どこかの印刷会社の色見本のような分厚い歌詞集。一説によると新ちゃんのレパートリーは三千曲。どんなクセのある節まわしでもピタッと合わせてくれる。だからといって、上手くなったと過信は禁物だ。自分の実力があがったわけではない。新ちゃんが気分よく歌わせてくれているのだ。
 先日、小料理屋の女将から新ちゃんの形見をもらった。彼の歌の入ったカセットテープだった。いま手元にそれを聞く機械はない。でもそれでいい(2018年度『萌木』(54号)校内アンソロジーより)。

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